今日は3本目の記事。
自分の中でいろんなものが動いてるので、
書いています。
今回は神様もの。
ここ数年、神社仏閣にお参りしている私ですが、
この数か月は、神社に足を運べないでいました。
日差しが暑いから、街中を歩いていくこと自体を極力避けていたこともありますが、
それでも寺には幾度となく行きました。
が、神社にはお祭りの時の筥崎宮くらい。
なぜ足が遠のいているかというと、神社で何をどう参ればいいのかが、わからなくなってしまったから。
仏様には、何でも話します。お願いします。
「も~、こうこうこうなんです。で、こうしたいんです。こうしたくないんです。」
って、おじいちゃんおばあちゃんに頼るような感じで、お話してる。
けれど、神社で神様の前に立つと、言葉が出なくなってしまうのです。
先日、股コリ股ケア体験会の後、稲荷会のお話会とお参りのイベントに、急遽参加してきました。
お稲荷さんにはあまり親交がないのですが、このところ先達付きのお参りをしていませんでしたし、自分の参り方に??が湧き出ている状態に、何かヒントがあればいいなと思ったからです。
前日には、巡禮記の稲荷編のテキストを復習^^
現世利益、願ってもいいんだよね~と再確認。
おそらく私は、ここに対して、自分の中に壁がある。
当日はイベントが始まる前に、今益稲荷にお参りしました。
狐の神様にお参りのお伺いを立て、稲荷神にお参りしてみました。時間もなかったので、さらっとした感じになりました。
お話会では、稲荷信仰のお話。
須佐厳さんの巡禮記座学で聞いたお話と内容は同じで、
晴美さんの体験記が面白かった(今記憶がごちゃついてて、股コリケアしたからかなった話と稲荷に参ったからかなった話が混在してるけど)。
参加者の方の話の中で「神様に祈るより、空に祈った時の方が叶ってる。神様には緊張する」という話が出て、「ああ、それだ!」と同感しました。
私は、神様の前で緊張してるから、言葉が出ないのです。多分。
これまで何度も祈ってきた神社。
でもどこかで「欲ばっかり言っても悪い」とか思っているのかもしれません。
そして「なんて言ったらいいのだろう?」って迷ってる。
うまい言葉がみつからないのです。
欲を願い、祈りに昇華させる、その方法がいまいちつかめない。
私は、もっと気楽に自分を愛し、信じ切りたいと願っている。
でも、まだそれができていないから、その願い自体は本心ではないということになる。
だから叶わないのか?
じゃあ、何ってお願いすればいいの?
そこに戸惑いがあって、お願い事ができなくなってしまってる。
それでも今回、現世利益を祈っていいということで、久しぶりに、お金のことや家族の健康に対する祈り、そしていつもの自分のことをお願いしてみました。具体的に^^
お話会では、欲を具体的に伝えること、という話があり、
みんなお金のお願いをしていたようでした。わかりやすいですしね。
ここでも「信じ切る」はポイントなのでしょう。
私の中のどこかに「自分の願いは叶わない」という呪いがあるような気がする。
この呪縛をなくしたい。
神に参るのは、自分自身を神として参る意味もあるそうだ(リュウ博士の本にあった)
自分の中に神は居る。神を通して自分に祈るとするならば、
本心の私に真っ向に立ち向かっていくべき場所が神社なのだろう。
私は本気で叶わないと思っているわけではなく、それは拗ねだ。
拗ねた私を神様に合わせる顔がないのだ、私は。
しかし開き直る度胸もまだ持ち合わせていない。
私の本心は幸せになりたい、だけど、それはあまりにもぼやっとしている。
幸せになるって具体的にどういう状態になりたいの?どんな覚悟を持って生きようとしているの?
伝えているつもりだけど、どうも届きにくいみたい。
私のところにきつねさんはきてくださるのだろうか?
そういうのもご縁なのだろうなぁ。