ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

決めるしかないんだ。

レストランに行くと、オムライスかカレーかで悩む。
「男選ぶ時もそうやって悩むのか?」と昔言われたことがある笑
男は悩まなかったなぁ。
どれにしようかな的なシーンがなかったからかもしれない。

私には、今この瞬間をいかに最適に過ごすかと考える癖があって、
お腹の好き具合と、
食べてからのおなかの状態と、
金額的にみあっているかと、
満足度と、その他...
いくつもの条件を天秤にかけて、一番いい具合を狙おうとする。

変なところ、芸術家みたいなものかもしれない。
(真面目に芸術やっている方ごめんなさい。この比喩違うかもしれないけど、私的には「この瞬間」「この一番いい具合」がその時の私の黄金比で、そのことを言いたいための「芸術家」というメタファーです)

それを追求したい欲求が強いのだと思うのです。

でもこれってすごくパワーが要る。
だから、体力使うし疲れるのかなと。
最近の仮説です。
これが一番、私が私の身体をダメにしている原因なのではないかと。

一番いい具合を狙う時って、気持ちがいいんです。
カメラで焦点を合わせるのを、オートじゃなくて自分で合わせる感じ。
でもちゃんと学んでいるわけでもなく感性でやるので、なかなか経験がうまくつながらなくて。そりゃそうだ。同じような状態は二度とないわけだから。

だからね、
やり方を変えようと思うの。
できるだけぱっと決める。感性で決める。
もしそれで失敗してもいい。学びにするかどうかはどっちでもいい。
それを繰り返していくと、私の大事な感性は残しつつ、何かが回っていくのではないか。そうしたらきっと今までとは違う流れが創れそうな。

懸案は、慣れ親しんだこれまでの思考を捨てることができるかだ。
人一倍考える私が、その頭を置いて、感性に委ねる。
ほぼLSP状態。
でも、怖くはないぞ。
ブロック作るワクワクと一緒だもん。

今まで推理探偵だった、その職を捨てて、
いきなり決定を黄色ちゃんに委ねるというわけで。
なかなかに荒療治。でももうここまで来ているよ。結構崖っぷち。
出も落ちても、帰ってくればいいんだけどね。
死なないみたいだし。

自分で選ぶんだ!覚悟を決めても決めなくてもいい。
選んで、後から意味づけをするんだ。
辛いこともあるかもだけど、そもそも辛かったしつまんなかったわけだから、
攻めて面白おかしく名前を付けていこうか。

今日はユウスケの誕生日。
なんかちゃんと祝ってあげられなくて、悪かった。
そうか、今日ハグしてないぞ。
可愛い子。大きくなっても可愛い子。
お姉ちゃんが家を出てから、特に彼は私のしるべでもあり支えにもなった。
子どもって、ありがたいな。いるだけでとてもありがたい。すくわれる。
うまく親離れをしてってね。

 

 

 

私のお気に入りその①

今日はめずらしくお風呂が快適だった。
お風呂は好きだし、湯船に浸かると必ず「はぁ♥しあわせ」という言葉が出てきそうになる程それは気持ちよい時間だ。

でも、身体が冷えていたり、湯温が高かったりちょっと低かったりして、身体とフィットしなかったり、身体がそもそも不調だったりすると、ゆっくり浸かれない。
ご飯前の時間だとなおさら。(うちではご飯前にお風呂に入るので)

おそらくそういう時は、自律神経が乱れていることが多いのだろうけど、お風呂というリラックスできそうな空間でも、身体がリラックスできてないんだろう(と今日思った)。

今日はいつも通り湯船につかると、いつもよりもなぜかほわーっと。背中や肩の力が抜けていき、身体がゆるりんとなった。私の頭の中は、私が心地よいと思うことや好きなことがいっぱい浮かんできた。(たいていは山ピーだったけどもw)
そんな妄想をしながらゆっくり浸かっていたら、じわぁっと汗が!
ここ何年とお風呂の効果的な浸かり方というのをやっていてもこの境地にたどり着けなかったのに、こんな妄想しているだけでいい感じになってしまうなんて!
お風呂に一つ入るも極めるのは難しい。でも気持ちよかった~。気持ちよければまあいいや、です。

あ、で、そこで考えていたのは、「好きなこと」と「心地よい」は少しニュアンスが違うということ。
私の言葉の使い分けとしては、前者はどちらかというと精神的指向で「好き」になるのだが、後者はそれよりも皮膚感覚で好みを判断する傾向にある。
どっちがいい悪いではなくて、違うなぁ、どう違うのかなと思っただけなのだけど。
どちらも「お気に入り」だ。

ということで、お気に入りを並べてみようかなと、これまた湯船の中でふと思ったわけで。
お気に入りには、長く続くお気に入りもあるし、瞬間風速的なものもある。たまにそのすき度が大きくなっちゃそうでもなくなって、また一時したら爆裂的に好き!というものもあったりする。そこらへんもひっくるめて「お気に入り」だ。書くその時のお気に入りということかな。
このテーマだといつでも何かしらあるような気がするけど、意外と自分で日常的にお気に入りって心に留めてない気がして。

今日思いついたのは、別のお気に入りだったのだけど、今日はココまで書いたので、意外とこだわりのある「お風呂(湯船)」でした。
まあ、今のお風呂にしたのは私だし。
角部屋の、入ってる間にどんどん湯温が冷えていく当時のお風呂に我慢がならずに、初めておうちをリフォームしたのがこのお風呂だった。
窓をつぶして断熱材入れてユニットバスのシステムを入れたので、
浴槽は前よりも心持ち小さくなったけど、湯が冷えない!
入っていても寒くないのが、以前に比べたら画期的。
そうだよ。心地いい空間作ってるじゃん、私。

今日の大きな気づき

あの時頑張ったもんなぁ。

書いているうちに、お風呂が愛しくなってきた♡
いいお風呂に入れる毎日にしよう。うん。




私の中の私~きいろちゃんとの出会い(再会?)

いつの頃からか、私の中には壺に入った女の子が居た。
その前にはおかっぱの女の子がいて、彼女は壺には入って居なかった。
19歳の時に足を折って手術した時に彼女は出てきて、
トンネルの中で出ようともがく私の道案内をしてくれた。
壺ではないがトンネルには居たのか。
壺の中にいる子とトンネルの中の子が同じ人物なのかというと、
結構近い存在な気がしている。
その子たちは誰なのか。
私には正直よくわからなかった。
過去世の自分のような気もするし、
私の前に水子で亡くなった子のような気もしていた。

先日、パニックになっていた私が受けた育子さんのカウンセリング
(育子さんのブログはこちら↓ カウンセリングにご興味のある方はどうぞ)

ameblo.jp

で、
育子さんは壺に入った私のことを、

「それは壺でも自分を守る壁でもありません。

み。さんが感じておられるのは、”無責任に対する怒りと罪悪感”です。
”都合の悪いことに蓋をすること、逃げることへの怒りと罪悪感”です。

つまり、ご自身はけしてその安全な居心地のいい場所には入っておられません。
一度も。

そういうところに
入ろうとすること。。。つまり

苦しいことから
逃げようとすること、

痛みを避けること、への
ご自身の監視、脅迫、被害者になることへの抵抗、
責任逃れの恐れや不安だと思います。」と説明してくれました。

壺に入っていた私が感じていた思いは、
「静かでほっとする。でも寂しくてたまらない」という思い。
壺と私の感情はそういう関りなのだと、やっと合点がいった。

自分の思いは置いておいて、
強い責任感、正義感、正しいことは悪に屈しちゃいけないという気持ち、
なすすべはなくとも気持ちは負けちゃだめだと、それだけを心の支えに、
だけど武器もなくなすすべも考えつかず、孤独に戦っている、
その寂しく切なく、怖い思い。
そんな自分が壺の中にいるのだった。
壺は出てもいいし出なくてもいい。でもそれすらもわからず居る。
出たいけどどうやったら出れるかもわからない。
そんな思いでいた。

よく出てくるキーワードは「やりかたがわからない」だ。
こうしたい、はある。
目指すところもある。でもそのための方法論がわからない。
つながらない。
こうしたいがあるならそうすればよいのだろう。
やっているつもりだが成果が得られない。
そうするとどうすればいいのかわからなくなる。
今の私はそういうところにいる。

育子さんから聞いた私の魂の設計図の話で、私の特性は責任感が強く、
献身的、家族愛、調和を重んじる、、とつらつら出てきたが、
それとはまた別な特徴として、「無邪気」「衝動的」「無責任」「こども」「すねる」というものもあるらしい。
聞いて、とても納得した。

不安がいっぱい襲ってきていてもたってもいられなくなる時がある。
これも波と言えば波だが、いきなりやってくる時もある。
そしてこの波がいつまで続くかわからなくて、いつまで頑張らなければいけないのか、
とにかく精神が持たなくなることがある。
それが今回だった。
身体にも精神にもダブルでやってきた。
これはもう降参しろとでもいうくらい。

生身の私は私で、何をどうしろっていうのよ~って思っていた。
何をどうすればいいのかがわかっているならやっている。
でも、どうすればいいのかわからなかった。
なので育子さんに体を治すのが先ですよと言われつつも、
この不安をどうにか落ち着かせる方策が知りたくて、
魂のことや私のミッションや性質を聞いていった。
何かヒントがないか、何か今できることはないのかと。

先ほどでてきた別な特徴の子どもっぽい私の性格は、
実は私には心当たりがある。
小さい時の私だ。
私はそういうおきゃんな感じで生まれてきた。
好奇心が旺盛で、
そのものの本質を知りたがった(これは今でも)
本物を見たかった。
安心して自然からそれらを享受されたかった(らしい。これはあまり認識がない)

でも、私が何かすると、何か言う人がいる。
親戚になんやかやいわれる
すねると「ほらすぐへんじんづいてから」と言われる。
私がなにかすると、母が何か言われる。母が悲しむ。
そう思った私は、そういう自分を封じ込めた。
多分それが3歳前後。
私の記憶が途切れている時期とそれは合致する。

封じ込められた「私」のこども部分は、成長をやめたのかもしれない。
私の中にそのまま残ったその子が私のインナーチャイルドそのものだ。

それが今回よくわかった。
成り立ちはどれが正しいのかわからないけど、
とにかく「居る」ことがはっきりした。

育子さん曰く、
この子はさみしがり屋でこども。
彼女はずっと封じ込められていたことを怒ってるし、
いつなきものにされるかとびくびくしていたそう。
だから、これからはこの子に「居ていいよ」「なにがほしかったの?」と聞いてみるといいと言われた。
欲しいものを与える。したいことをする。与える。
子どもを育てるように、与え、しつけていくと、
きっと私の力になると。
この子は瞬発的な力を持っている。
だから選択肢の選び方もその子に委ねる事ができると。

「色」でいえばその子は「黄色」らしい。
父親は私の色を黄色と言っていた。なるほど、そうか、やはり。
今の大人になった私の色は「ピンク」。
ああ、それもよくわかる。最近自分が欲している色がピンクだ。

そんな話を聞いて、
おさ湯を飲む時には「ピンクのおさ湯」「黄色のお水」とイメージして飲んでいた。
すがるような思いもあるが、そうするほうが楽しいからだ。
正直きつくて楽しいどころではないとこもあるけれども、だけど、苦しみの中にも、なんだか楽しげな「ふふっ」って思うところが、お水を一杯飲むにもあるというのは、いわせぬ幸せ感が出てくるものだ。

そんな数日を過ごし、ある夕方、もうどうにもきつくてベッドに寝転んでいた。
ふと、私の中のあの子のことを考えた。
名前がないと呼びかけにくいなと思って、
ふと「きいろちゃーん」と呼んでみた。
頭の中では、すでに彼女に黄色い帽子とスモッグを着せて。
なんだか体がびくっとした。
なぜかおへそのあたりからうわぁっと幸せ感が湧いてきて、
顔がかってににやけてきた。
なんだこれ?
もしかして、小さいあの子が喜んでる??
もう一回「きいろちゃーん。名前気に入ってくれた?」と聞くと、同じようににやける。嬉しい。
そっかぁ、ニックネームでもつけてもらえると嬉しいもんなぁ。
そういうことかぁ。
と同時に、私の中に安心感が広がって、涙が出てきてしまった。
ああ、もう一人じゃないんだなぁって。
この子と一緒に生きていけばいいんだから、大丈夫だって思った。

この体感は、いきなりでどう言葉で書いても他者には理解できないだろうけれど、
確かにあるという感覚があった。そして私はそれを持って生きていくのだと覚悟ができた。

育子さんにその数日前に言われていたことを、ノートに書き留めている中に「腰を据えてみ。の人生を生きていくと決めると、その子が動き出す」と書いてある。
第一歩かな。

その後「お洋服着る?」とか「黄色いお花あげる」といってもなんだか反応は鈍い。
そのあとも、しゃきっとした返しがないので、若干不安ではあるけど。

育子さんが言う「ずっとなきものになるかもしれないと不安だったから、
安心して眠ってるんじゃない?」というのに納得して、その案採用!
私も同じようにいっぱい寝て体を立て直そうと頑張っている次第。
まあ思うようにしゃきんとはいかないけれど、
おかゆから普通のご飯にしてみた今日。8日目だし。

ちゃんと毎回レスポンスがほしいけど、
まあ、うつらうつらして彼女も体力を整えているのだと信じるならば、
それがそうなるだろうし、私も一人で生きるのではなく、
自分の中の彼女と生きるということなら、
私の中の二つの性格がうまく合致してつじつまが合う。
これってどっちの力もうまく使えそうで、とても都合がよい。

こういうピタッと都合のいいことって、私の人生の中にはいくつかあるのだけど、
もうそれはまぎれもない真実なので、疑いようがない。
都合のいいことは、そう信じればよいのだと思う。

いつか黄色ちゃんと渡り合ってうまく問題解決したい。
それが最高に幸せな瞬間である気がする。

追記:
黄色ちゃんに黄色の帽子とお洋服を着せて(私のイメージの中で)
「黄色ちゃーん」と呼んでいたのだけど、
そのイメージととってもそっくりなものを見つけてしまった。

www.mother-house.jp
私が大好きなマザーハウスの山口絵理子さんの「ウチ」ちゃん。
そうか、彼女には私と似た部分があるから、
私は彼女に惹かれるのだと納得しちゃった。
今度、来福されるときに、黄色ちゃんの話をしてみよう(^^)



今日の夢

眠りが浅いのか、まあだらだら寝てるからというのもあるけど、夢を見る。
今日の夢はひどかったので記しておく。

略奪される夢。
ある悪い男性群が、女性をとにかく略奪する。
セックスが目的なのかどうかさえもわからないが、
そのくらいまで平気でやってくる。
女性群は(私も含む)どうにかそれを迂回し、帰宅しようとする。
山に大きく広がる電車?のテーマパークのようなところで、
帰ろうとするとその魔の手が伸びている。
タクシーで帰ろうとか、電車で帰ろうとか色々試みる。
助けてくれるこちら側にも優しい男性もいるが、
その人を信用していいのかもわからない。
が略奪されたとしてもとにかく生きて先に行くしかないという気持ちはあり、
身体は捨てても心は、、みたいな気分もある。
とにかく止まっている暇がない。
策を考えるために止まる暇はない。
その割に後輩のような若い子がそういうことに嫌気がさしているのを察して、
何か盾になろうとしている自分もいる。

もうひとつ。
電車のようなコンパーメントがつながっているような乗り物に乗っている。
車両を次々と前に進んでいく。
ひとつひとつに、いろんな自分の持ち物がある。
整理できない。
なぜか途中で使いかけのみそが出てきて、「ああそれはずーっと前のあの車両の冷蔵庫にある」と思ったところで、「もうそれとこれを一緒にするという整理は出来ない!」とあきらめた。

最後の方では自分のかどうかもわからないブーツやコート。
同居している男性(私の彼ではなさそう)の彼女のかなと思って中をみると、ブーツやコートの内ポケットには「地獄行き」とかいうカードが。(地獄に行け?行き?行くのは嫌?よく覚えていないが)見て「何かやなものみちゃったな」と見ないふりして「要らないものは捨てなきゃな」と思った。。。

これらの夢は、私の中にあるものなんだろうけどな。
どうしたら吐きだせるんだろうな。

==
略奪の夢の夢解き
・壊れるのが怖いのだろう。壊れると誰かに迷惑をかけるという頭がある。
壊れない前提にいる。
未来志向ではないなぁ。
壊れたらその先に何かがあるかもしれないという風に思えれば、怖さも違う刺激になりそうなのにね。
壊れたところで、もうその時には何も感じなければ誰に迷惑かけるとかいうのも感じないだろうけど、その辺が容易に想像できてしまうのが問題だ。

「壊れても壊れなくてもいい。私は〇〇を選ぶ」
この〇〇に入るものはなんだろうか。
私は私の幸せになりたいという気持ちを選ぶ、かな。
単なる「生きる」じゃいやだ。そして苦しく生きるのは嫌だ。
幸せに生きたい。






備忘録

1.繭作る。ピンクのまゆ。中に黄色。
2.ピンクのお湯呑む。中に黄色、からのピンク。
3.私がしたいことってなんだ?
4.黄色ちゃんに声かける(意識する)
5.先祖への声かけ。お願いごと。感謝があればそれもご報告。
6.お地蔵様へのお願いごと。感謝があればそれもご報告。

FBに書いたやつ

自分の中のモノを見るのは難しい。
見えないから、どんな風に関連しているかもわかりにくい。
 
体調を壊して10日。やっとおかゆ体制になったが、右上がりで治るわけでもなく、いい日もあれば落ちる日もある。治ったかと思えば違う症状が出てきたり。でもそれは一つ出てきて治りきったからこそ、新しい問題が浮き出てくるそれに似ている。
頭痛いのがどうにもたまらず、胃の心配もあったけど胃に優しいイブだから~と思って飲んだら頭痛いのがなくなった、途端にのどのイガイガに気づく、、みたいな笑
(いまいち例えがうまくない私汗;)
 
私は、この自分の体調の変化で、自分の中にあるものの存在に気づく場面にかなり出会った。
そういう状態にならなければ出会えなかったのかもしれないと思う。みえないものは、その状態がなくなるとついおざなりになる。だから、本当に大切にしたいものは、「私はそれを大切にする」という宣言が必要なんだ。
そしてそれを文字にして残しておくこと、眺めること。
じゃないと、いろんな出来事や思いや情報に、すぐ流されてしまうもの。忘れてしまうもの。
忘れてしまうなら大切なものじゃない。。。と思うならそれでもいいのかもしれない。実際生活はできる。でも私はもう後戻りはしたくない。しないって決めたから、だから、やっぱり自分が大切にしたいものは何かってことは、ちゃんと書き記しておこうと思う。どうしてそう思ったかという状況を思い出すためにできごととともに。
 
LSPで自分のシンプルガイドプリンシプルを出す場面があるが、自分がやっていることを語るシーンで、社会人の場合は多くが自分の会社がやっていること、会社のミッションを語りがちだ。自分は自分のことを言っているつもりなのに、会社でやっていることや会社での役割を通してみていることを語ってしまうシーンによく出くわす。そこで指摘されて初めて、そこに自分が不在であることに初めて気づいたりする。
組織にいるとか、何かをずっとやっていると、そこに自分が投影されてしまうこともあるのだろう。だからつどつど点検する方がいい。自分じゃ点検できないから他者とのセッションや、振り返りを文章化してみてもらうことで、点検してみる必要があるんだよなぁ。
 
私もブログ書こう。あ、すでにこの文章がブログ的に長いけども。
===
FBに書いた記事がブログっぽくなったので、こちらにも。
結局すべてのことは「自分」の投影だなと思うわけです。
自分ができてない。(できてるところもある)
やると決めたことは、アクションプランを再度確認して書きだしておこう。
毎日のルーチン、毎日じゃなくても気づいたらやることも。
それやると行動が変わる気がする。

踊り場?

お地蔵様への願いが通じたのか、
木曜は結構普通にお仕事に行けました。
よかった~。
新学期、新しい教室で、新しい受講者の子たちも含めてスタートが切れてほっとした。
「行く途中、少しでもダメだと思ったら戻りなさい」と言われていたし、そう思っていたので正直びくびくしながらだったけど大丈夫だった。

でもその分、次の日の今日に疲れが出たみたい。
どよん~と寝ていると、毎月通っている病院からお電話。
お薬も切れていたし、発作も起こってるので今日診てほしいと連絡をいれていたのだった。16時の予定だったはず。

が、いつもの先生が今日はいらっしゃらなく、代わりにずーっと私の主治医だった大好きなF先生が診てくださるとのこと♥12時に時間変更。
すっきり起きれました。まあ単純。
1年前から、先生の研究が忙しくなって現場には出られなくなってしまったので、寂しかったのですよねぇ。それだけで涙。目真っ赤。弱ってるなぁ、私。

体重は、1ケ月前から5キロも落ちてたΣ( ̄ロ ̄lll) 
F先生との再会~。泣くかと思ったけど泣かなかった。
嬉しかったからかなぁ。先生が全く変わられてない。嬉しい。
先生から、「大変だったんだって?で、点滴しなかったの?」と聞かれる。
素直に問診を書くとまあここ1,2週間の私の状況は非常に悪く、
かつ感冒性胃腸炎後の状況はというと、とにかく栄養やビタミンが足りていないらしい。
食べてないし、そういうの摂取してないし、当たり前っちゃ当たり前。
喉も痛かったし、その治癒で体力がより消耗したこともあるかも。
即ビタミン入りの点滴決定。
あとはお薬の状況を根掘り葉掘り聞かれる。
この先生はこういうのを丁寧にしてくださるからいいんだよなぁ。
感冒性胃腸炎自体はもうほぼいいみたいだけど、おなかが動いていないから、
「今貰っている薬のこれとこれはもうやめて、これは続けよう」と言われる。
最寄りの病院じゃそういうことを言えない雰囲気なので、助かる。

それから、食事の仕方の説明。
もうそろそろ栄養を取らなきゃなので、おだしやみそ汁を汁だけから始めること。
スキムミルク、オメガ3の油を使うことなどなど。
すっぱい乳酸菌も飲まなきゃらしい。
これでおなかがすっきり通っていくなら頑張る。
F先生だから信じられるってこともあるのかもなぁ。
スタッフのみなさんも、F先生が来られてうれしそう。


「今日来られたの、かなりラッキーですよ。F先生は本当に滅多に来られないから。」
「F先生に診てもらえてよかったですね。あの先生は特別ですもんねぇ」とべた褒め。
でもほんとそう。「ここの患者さんはみんな優しいから、先生大丈夫ですか?」ってみんな心配してるんですよ」ってスタッフの方は言われる。私も何度も聴いちゃったもんな。でもそんな先生だからみんな気にするんだよな。また診てほしいなぁ。
今日一番よかったことだった♥

そして点滴。2時間くらいかかった。
うとうととしながらの点滴。
足が寒い。
途中、あったかくなってきて足先に暖気がワーッと通る時もあるが、しばらくするとそれが途切れまた冷たくなる。

数日前に、家でレイキを受け取る時の感じ、母方のおじ叔母たちを感じていた時の感じと同じだった。あったかい波として何度か感じるが、定着しない。
これが定着してくれるとよいのに。
なにか防御しているものがあるのだろうか。

点滴はしたものの、なんとなくやっぱりふらふらするので、東長寺への参拝は取りやめた。バスの中で「千手観音さま~」って心の中で叫んで通り過ぎた。

バスを降りて駅で母用の編み物本とかぎ針、毛糸を購入。またバスに乗って病院に持って行った。
母は、どうしようかなという感じで編み物の本をパラパラめくり、私が買ってきたモノを確認する。あれがないこれがないっていうので、「そんなん看護婦さんに借りなさい」って言うと笑ってた。
あれば本当にするのかな?暇やしやってみようという気になってくれると嬉しいんだけど。
さてもう歩けないぞということで、タクシーでおうちまで。
タクシーは楽だなぁ。

そろそろもう家事をしないといけない状況になってきつつある。
お薬もちゃんときたし、安心して寝よう。そうしよう。寝るのが一番の薬なのだろうかな。

なかなかインナーチャイルドちゃんとの話が書けない。
明日かな。(こんなのばっか)
台風も来てるし、ほんと風任せ。。。