ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

新年初ブログ。

今日は、2025年1月16日。

2025年になって、もう16日も経ってしまった。
というか、1月も半分過ぎちゃった。
あっという間とは思わないけど、日々を刹那に暮らしていると
そんな感じになっちゃいますね。

母の一周忌が済んでいないので、昨年は喪中はがきを作った。
そういうわけで、年賀状もほぼ来ず、新年のあいさつもそこそこに済ませた今年の幕開けでした。
昔とは違うし、母は初盆も終わったし、納骨もできたし、すっきり喪は明けた感があるのだが、それでも新年に「おめでとうございます」という気があまりしないのは事実だ。
理由はあまりわからない。
気乗りがしないだけだ。
だから言わない。逆言い訳で「喪中なので」としておいた。
これ、とてもいい言い訳だった。

松飾も鏡餅もお屠蘇もなかったお正月。
でも、思う以上に気が楽だったのはなぜだろう。

毎年ちょこっと思うのだけど、新年があけると、なぜおめでたいのだろうか。
「今年もなんだかんだあったけど、歳を越せたね。新年を迎えられたね。おめでとう」という、健康に対してのおめでとうなのであれば、まあわかるなぁ。

・・・と、少しひねくれた感じで、今年初のブログをスタートさせてみました。

今年は、これまたなぜか目について、3年手帳なるものを買ってしまいまして、
そちらに毎日、その日のよかったことを3つ書いているので、
ブログを開くこともせずに、今日まできてしまいました。
ブログが開けなかったということは、それなりに気ぜわしかったということで💦

年末、餅つきの投稿のあとの出来事。
・29日、卒業生との忘年会。10数年ぶりの再会。これだけが唯一楽しかった。
・30日、夫、自主強制退院。無理ゲーでした。
    簡単に思っていたのでしょうが、
    今までの中で一番最悪な退院パターンでした。
    思い出すのも嫌です。
    この日だけで5回転倒。あばらを2本骨折(後日整形外科受診で発覚)。
    その位で済んだのはラッキーだと思う。おかげで眠れず。
・31日、ZOOMで振り返り会に参加予定だったが、
    上記夫の通院付き添いと寝不足にて泣く泣く不参加。
    夕方まで寝て、その後紅白みながら年が明けるまで掃除。
    東京に行っていた息子がやっと帰宅。助かる。
    転倒1回。
・1/1日、義母、義弟夫妻が来訪。
    義母が心配してきてくれたが、逆に余計に心配させることに。
    以降、転倒回数は覚えていない。夕方思い立った息子と鳥栖アウトレットへ。
・2日、夫透析。送り迎えの車への送迎がしばらく私の仕事となっている。
    息子と氏神様2社参り。
・3日、再度義母、義弟夫妻が来訪。
    義母が、夫を心配するあまり、再訪問。
    年末からの疲れがどどっと出ている。
・4日、夫透析。その間は自由なので、年末のドラマの総集編をみはまる。
・5日、そろそろ仕事も開始。
・6日、夫をタクシーで整形外科へ連れて行く。
    透析病院さんが、訪問リハビリができるよう、あちこち相談してくれている。
    ありがたい。
・7日、夫透析。仕事と総集編視聴。
・8日、息子に車を出してもらい、スーパーで食材を爆買い。
    もつ鍋とぜんざいを作る。
・9日、夫透析。歯医者に行く。雪が降り、寒い。仕事進める。
    いきいき包括センターの方との調整を毎日している。
    そろそろ方向性が決まるか。
・10日、雪積もる。こもって、あれこれやりとり。
・11日、夫透析。不調により起きれず、息子にトマト鍋の材料を買ってきてもらう。
・12日、仕事のやりとりはほぼ毎日誰かとやっている。文章少し進める。
・13日、料理の日。仕事も進める。
・14日、夫透析。訪問リハビリの事業者さんと連絡。決定しそう。
    源氏物語を読み終える。
・15日、訪問リハビリ事業者さん、契約のため来訪。その他あれこれ連絡。

夫に関しては、20日から週3で訪問リハビリが入ってくれることになりました。
少しでも回復して、一人で歩けるようになってほしい。
でないと、私は介護必須になってしまう💦
   
気のせいだと思いたいけど、さすがに私の体調がおかしくなってきている。
寝る時間がずれてしまっているのを少し立て直さないと。
疲労が胃腸に来ている感覚。
折角寛解したので、再発したくない。
介護疲れが原因なのは否めない。

とまあ、こんな感じの半月です。

半月のことを書いてみて思うけど、ドラマや物語に集中しても、
抜本的改革にはならないことがわかります。
でも、これらがないと生きていけない。

もろもろ私の手を離れ、いろんな人に助けてもらって進みたい。
今年は明るい年にしたいものです。