ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

建設的ではなく、面倒なこと

なんかこうね、いろんなお付き合いがあって、その中でコミュニケーションを図っているので現状の我々の世界ですが、めんどくさくないですか?

いや、実際にね楽しいことはあるのですよ。
で、同じテンションでやってると、そうじゃない人が出てきて。
特にSNSはやっかいですな。
ちょっと意見いうと、ガツンとかみついてくる人。その昔、仕事でいました。お局と言われていた人(まあそれはどうでもよい)。「そんなこと言ってできるわけないのよ。前もこういうことがあって。簡単に言わないでよ」みたいなことを編集会議で言われ。
いや、そんなこと知らないし。意見を言ってと言われたので言っただけで。
その時は編集長が、とりなしてくれたなぁ。
そうそう。とりなす人っていうのが必要で。

今回もかみつかれたので、戦う気力もメリットもないと思った私は、事情を説明し、「でも何も知らない私が出過ぎてしまったんですね。申し訳ありません。みなさんが不要と思われるのでしたら、取り下げます。申し訳ありませんでした」と、ぐーっと下がったら、ほかの方がとりなしてくださった。
もういいやと思ったけど、とりあえず準備をしてみた。

さっきのFBでも、学生の状況について憂いと悩みをやりとりしていたら、「こういうところで議論すること自体が彼らにとっては公開処刑のようなものである。」という意見の方が。意見はいろんなのがあると思うので、それ自体は想定内ではあるが、ただし、それだと学生を理解しようとする側と学生がいつまでも歩み寄れない。で、いいよいいよとばかりいって、ると妙なずぶずぶ関係に陥ってしまうのではないかと思ったりする。それは、私のやり方としては避けたいな。
目指すところは同じだと思うけれど、そのやり方が違えば、また動かない派からすると動く派である私のような若干過激な言葉も入れ込む形は、彼らの意図に反するのでかみつかれるのでしょうね。
難しいけど、これにも正解があるわけでもないような気がする。いろんな学生がいるし、アプローチの仕方は多様。アプローチの仕方を教員同士が共有して、学生に〇〇先生のとこに行ってみたら?と合いそうな学生を回すというのはありかもな。

まあこの手の議論は、人格までは攻撃されないので、そこは救われている。
後、その話しが建設的な話かどうかでも。。。建設的な話以外は、関係性はほぼ作らずにさらりと流す。時間ももったいない。

前者に書いた話は、部活の懇親会の話で。その懇親会が明日の夜。
数時間でサクッとお役目だけを終えて、帰ってきて飲みなおしだなー。

美味しいつまみを
あー近くにちょっと飲みに行ける女子友がいるといいのになぁ。
超忙しい子しか福岡おらんし。いけそうな子は関西関東。
ネットで飲み会かぁ。