ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

3月7日~13日を、3月6日の時点で振り返る!

Happyさんのブログにそんなことがかいてあったのでやってみる。
ポイントは、具体的な行事ではなく、どう在りたいかの心のことを書く。
7日:自分の身体をもっとより見ようとするようになった。動かしてみる。まずは昨日習った肩甲骨の動かし方、整骨院でも自分の身体がどういう状態になっているのか、どうすれば気持ちよい状態に出来るのかを学んでいる。
自分が前に進んでいる感じがして心地よい。体が動くのがとってもありがたい。きもちいい。
8日:やろうと思ったことを、とにかくやってみる日だった。
チャレンジする、やるのが億劫になってるものは、やったことがないものが多い。
やってみればいいんだ。まずは。ということをやった一日。やればできるジャン私。
9日:古巣での打ち合わせもやれる感じしかでない。思いつきで行ったことがそのままいけそうな気がする。そしてそれはきっといける。うん、これは告知もしよう。HPつくらなきゃ。ブログでいいか。
10日:夢チャレの監査も終わって、一息。次回のことを考えるとウキウキする。重責も感じるけれど。レゴをじっくりやるというのはどうだろうか。ワクワクだよなぁ。

11日:実行委員会やなんやらでいそがしい。梅中の立志式にも出席。書くP振り返りをもう少し進めよう。自分がどうだったというよりも、プロジェクトとしてどうだったか。次への申し送りができるようなものを。

12日:初めての経験。自分の中の女性性と出会い、暖かな気持ちになる。安心。
自分が抱っこしたような感じ。してあげたいことをしてあげよう。
LSPは私の解放を助けてくれるビジネスツール。うまく話が進むようにとにかく伝える。必死に伝える。

13日:自分のためにだらける日。好きなケーキを食べる。ゆーすけとチョコも作る。

「他者の課題を切り離す」とは?

以前、威圧的な態度で言葉の暴力を受けたことがある。
理由は、私個人のせいではなかったが、
彼が言うのは当然だし仕方ないことだとも思ったので、
すみません、すみませんといい、その場を終えた。そうしないと終わらなかった。

でもこれが幾度か続くと、私の中で拒否反応が出るようになった。
悪い人ではなく、善意の方だとわかっているけど、
でも怒鳴られ罵倒される時って、どす黒い怒りのかたまりから襲われる。
普通の時でもふとそのシーンが思い出されて固まってしまう。
あれにはもう耐えかねた。「私もう無理です」とソーシャルワーカーさんに泣きつき、
入っていただき、少しとりなしてもらって、あと数回どうにか耐えた。

過去のことになったが、私の中には、男性から怒鳴られるシーンが色濃く残っている。
男性の大きな声がますます苦手になった。
私に対してでなくても、男性が怒鳴っているところを見ると身がすくむ。

理由はどうであれ、威圧的な態度や暴言は立派な暴力だ。
それがあっていい理由はない。
でも立場が弱いと、回避できない。
そこに水を注せば、また新しい火種ができる。
どうしたらよかったんだろう。

相手は変わらないから、自分を変えろと言われるが、よくわかるが、うまくできない。
「宇宙服を着るように」とはよく言われるけれど、
いつもいつもそうしてシールドしているわけにはいかない。
特に感受性は私の大きな武器(取柄)なので、
生かしたいが、シールドするとそういうのまでシャットアウトしてしまいそうで。
うまく立ち回るには、どうしたらいいんだろうね。

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という投稿をFBにしたら、思う以上の反応があった。

上記は、今のことじゃないけれど、夜中に学生Sちゃんのお悩み話を聞いていて、
言葉の暴力ってあるなぁと思っていたところ、
その際たる例として嫌な過去が思い出されたのでした。

他者は変えられない。そもそも悪意で迫ってくるかどうかもわからない。相手に悪意はないのに自分がそう受け取ってしまうことも問題。そもそものところで、内容以前に相手にそういう威圧感を与える攻め方をする人を私は好まない。
だから余計にいやだと思ってしまうんだな。

友人からDMをもらい、アドラー心理学の「他者の課題を切り離す」という言葉を聞いた。
ここ数年、それはよく聞いていたフレーズだった。
他者からの表現も含めた圧力や介入は、他者の思いだし課題だ。そこに自分が介入する必要はない。
それはよくわかる。愛情がない場合はそれはやりやすい。
自分の感情も自分の課題なので、相手に投げたところで相手からの反応を期待しないでいれると平和だ。
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自分の中にある感情も他者と言える。自分の中の他者だ。
私の中ではなにかを決定したり行動する際に、感情が結構な割合を占める。
その感情は感情として味わい、そのまま行動や決定につなげない方がいいと言われてきた。
それはそれで正だと思うのだけど、そうもいかない時もある。


私をはじめ女性は、一旦受け入れてしまうし、論理的にそれが正しいんだろうと思うことについては、違和感があっても意見を出すひとのことを優先してしまう傾向にあると思う。
代替案というまでのものがないものだってあるわけだから、その違和感を言語化できないこともあると思うんだけど、それをうまく説明できない。で違和感が残る。かつまあ言ってる意味は理解できるので、一旦受け入れる。
違和感は、一旦そこでふたをされるが、ふたの下でふつふつと発酵を始める。発酵して大きくなって蓋をしたから押し上げる段階に来たら、もう止められない。だけど自分じゃ蓋をしてるからその下で発酵しているだなんて思いもかけない。

自分もわからないものを、他人にはわかるはずもない。
自分がしっかりその気持ちに気づいてあげないとね。
問題解決できないものは見ないようなところが私にはあるように思うけど、
どんなに小さな気持ちだって、私の気持ちなんだよね。ああ、納得できてないなとか、いやだと思ってるなとか、めんどくさいなとか、特にネガティブなことは見ないようにしている節はあるな。

そういうのを外に出すことを嫌悪されてきたからってのもあるな。親とか人目とか。
安心できる場所でしゃべるってことを、どこかでしたいなぁ。その安心できる場所をどこに見いだせるんだろうか、私は。

安心できる場所で自己開示自己解放できたら、他者の課題を切り離すことができるようになるのかな。なるような気がしてるんだけどな。

 

伝わらないもどかしさ

私の選択は、結局のところ、したいかしたくないかに尽きるようだ。
好きか嫌いかともいえる。
好き嫌いや感情を仕事に持ち込むなとは、ずいぶん言われたことがあるが、
でもさ、人間ですもの。好き嫌い、したいしたくないはあるんじゃないのかな。
それを、組織では、とかいう方が私は信用しない。

と書いたとたんに、もうビジネス社会では生きていけない人になるんよね、私。

その組織を作ってるのは誰なん?男でしょ?
あんまり男性批判したくないけど、あまりにも今の社会って男性に都合がよすぎない?
男性が、男性の特質である論理性で物を語るならば、女性の共感力のような女性ならではの強みも共存できる世界にしていけば、補完し合える強い組織、強い社会になると思うの。

でも、既存に生きている人には、そんな言葉が通用しない。
「そんなこといったって、あなた資本主義を変える気?」
「今の社会の中で生きていくことを考えなくちゃ」

私もそれは一理あると思って、だから頑張ってきたんじゃない。
向いてないけど、ロジカルシンキングもやってみたし、講座の企画も頑張って望まれるものを作ろうとしたよ。でもなんか違う。なんか私のしたいのと違うんです。
違うからしないのかというと、すべきだろうとは思った。でもね、ずっとの違和感が私をもう立たせるのを辞めたの。
生きるか死ぬか(精神的に)迫られたの。

世間的には、男性のやり方でやるのが生き残るには一番いいんだよね。
でも私はそれが一番自分にかけているところで、
それを埋めないと自分には価値がないと思わなくてはいけない今の社会の在り方に大変違和感がある。
それを埋める努力をしないと、わがままだと言われる。
でも、だってそもそもそんなところで上に上がろうなんて思ってないもん。
それが、今回の連続嘔吐下痢症状で、はっきりした。
私は今の仕事がしたくないのだ。
違和感を思いっきり感じているとともに、そこで自分のやり方でやることが認められない=自己否定という図式をどうしても崩せなかったのだ。
頭では、わかっている。こうしてチャンスをものにすれば、実績も上がり評価される。ぎりぎりな状態でも私はやれるだろう。フォローもあるだろう。
でもこのところ、やってもやっても達成感がない。できた感じもしない。
自信になったか、ならないわけではないが、ステップアップのステップにならない。なんでだろうかと考えた時に、自分のキャリアアンカー、自分の志、自分のLead the Selfと紐づいていない、納得感の少ない自分に気がついた。
自己肯定感が高まらないのは、肯定されない環境で仕事をしてるからだ。
それでもいい、お金を得るためだと割り切ってきた時期もあった。
その時は関与も少なかったけど、今は違う。社員として、があまりにも大きかった。
まあ、いい。今はもうそれは終わりにすることになったし、あと1週間で残務を切り上げればよい。
結果的に消去法。

これはよくないと言われたけれど、でも生きていくを選んだので、消去法ではないね。

結局、今の自分が満足するということをおろそかにしては、前にも進めない。
やりたいことできることからはじめ、調子を出していく。やりたいことができる環境なら、多少の+αくらいできていく、その経験が力になることはある。
だから、飲み込むくらいの大きな流れを作りたいわけで。自分の中でね。
今はそこまで至っていない現状にあるのでしょう。
だから自分に回帰しないと、どうしようもない。

こういうの、男の人にはちっとも伝わらないんよね。
いえば言うほど絶望感を感じるので、辞める決断をした時には納得できそうな理由を見つけて言うことにした。それはそれで誤解を生むんだけど、仕方ないね。

娘が戻っていった

娘のツイッター

たくさん涙が出ました。

元気で。って手荷物検査所まで送ってくれた両親。見えなくなるとやはり耐えられず、トイレで1人こもって号泣。そろそろ行こうと思ってパッと何気なく検査所の向こうを見ると、まだそこに両親いて、ゲート通る時ほんの一瞬しか見えないのにずっと居たみたい。
涙は枯れないね。

 

読んでホロン。
こっちだって涙出そうなのをごまかしながら立ってたんだから。
いつになっても、小さい娘を送り出すようなそんな心境になります。

体の大反抗が始まった・・・

昨日からまた嘔吐下痢に近い症状が出てきた。年末にひどいのやったばかり。
又かと思ったが、これまでと思い方がちょっと違った。

病気は私につきものである。こどもの頃から体が弱かった。
そしてこの数年、急激に体力と抵抗力ががくんと下がっている。
年齢もあるのだろうけど、それなら私と同じ世代はもうバタバタと逝くはずだ。

そうではなくて、体の大反抗が始まった、、それは直感的に思った。

もう逃げられない。でもどう対応すればいいのかわからない。
ここ数日、その予感がしていたのだろう。不安感が増していた。体調が悪いことが不安につながるが、それだけではない。単に体調なら、薬や病院に行けば治る。
でもここ数年それでは治らないことを数回体験していた。私が私との戦争をやめなければ、体はどんどん私に戦争をしかけてくる。それは先日カイロで渡された本にも書いてあった。
本はこれ。

そういえば、娘のためもあってセッティングして行ったカイロでは、
私は寒くて寒くて仕方がなかった。体を調整してもらってるんだから、温まるはずと、勝手に思って、他人にその感覚を伝えずに理解してもらおうとしていた。これ私の悪い癖。伝えるのを躊躇してしまう。私はどうだ。どういう状態だ。どうしてほしい。私はこうしたい。これを言うのにすごく躊躇する。
なんでだろう⇒めんどくさいと思われたくない。⇒聞き分けがいいと思われたい
⇒誰に?⇒母に。
やっぱり母なのかぁ。

話は戻って、まだそういう風に「そうなんだろうな」と思うくらいならまだ余裕があって。今日はもう無理だった。
どんどん調子が悪くなっていく。でも義母も来ている(義母が来る時に具合が悪くなるのはよくあること。抵抗感が増すのだろう)、娘は成人式やし、ここで寝込めない。
そして櫛田さんへ。神社参りをすると私はあまり調子が良くなくなる。でも、もうそんなこと言ってる段じゃなく、具合悪い。もうこれは神頼みしかない。そもそも神様にまでなんか格好つけてしまってたのかもしれない。ここは素直に言った。「神様、健康にしてください。健康になります」
娘を会場に送り、義母を駅で見送り、帰宅していよいよ辛い。自分の次の瞬間に自信がない。夫にも「また嘔吐下痢かもしれない」と伝える。「こないだなったばかりなのに、また?」そうなんだよ。だから、ウイルスは結果的。ひき起こしている原因は自分にある、多分。

不安になる。むかむかする。もうこのままでは無理と思って、T先生にチャットで伝える。
・具合が悪い。嘔吐下痢的な症状。
・不安感が強いので、辞めていた薬を使おうか悩んでいる

先生からは、「仕事の件?」と聞かれる。
直接的には仕事のことがストレスになっているけど、それは本当は大きな問題ではない。本当の問題は、自分と闘いモードになってしまう自分。自分を大切にできてない自分。
でもそんなことを言っても相手には伝わらない。
・今の仕事は私にとって、プレッシャーが強い、今の状態を直接的に作っているストレス。これまで、チャレンジとして一つ一つクリアしてやってきて、どうにか終わらせてきた。でも、なぜか苦手感がある。

・鬼ごっこしてギリギリ逃げ切ってるけど、後どうすればいいかわからなくなってきているのが今の状態で、ふんばる気力も落ちてる感じ。
このざまじゃ体も心も壊れるかもしれんという不安がある。
・この不安を感じ切ったところに行ければいいんだけど、私自身のやり方をじゃあどう変化させれば良いのかがわからない。
・できることじゃないことをやってるからなんだとは思う。
・一年間は頑張ってみようと思っていたけれど、会社がまたスピードとかいう方針になったから、余計にプレッシャー厳しく感じてしまって。
・病気になるしか逃げ場がないから病気になってるのかも。

ここまで、自分が思ってることを出して、ベッドに寝込んだ。寒くて辛い。
直感に出てくるワードをFBで検索してみる。
するとOさんのところに、Nさんを紹介する記事が。

 

Nさんのブログを読んだ瞬間、、、

これ私だ。ここにおった。

私の様子が言語化されていました。

■Nさんのブログ
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私は本来、ゆったりしたいのだ、と。

頑張れば、なんでも出来ると思い込んでいました。

それを全部手放してみたら、

私はなんにも出来ないことに気づいて

なんでも出来ることにも気づきました。

(中略)

その度に「したほうがいいのかな‥」ってまだ若干揺れる私もいて。

お客さんのために作るランチ、とりあえず作るごはんは、カフェを本当にしたくてやっている人にも、来てくださるお客さんにとっても失礼で、何より私に対しても失礼で‥。

私のエネルギーがね、魂がね、ランチにはもう乗らないことがわかってしまったんです。

(中略)

私は製菓学校を出ているわけでもないし、誰かに習ったとかもぜんぜんなくて、完全に独学です。
パティシエのように綺麗には作れないけれど、自分の中にボーダーラインがあって、そこに達せなかったら、全部捨てるんです。

今の私の完璧をお届けしたい。そこは妥協したくない。心を込めて作ること。これだけなんです。

私はエネルギー交換が好きなんだ。そう気づきました。

お菓子にエネルギーを込め、アクセス・バーズ®︎でエネルギー交換をし、素の私のままのエネルギーでお話会をする。

本当になんにもしなくて、私のままでいればいいんだ、何かをしようとしなくていいんだと分かったんです。

やりたい時にやりたいエネルギーで遊ぶ。

私はこの遊びが好きなんだと分かったんです。
====

自分のもやもやが言語化されているのに気づき、
自分が何にもやっているかを少し整理することができました。

私はゆっくりしたいんだ。。。(って言っていいんだってことにも気づいた)
頑張ればどうにかなるって思ってた・・・(そうなんだよ。根拠なく)
何でもできない自分が苦しかった(これは直原因になってる仕事の現場において。これが原因で自己否定が強く起こっている)
何でもできるかどうかはまだピンとこないけど、
私が不安を取り除くために手放せなかったものについては、
自分さえあれば、手放してもいいのかな、
いや逆に、手放さないと自分にまたプレッシャーかけてしまって、フォーカスできない。
手放そう。大丈夫。なんだかそう素直に思えた。決意させてくれたNさんの文章でした。

これを読んでから、自分で結論を出したので、そこから少し落ち着きました。
手放すことを決めると、すっと軽くなる。ということは、これはかなり重かったのでしょう。


これは、健康になりたいと強く願ったから、こういう荒療治に至ったようにも思えるわけで。
この後、Sさんともチャットで話をする中で、ああと思ったことでした。
櫛田様の効果の速さに驚きます。
まだいろんなところに自分の問題の根深さを感じますが、
ざっと羅列。とりあえず今日はここまで。

大原因と状況:
    自分を認められない自分
    自分の好きを封じ込めている自分
    もっと自分の好きを出して、やりたいことをすればいい
    でもできない。社会的なこと、他者、置かれた環境でのことを考えてしまう。

中原因と状況
    言われることやこうしたほうがいいという他者がいうこともよくわかってしまう。
    だから、そう思ってるならば、と受け入れる自分がいる。
    自分にそれでもこうしたいというのがその時にないというのもある。
    それでもこうしたいがある場合も、

    仕事の場合は、男性的(論理的)に説明できなかったり、

    稼げる方策が提示できなかったり、要は今の社会では通用しないと判断されるので、

    ますます自信がなくなって、迷いに入る。
    逃げることはチャンスを捨てる事のような気がしていた。
    逃げることを否定されると思っていた

    ⇒チャレンジし続けないことは悪だ、評価されないと思っている。

    できなくてもチャレンジし続ければ評価してもらえるという思い込み


直原因と状況:仕事が大きなプレッシャーになっている
    そんなに難しくなさそうな仕事さえ、時間がかかるようになる。
    仕事が増えるたびに、常にプレッシャーを感じる
    仕事自体が嫌いなわけではない。必要だとは思う。
    でも自分の中から湧き出てくるものとは違うやり方が、

    すんなり自分の中に入っていかない。
    自分がやりたいことって何なのかわからなくなっている
    できない自分を認められない⇒会社のルールにも徹底できない自分がつらい
    
    
    

お母さんみたいな立派な人になりたい!

いや、びっくりした。
昨日娘と長電話をしていて。
彼女は、最初からそのことを話したいと思って電話してきたわけではないんだけど、話しながら自分の思いが言葉になってきた感じだった。
大体何となく電話した~って時にはそう。なんかためてるのがわかる。
長年彼女と付き合っているカンですかね。

仕事の悩みです。
彼女の話を聞きながら、女性が思うようにキャリアを積んでいくってホントに難しいんだなとつくづく実感させられる。自分も経てきた道だから、よくわかる。
経験しないと実感しないという事実も。彼女にしても私にしてもそうなんだよね。

彼女は高卒で社会に出てるし、高校時代もアパレルでバイトしてたので、私よりも社会に出るのが早いんだけど、非正規なんだよね。一度正社員になったのに、社員さんの風土が合わなくて半年くらいで辞めてしまって、非正規。
やりがいはある、仕事も嫌いじゃない。でも人として扱われない。これがきつい。

まあ、彼女は自分の中で結論は出ていることに気づいてるので、後は自分がどう在りたいかの整理かなぁ。
それって、今企画している女性向けの講座の内容にぴったり!←ちょっとやらしい
帰省中に一緒に整理しようねと言って電話を切ったけど、「これは棚卸をして彼女のキャリアアンカーを一緒に掘っていくと面白そうだわ」とちょっとワクワクしてる(笑)
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上記の文章は、昨夜の私のFB記事を少しリメイクしたもの。
今朝、娘のツイッターをみたら、彼女はこんな記事を書いていた。
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お母さんと長電話。やっぱりお母さんだなー。ストレスの元話を吐き散らかした。聞いてくれてすっきり。お母さんの言うことは本当に毎回納得できる。私の性格を知ってるからこそ!何年か前まではお母さんの言うことうるさいなーって聞き流してたのが本当勿体無い。お母さんみたいな立派な人になりたい!
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ええええ~、おかあさんみたいなりっぱな?!
立派とか言われたことがないし、思ったことも一度もないんだが。
んで、もったいないと?

そういえば、1月にLSPファシリテーション講座で出会った吉田のなっちゃん。中学3年生。お母さんもレゴのファシリをされてて、「おかあさんを尊敬してる。お母さんみたいな立派な大人になりたい」というのを聞いてこれまた驚いたことを思い出した。
====こんなことも書いとる
もっと私にはできることがあると思うんだー、やっぱりやりたいことしたい!好きなことで生きていきたいね!ダンスもしたいよ本当はー。
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そうかそうか、娘も素直になってしまったもんだ(笑)あの高校時代のナイフみたいな彼女はどこいったんだろう?どっかにいったのか、まるくなったのか。
まあ、とっても嬉しかったんだけどねっ笑
だーって、彼女の高校時代、私の暗黒の時代だったんだもん。学校からの電話呼び出し、ほんとにもう。

だから、山形に出してよかったなと思うんだ。
家に居て近くに居たらね、わからないんだよね。
さて31日に彼女は帰省しますが、その間でどこまでこの手の話できるかなぁ。
酒も飲めるようになってるらしいので、のむのかぁ?

 

大いなる違和感。

私、所属する会社では、教育事業担当者として、某「働く女性向けの講座」の企画を作っているのですが、これがね、正直なところ、ピンとこないわけです。

この企画をしたくない〜ってのじゃなくてね、逆にしたいんですよ。
だって、働く女性で、一番困るのは、企業の中で仕事がスマートに効率よく確実に済ませられないこと。上司や同僚の何気なプレッシャーだったり、で幾度も振り回されることしばし。社内プレゼンでは、当然のようにご質問(ならいいんですが)、ごいけんまで。あんまり歓迎しないごいけんが多いですな、だいたいのところ。
こういうの、にっこり笑ってそうですね、で終わらせられればそれでよし。でもなかなかできません。

少なくとも私自身が迷える子羊状態だからなんやと思う。


なんなんでしょうね。
で、発表の時に、あなたの考えは?と言われていうと、そうじゃなくて、プラスイメージのものを、、。でないということはイメージがないということ?自分の言葉で語ってほしい。。。などと言われるわけですが、私たちとしてはあるわけです。で、プラスイメージのものも出せはします。でもそこの部分は本当は自分で考えて行動してほしいところ。私たちは、こういうのはNGってことにしてみませんか?と言ってみただけなんですが、そんなこと俺は江戸っ子やからできっこないとか、そこまでダメなら仕事できない、、、ええ!!それ、社長や会長が言ったらダメくないですか?


なんてのが、社内でやってる中、こういうのが起こるわけですよ。
うちはコンサル会社なので、社員は非常に論理的にかつかつ攻めてきます。
方や感性の女ほとんど手ぶら武器なし状態。なので、言われるままです。納得はしないけど、たたみ込まれる感じ。正論だし、それで行かれるとなかなかカミつけない。そうまで言うなら代替案は? イメージわかないんですってば!

ゴールはわかるよね。
例えば部長が「こんなカレー」とオーダーする。
タイカレー?ドライカリー?お肉と野菜ごろごろのカレー?
そのすり合わせを事前にしておくのですって。そのカレーはどんなカレーですか?ジャガイモは入ってますか?
すりおろしで入ってる?
人参は半月切り、玉ねぎは横スライスでハンタマ。

というふうに、確認をしていくのがレシピというらしい。(比喩です。カレーの話は会社ではしませんからw)
仕事の確認の際に、まず打ち合わせが必要だと思うのですが、その時に正確に確認をしておくということ。そこがまずあってないと、出来上がってきたたたきをたたかなきゃいけない結構激しく。

ママ、そういうことを講座でやってみるかという話になってるんだけど、
私自身が違和感。
やることのコンテンツがじゃない。

そんなん男性もしてるの?
だったらなんで男性はそういうオーダーの出し方をしないの?
それが上司にできてるのなら、上司から下に降ろす文化はなぜ出来ていないの?

生き抜く術ってのはわかる。でもそれってお互いがルールにしましょうじゃダメなの?

わかりますよ。そのレールが決まるまでに潰れちゃうかもしれないんだからね。

今の仕事の仕方に馴染むようなプランはわかるのよ。
今の仕事に直接的にコミュニケーションして、毎日をサバイブ。それはそれで必要。

でもさ、それって本質なのかな?

そもそものところって、女性が辞めるとか少ないとか、何かしらいっぱい悩みを持っているはずよね。それを女性の話を聞いて共感を得ながら、自分のキャリアアンカーはどんな位置付けにあるかを考えるそれはわかるし、異論はないの。自分で作ってるし。

でもそのあとなんだなぁ。

それはね、必要だとは思うのよ。でも、それをしないといけないかというと??
何が別の案があれば。。って言われるけどないのよ。

イメージがつかないだけなんですが。
つながり案が浮かぶぐらいなら出しますが、そこが見えないから悩んでる。

企業に持ち帰るものを見せると言われて、なるほどとは思う。でも自分がそれをやって理解できるのかなぁってのは???今はピンとこない。実際の例を見ていないから?
単純に、あんまり関心がないから?

どっちかっていうと、みんな悩んでる。何でこんな状態になるのかな?そもそも社会の構造がおかしくない?何で母親ばかりがこんなに大変な状態でアップアップしてんの?この状態を変える力をっていうのではないの?

ただ、そうしてしまうと企業との戦いが勃発してしまうので、できないんだろうなぁ。

けどね、基本的に男性が持つパワハラの可能性って、結構あると思うんです。

役割とかもそう。そんなのを女性の問題とか被害妄想とか言われるのって、、どうよ。そこはね、仕事であるならっていうのはわかるけどわからない。仕事ってなんなんでしょう。今のあり方って本当にいいの?私ができないだけなの?

私は、本音としては、会議の場でちゃんと喋る人のバランスを100:100とできる全員が発言できる会にして、誰でもが主体的に意見が言える場にすることが先決な気がしています。これって、男性女性に関わらずの問題として。
会議で、挙手が上がらない人を責めるのではなくて、手が上がらない環境を作っている上司や周囲が悪いという風に変えていくのがベストだと思うのです。

実際そうではないのかな。個人を責めすぎてないでしょうか?こうあるべきが、もしも職能的にあるとしても、マネジメントをまず疑うべきじゃないのかなぁ。
女性に戻ると、もちろん女性もやれるならやっていいと思います。ただ、出来ていない対象者を責めるのではなく、みんなでそこは考えるべきなんじゃないかなぁと。

今回の講座には、そこは壮大すぎることと、クライアントのメリットを説明できにくいので(将来的にはメリットはあると思いますが)入れないのですけど。

今回は、企業に仲間的に思ってもらいたい訳で、そのための策と割り切れればいいんだけども。

まあ、私がグジュグジュゆーてるだけなのかもしれない。
それならそれで、私以外の人が好奇心持ってくれて講座に来てくれるんなら、
良いのです。ニーズにあっているということだから。
ただし、その講座に私が心情的にがっつり入れないところが難点。
それはきっと、私が自分がやりたいと思ってやってるものではないから。

そこがいつも勘違いされるけど、やりたくないと言っているわけではないのです。

私はこれに関しては、自分のイメージがつきにくいのが気になるだけなのです。
だってイメージがつかないのに、説明なんて出来ない。
(こういうの、仕事ができる人はどうしているのだろう?仕事の顔(頭)と個人はうまく分けられるの?)
なので、自分がメインで関わることについては、問題視しています。

納得する人が回したほうが絶対いい。と思うんだけど、それじゃダメなの?
責任者だけど、愛ないけど、いいみたいな、、なんだかそれって虚しいなぁと思うんだけど、みんなそうなの?