ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

機嫌が悪い〜価値観からの抵抗?

今日は朝から不機嫌でした。
思えば前の日の夜の寝つきがスムーズでなかったこと、寒かったことも
要員としてあって、夢見が最悪でした。
全てにおいてうまくいかない、いやなことばかり。責められる。
という夢。
寒くてお腹も痛くて、、電気毛布とカイロで暖をとり、
トランコランというお薬をのみ、お腹もやっと落ち着いたところです。

薬を使うことに罪悪感があるのですが、ここはもうお薬に頼ります

昨日は調子良かったのにと思い返してみると、
昨日のともこ先生の素直セミナーの視聴で、私の土偶価値観が反応したのではと思っています。

今日は機嫌の部分を再視聴してみようと思います。
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本日のともこ先生のメルマガは、そんな私にダイレクトにくるものでした
頑張り屋さん過ぎるんです。
頑張らないと価値がないとおそらく土偶は思っています。

「これだけやってもまだ、自信がない」
「わたし、まだまだ。全然ダメなんです」
これ、私もそうです。
そして「ちゃんとできない自分に絶望」します。

小さい時には大人になることが望みでした。
自給自足できることが自信になると思っていました。
なんでもできる自分になれば、自信がつくと信じていました。
そのためには、しないとできない。努力をすることしか幸せになる道はないと思っていました。

いろんな経験をしました。結果それが繋がって、現在は人が羨む大学の教員の仕事もしています。
私的には大学は非常勤ですし、いわゆる正職員でもないので全くすごいともなんとも思っていないのですが、
人はそうは思わないようです。羨ましがられ、すごいと言われ、そんなもんかと思っています。
ああ、でもともこ先生が書かれていたように、
大学で教えているんだからもっとできるようにならなきゃってのはあるかもしれません。
論理的思考が足りないと思うコンプレックスはその一つかもです。
できるに越したことないし、その方が楽になるとも言われるのですが。
 
 
自分は自分の好きな仕事ができているので、この仕事はありがたく、私ができるものだなと思っています。
でも同時に、この仕事に固執する必要もないかとも最近思っています。

10年やってきた中で、今年いくつかを手放すことになりました。
例年この時期はプロジェクトが入るのですが、
入らなかったので、私も自分の体を見直す時期とタイミングとしてはバッチリ合っています。
そういう点では、すべてうまく行っている感もあります。

話は戻りますが、ともこ先生のメルマガにあった
24歳の女性は私そのものでした。
呼吸が浅いと指摘されたのは4年前くらいでしょうか。驚きました
肩に力が入っていると言われて驚きました。
ピラティスのレッスンで肩の力を抜くように指示されて、自分は抜いていると思っていたからです。

痛みにも耐え、体をよくするために酵素ジュースを飲み、本を読み、健康を保持するためにピラティスの宿題をやり、
体のために今毎日が頭がいっぱいで。
でもとても疲れます。
なんのためにやってるのって。
体が一番元だから、体をよくしないとやりたいことできないからって、
頑張ってきたのですが、どうもうまくいきません。
自分の体の声からのことをやってないからなのでしょうか?
 
やけにならないように、、と思いながら進めています。
自分の突発的な行動が正直怖いです。
自殺しようと思ったことはありませんが、
そういうやばい状態に入りたくないと思って必死になってるところもあります。

” 自信 "​というのは、 " 自分に対して信頼・信用を積上げていくこと "で 得られるのです。 
自分に対しての信頼や信用がないのでしょうね。
信頼したいんですよね。

お腹が空いたようなので、ちょっとご飯を食べてきまーす。