ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

慌ただしい。今年の10月上旬報告

さて、10月はうちの家族にとってはかなり行事の多い月です。
命日4つに誕生日2つに結婚記念日(親の)。数年前から推しの誕生日というのも加わりました。
そして今年は同級生の還暦イヤーで、大同窓会も。
その他にもイベント参加、お仕事的訪問など、結構あれこれ動いている10月上旬です。
ーーー
前回も書きましたが、夫の不調が顕著となり主治医から電話があったのが10/1でした。
それから2,3日に1回くらいのスパンで病院に行っていますが、結構波があります。
1週間くらいはもしもの時の可能性が大きいと、緊張の日々が続きました。
7日、娘の誕生日前日は、ベッド上で体をあげることもできず、かすれるような声で「お誕生日おめでとう」というメッセージをビデオに撮りました。これが辞世の句的なものになるのかな?と思ったりもしました。
9日、少し調子がよいようで、身体を拭いたり着替えをしたりができ、しかも手伝いをしたら自力で車いすに乗ることもでき、下の売店のイートインスペースでアイスやお菓子を買って食べたりも。パソコンも久しぶりに開けるようになり、FBにいいねがつけられるように。
10日には息子が仕事帰りに寄り、その時も結構調子はよかったようです。
が、今日12日に行くと、かなりダウンしていました。顔色は悪くないのですが手足が白く冷たくなっています。血圧がまた下がっているのかもしれません。電動のベッドなので頭をあげたりしつつ、いい体制をとろうとしますが、足を交差するとそれを自力で解くことができません。
咳が出ると身体疲労がかさむので、うとうとしがち。
それでも痛むよりはいい。
うとうとするので、「もう帰ろうかな」というと「もう帰っちゃうの?」と寂しそう。
「じゃあ、もう少し居ようかな」と身体をさすったりしながら過ごします。
「このまま寝たきりになるのかな…」とつぶやいたりして。
不安なのだろうと思います。自分であれだけ「寝たきりだ!」と大騒ぎしていたのに。調子が悪いと明るくなんて考えられないんでしょう。
私の性格ならもう自滅していると思います。彼の性格だからどうにか持っている気が。

先週の数日があまりに良すぎたからか、「このまま体調が持ってくれれば」と思いましたが、そうでもない。せめてたまにでも元気になる日が、「あれしたい、これしたい」って言える日が多くなるといいんだけど。

昨日は同窓会だったので、行く前に久しぶりに氏神様とお地蔵様にお参りにいきました。病気柄彼の状況がよくなることはないのはわかっていますが、「痛まぬよう苦しまぬよう、人生を全うできるよう」それだけを祈ります。
誰もいない境内で、ぶつぶつといろいろ思いを聞いていただきました。緑の中、静かな環境でこうして祈る行為は、今の私には必要な時間のようです。癒される感がありました。
ーーー
病院に行く日数が増えているので、歩数も今月グッとアップ。
まだ暑くて日中は大変ですが、真夏よりも歩きやすくなっています。
病院に行くには、バスの乗り換えが多いので、できるだけ乗り換えを少なくしてその区間を歩くように。
歩いて運動もしないと。せっかくなので運動する機会だと思っています。


明日は父の命日&推しの誕生日。
だからといって何かするわけでもありません。
できればゆっくり…ここまで書いた時に電話が鳴りました。切れたので誰かはわからず。こんな時間(22時前)の電話は怖い。
明後日の準備を少ししようかなと思っていましたが、やめて寝ます。
休める時に休んでおかねばという防衛本能が働いているみたい。






9月の振り返りと夫のこと

8月も翌月4日に振り返りを書いているようです。
このパターンは、当然といえばそうかも。
日々の暮らし方があまり変わってない証拠です。

ということで、一ケ月ぶりに、振り返りスタート!
・8月末から帰省していた娘が戻っていった
・温めていた企画を胸に、某企業さんとの面談。緊張した💦
 先方の悩み事を伺い、ブレスト。一部興味を示してくださって嬉しい。
・某企業さんとの打ち合わせのため根詰めて作業していた余波がきて、
しばらく脱力、眠って体力回復の数日。
・3ケ月ぶりに美容室へ。まだ筋が残っているので根元だけカラー。そしてカット。まだ暑いので短く。多分もう長くはできない。精神的に。
・眼科は2ヶ月に1回ほど。目薬を差していると安定。次は目薬がなくなる頃でよいとのこと。3ヶ月後くらいかな。
・元職の子たちとランチ会。企画が夫の事故直ぐあとだったので、日延べして今回。みんなそれぞれ頑張っていてよかったねと。元職では私はかなり上司に当たられていたらしい。弱い者いじめだったのね。二人とも私より後に辞めているけど、彼女たちの話を聞けば聞くほど、仕事における環境づくりはとても大切だと思える。特に上の言動が場の雰囲気を作ってしまう。いくら素材がよくてもつぶされる人たちを見てきたけど、その典型例の1人だったな。共通点は外面がよいこと。
・元職の子たちに、私の企画書も見てもらい意見をもらう。選べるコースがほしいとのこと。なるほど。ほかにもヒントをたくさんいただいた。ありがたいな。
・月1定期検診。先生の都合で1週間後に診察日を変更してたので、寝る前のお薬が足りず前のものを使っていたが、上手くリズムが作れなかった。調子が良い方の薬を再開。血液データでコレステロール値が高いのが続いている。これまでも高かったが、一部低いものもあり、バランスも含め安定していたのが、ここ半年は高止まり傾向。これはストレスも関係しているらしく、これからストレスが低くなることは考えられないので、一旦薬でさげてみようということになった。この試みは2回目。
・息子とは日曜日に時間をあわせて一緒に夫の病院に面会。自力ではベッドから車いすに移乗はできないが、息子と私とでフォローして載せ、売店横のイートインスペースに。そこで本人はドリップコーヒーを飲むのが9月の定番だった。私と息子はほぼアイス。まだ日中を歩くのは汗だく。帰りはスーパーで買い物。息子が一緒だと重いものも持ってもらえて助かる。
・15日祝は思い立って映画「遠い山なみの光」を観に。原作を読んでいたが、謎が多く、その謎が解けることを少し期待しつつ視聴。確かにひとつ明らかになったことはあったが、新たな謎も出現した。とはいえ、すべて明らかになればよいというものでもなくて。映画ではかなり原爆がクローズアップされており、また人間の記憶の不確かさにもスポットが当たる部分があった。それは何ゆえにというのを考えるのがテーマなのかもしれない。女性の自立、価値観の変化により起こった立場の逆転というテーマもよく描かれた作品。特に戦後80年の今年だからこそ響くものはあるのかもしれない。
・後期授業がスタート。今回は49名が登録(限定数50)。2年生が多く、まだがちゃがちゃな感じ。前期からの子が17名ほどいるので、少し安心感もある。彼らは落ち着いている。最初からワークを実施。説明しても頭に入りそうにないので、ワークで体感的に落とす。23日は祝日で休み、30日に2回目だったが、まだ慣れてなく、気づきも少ない。今からだ。
・歯医者も一ケ月ぶり。私の状況は虫歯の治療は終わっており、歯周病により、奥歯のポケットを観察していく状態に。私の状況は保険が効くようになったそうで、定期的にチェックや歯石取りなどに通うことに。保険が効くようになったのは助かる。
・スティングのライブにはいけなかったが、友人がカメラスタッフをしているので、いろんなTMIを連絡してくれる。行けないのになんでよ!と思うこともあったが、彼としてはまあ共有したかったんだと思う。スティングで検索したら私の記事が出てきたらしい。それもまあご縁。開き直って情報を甘んじて受けていたら、先行して実施された地区でのライブ映像に当たった。ステージ前4列くらいの席からの1公演まるまるの映像で、見終わる頃にはすっかり満足した自分が居た。それにもびっくりした。もちろんライブの臨場感は、視覚聴覚以外で感じるものが大きいのは知っている。だから行けるに越したことはない。けれど位置の関係はかなり大きそう。実際に行けて、オンラインや動画でも参加できるというのがベストなんだろうね。贅沢か。
・22日からの週はカレンダーに記載がない。多分、毎日企画を作っていたんだろうと思う。AIをいくつか使っているが、特に図を作るのにAIに助けられる。が最近、無料レベルでは一定期間内での制限があるらしく、気分がのってきた段階で終了を告げられるとモヤモヤする。

・あさがおは、昨年よりかなり開花数を減らした。それでも通算800は咲いてくれたのでありがたいのだけど。
・本も結構読んだ。堀川恵子さんの「透析を止めた日」は、手に取る前よりは読み進める方が怖くはなかったが、読後感を書くにはまだ心理的に難しいところがある。

ーー
9月の振り返りではないけど、現状。
夫の調子がかなり落ちている。
息子と行く日曜の度に、顔色が優れないのは気にはなっていたが、
コーヒーも飲むし、ちょっとしたお菓子も食べ、会話も順調だったのだが、今週に入ってがくんとレベルが下がっているよう。
ご飯があまり食べられないという話はあったが、ほぼ難しくなっているよう。
火曜夜から酸素吸入、水曜朝に本人から家族LINEにコメントが入るも文字化けが酷い。
水曜昼に、病院主治医から状況報告の電話あり。血圧が低く、透析もリハビリも躊躇する状態。レントゲンでも心不全は間違いなく、腎不全も尿はほとんど出ない、末期状況。急に落ちてきたので、ここしばらくは何が起こるかわからない、連絡が取れるようにしておいてほしいとのこと。

本人はというと、「血圧が低いからとなにもしてくれない。家に帰って訪問リハビリに期待したい」という始末。
家に帰る体力はないこともわかっているだろうが、焦る気持ちがそうさせるのかもしれず、息巻く彼には何も言えなくなる。

木曜日に面会にいったが、寝てばかりでほぼ話はできずに帰宅。看護師さんから呼び止められ、状況を聞く。食べようと頑張るが食べられない状況が続いているようで、ゼリーや高カロリードリンクをとの話に、お願いしますと言ってきた。

金曜日、それでも常食が来たらしく、本人怒っている。私に病院に電話するように要請。ナースコールを何度押しても来てくれないらしい。病棟に連絡すると件の看護師さんが出たので、ゼリーや高カロリードリンクをという話をしたら、申し訳なさそうに「先生と連絡が取れてないんです。回診が終われば捕まると思うので、昼には間に合うと思います。ご本人にも連絡します」とのこと。
前にもあったが、内部で連絡が取れずに、本人→私→病院という情報伝達がまた復活。
昼にはゼリーとドリンク到着したようで、「食べやすかった」とご満悦の連絡が入る。

夕方、仕事終わりの息子がその足で病院に行ってくれ、もろもろお世話をしてくれた。
その前に電話が入り「Lineで写真はどうやって上げるの?」と聞かれ説明していたが「できん!」となり、息子が行くのでやってもらいなさいというと、納得して電話が切れた。
その後息子経由で電話があり、本人の声は穏やかになっていた。

経口で栄養が取れていないと、力が入らないのが顕著になるよう。
パソコンが持てなくなり、ドリンク飲んで少しスマホは手にできるようになったらしいが、頭が回っていないようで、電話ができない(なぜか義母には電話でき、義母から私に電話がかかってきた→私に病院に連絡してほしかったらしい)ことも。

今朝は、Lineに写真があげられないと、なぜかSMSにメッセが入る。スクショして該当箇所に〇をつけてここから、、と送ったが、「○ってどこ?」となかなか意思疎通出来ず。
業を煮やした本人から電話。SMSの文章は誰かに頼んで打ってもらったらしい。リハビリの方に頼んだのかな?
よくよく聞くと、家族LINEにたどり着けないらしいのがわかったので、「LINE」アプリを開いて下にある「トーク」を押したら出てくるよ」と伝える。
しばらくすると「できた」と上がってきた。

パニックになると、手が思ったように動かなくなり、スマホの画面操作は難しくなるのが彼のこれまでの特徴でもある。癇癪を起してスマホを投げつけることもあった。いまはまだそこまでもないので、まだいいかという感じ。

がしかし、今日はその後も「ゼリーしか来ない」とか「ドリンクがないと薬がのめん!」とか鬼電が凄い午前中だった。ドリンクが来たら少し落ち着き、「朝はパンで、昼はゼリーとドリンク、夜はドリンクがいい」という電話に代り、「そういうお願いの仕方ができるかどうかわからんけど、まず看護師さんにいってみたら?」というと「あ、そうやね。こっちからいってみよう」と少し謙虚。食べないとカリカリするし、頭も回らないんだろうなあ。
その後連絡はきていないので、きっと伝わったのだろうと思われる。

私も今日は午前中起きれずにべっどでうとうとしていたのだけど、その度に鬼電にやられ、またうとうとすると電話。しっかり起きだすのに結構時間がかかってしまった。
雨のせいもある。

政治の話は、、今は遠いところで起こっている話に聴こえる。


8月の振り返り

もう9月も4日です。
8月は1本も書いておりませんでした💦
正直、あまり覚えていないことも多いのですが、
夏の振り返りを。まだ夏ですけども。

やっぱり8月はザ・夏です。今年は例年以上に酷暑でした。
できるだけ外に出ない生活をと思いつつ。

・前半は、前期試験の採点と評価、論文の校正がダブルで来てアワアワしていました。
・夫関連の用事。見積もりが出て支払いして、どうにか抱えていた荷物が下ろせました。
・仕事関係の業務。悲喜交々ですが、色々頑張った8月。
・車の引き取り先が決まり、手放すことができました。息子が頑張った。えらい。
・頑張っている成果がなかなか出ずに、落ち込むことも多かった。
・論文、三校が終了。やっと終わった。。。
・夫の病院でコロナが出て、面会が中止に。着替えは郵送した。
・喉痛。内科で診てもらい抗生剤とトラネキサム酸を5日服用するも全く効かず、
コロナにも効くと評判の銀のベンザブロックを試すも効かず、
10日目にして耳鼻科で診てもらうとヘルペスがたくさんできて爛れているという。
桔梗湯、ボルタレン、トラネキサム酸、うがい薬、口内炎用軟膏を処方される。(今日3日目、少しずつ落ち着いている気はする)

**
2007年秋に同じようなヘルペス口内炎になったことがある。その時は熱も出て水分もほぼ取れず、入院点滴を一週間。「それよりは食べ飲みできるから」と頑張ってしまった。
あれはなかなか地獄の苦しみだったので、もうあの経験はしたくはない。でも入院して点滴が受けられた方が楽かもしれないという思いもある。
とりあえずは、今出ているお薬をしっかり使って少しでも治していくしかない。
まあ、当時も今回もストレスが大きかったということでしょう。
当時のブログを見直したけど、よく頑張っていたなと思う。私。
誰かに頼ろうにも、どうしようもないのだから。
**

・そんな最中に娘が帰省。当初予定の5日に2日プラスして一週間ステイして行った。
人が一人増えたというよりも、娘が帰省したからなのだが、家の中が明るい。
洗濯物も食事の片付けの量も増えた。
娘も息子もあまり動かないが、それだけ安心して家にいることができるということなんだろうなと思い、まあできることを。
痛み止めと胃腸の薬を多めに飲んで、どうにか食事もかもするとビールも飲めたりする。
・娘のサプライズ帰宅の翌日は夫の病院へのサプライズ面会。娘は3回も病院に通ってた。えらい。
・娘と母が眠る霊園にお参り。真昼間だったので近所なのにヘロヘロになり、近くの芋けんぴ屋さんでソフトクリームでクールダウン。日中の散歩は本当に危険。
・弟と娘息子の4人で、昔からある餃子のお店に。
子供達は小さい頃から弟にはお世話になっているので、その関係性はずっと続いている。彼らはお互いに、気心知れる親戚縁者が少ないので、この関係性が保たれるのは私にとっても嬉しいこと。
・翌日は、家族揃って夫病院に面会。彼の病状は安定してはいるが、コロナもあってリハビリがストップしたためか、彼自身は自分で車椅子に移譲できない状態。今の病棟はスタッフも少ないようで、頼み事ができにくいよう。シャワーは良くて週1、シーツ交換は月一もない。かなり劣悪だけど、ここにしか居場所がないので仕方ない。せめてリハビリが進むと良いのだが。
・面会後、娘のリクエストで海に。久しぶりに海風にあたり、砂の上を歩いた。
・娘と息子が長崎の義母を訪ねた。私は久々の休息日。
・子らと花火。9年前も娘の帰省時にやったようだった。子がいるからできる事がある。ありがたい時間。
・娘が帰ってからと思っていたが、痛いのが辛くて耳鼻科へ。帰りに買い物。娘の好きな料理を作る。
・昔のビデオをみんなで観る会が夜な夜な実施され、寝不足。

娘の帰省でずいぶん気持ちが救われた気がします。
体力的にはなかなか大変で、今思えば、体が辛くなかったらもっと楽しめたのにと思わなくもないですが、コロナじゃなかっただけでも幸いだと思うことに。

とりあえず、思い出したことを記録。





心配事は明らかになり。

先月末に事件が起こり、まだその余波に揺れている昨今、でも少し先がみえてきた感があります。

2つの心配事のうちひとつ、の夫の病状は、まあ何とか安定。
安定といったところで、普通の人のような健康状態にはならないので、
熱中症になってない」とか「長く続く痛みはない」とかそんな感じ。
先日の23日に、救急病院からリハビリ病院に転院し、ご飯もやっと常食に。
食べれても完食はできないみたいだけど、まあ食べれるだけよいでしょう。
家に居る時にはほとんど食べられなかったし。
ただ救急病院でも食べれないからおかゆだったわけで、
かなりやせてしまったのは否めない。

今のところは文句もいわず、頑張っているようです。
前回、病室がちゃで、眠れない日々が続き、
リハビリ完全じゃないのに飛び出してしまい、
その後がものすごく大変だったので、先生からは
「もう今度は奥さんの言うことを聞かなきゃね」と言われていました。
言われたところでそうする人でもないのですが、今回はその力はないかも。
まだ数日なので、ここで文句が出ても困りますが。
環境を整えるのも、自分で頑張らないとね。
おうちの方が本人の気は楽だというのはわからんでもないけども。

もうひとつも、昨日明らかになり、、、明らかになればもう肝を据えるしかないです。

といいつつ、どこかで「なんで私が矢面に立たねばならんのだ」
という怒りに似た感情もあります。
家族だから仕方ないというのはわかります。
実際自分がその立場に立てば、代わりにやってくれる人に頼るのは当然。
でもさ、当然のようにそんな時だけ「奥さん」って、
本人度外視で連絡されるのは、、慣れたけどなんだろうなぁと思うんです。

母の時も、叔父の時も思ったことだけど。

そういう役割を自分で担ってしまう性格であることは認めます。
でも私がやればやるほど、
それが当たり前になってしまうのは、解せないんですよね。
アンペイドワークは、お金も得られない、評価もされない。
その昔のNPO時代も、地域やPTAの活動もそうで。
そのことがとても悲しい。
「あなただって、学びになるでしょ」的なことまで言われた時には、
「それはやりがい搾取です」と言いたくなる。言ってもいいよね。
その時にはそんなに感じなかったけど、
もやもやを追及していくと、そうだったんだと気づくことが多くて、
時間が経っているので、当人にそのことを言う機会もなく。
まあそういう方からは離れる戦略をとってきたのですが、
家族はそうはいかない。

別に離れたいわけではないけれど、たまには人のためだけじゃなく、
自分も満たせることをしたい。それが合致すればそれがよいし、違ってもいい。
ただ、人のために動けば動くほど、自分が置いてけぼりになってしまうのが嫌。

感謝の言葉があればいいのか?
もちろん、言われないよりも言われる方がいい。
ありがとうの言葉で救われる瞬間もある。でもなんだろう、安心が欲しい。
がむしゃらにやってきたのは、やらないと生きていけないから。
誰かに頼む余裕や頼む先や工夫を考える心と頭の余地がほしい。
「安心が欲しい」というと、それは本当の欲求ではないという人もあるけど、
喜びや楽しい気持ちは、一瞬で消えてしまうの。
推しの音楽やパフォーマンスをみて、心は動くけど、
ある程度の安心感がないと、
「推しも頑張ってるから私も頑張ろう」みたいな気持ちにはなれない。
どうやっても心に悲壮感がにじんでしまう。

こんな心持ちでは、いいことを引き寄せることはできないだろうと思うので、
すっぱりと、前を向いて歩いていきたいのです。

先日、バスに乗っていた時の事、
途中のバス停から、腰が90度と言わずそれ以上曲がったおばあさんが乗車してきました。
歳をとると背中が丸くなるのは、母をみてて理解していましたが、
今まで見た中では一番の曲がり具合の方でした。
彼女は4点杖を持ち、ゆっくりと歩かれるのですが、
腰が曲がりすぎているので、首と頭が自然と下を向く。
足元しか見えていないだろうなと気になっていました。
優先席に座られるも、身体がだんだん倒れていきます。
きっと身体を保持できないのだと思います。

その方が降りられるのが私と同じバス停でした。
私が先に降りて、振り返るとその方が降りられてる途中で。
そのバス停は、降りるとすぐ横断歩道があり、
バスの前を横切って向こうに渡る必要があるのです。
バス内でも「バスを降りられたら、対向車に気をつけて横断ください」
というアナウンスがあるくらい。
健常者でも、結構気をつけながらわたります。
後方からバスを追い越そうとする車って結構いるのでね。(追い越し禁止区域ですが)

その方が周りが見えていると判断したなら、
私も声をかけなかったかもしれないのですが、
首が上がってないのがみえたので、お声をおかけしました。
「こちら渡りますか?車が来てるので、一緒に渡りましょう」と。

バスの運転手さんに合図をして、その方と一緒に横断歩道をゆっくり歩きます。
幸いにもバスの後ろからの車はなく、渡りました。
いや最後の一歩で止まってしまうおばあさま。もう前から車きてるし。
「もう一歩中に入りましょ。アブナイです」と慌てて促して、歩道に上がってもらいました。ふう。

「お宅はどちらの方ですか?」と聞くと、
そう遠くはないけど、ぐるっと回った先らしい。
その途中にあるスーパーに寄られるというので、
そちらまでご一緒することにしました。
そのスーパーは三角州にあるので、道路を横切る必要があり、
また駐車場を横切ってしか入り口にたどり着けない。

バスのパスを首から下げておられ、
バスの乗り降りもゆっくりながら慣れてらっしゃるようなので、
日常的にお出かけは良くされているのだろうと思いますが、
みてると周りの様子が見えているとは思いにくいのです。
車はあちこちから走ってくるし、
その車たちがちゃんとこの方を認知されているのか微妙。

それでもきっとご本人の意志で歩くことを選択されていると思うので、
そこで自分ができることは、危なくないように道を誘導することだと思ったんです。
実際、その方がまっすぐ行くと駐車場の車にぶち当たりそうだったし、今出ようとしている車もあったし。

その方をスーパーの入り口まで見送って、自宅までの道で考えました。
瞬発的に、身体が動いてしまう自分は、
おそらくこういうのを見過ごせないタイプなんだなぁと。
もちろん知ってはいましたが、改めてああ、、と。
なんというか、絶望に近い認知です。
こういうシーンから逃れられないんだなという絶望。
せめて自分は助けられるうちは助けたいし、助けられたいとも思う。
ただ、助ける人と一緒に船に乗って転覆することは避けねばと。

そんなことを考えた七月でした。

自分がつぶれないようにするというのがまず一番なので、こちらを肝に銘じなきゃ。





 

なかなかに地獄

前回書いたのが6/25.
読み返してみると、私はなかなか疲れていた。
少し休めば復活するだろうと思っていたのだけど、
一旦ドンと落ちると復活するのは時間がかかる。
頭が思う以上に体の方は疲れているからだ。

そんな中、事件は起こった。

私は、いいことも悪いことも事実は明らかに文字にしてきたのだが、
今回については、書きたいと思わない。
書いて現実をみるのが恐ろしいからなのか、
今までにない精神状態が訪れている。

夫が入院した。重度の熱中症で、外出先から救急搬送された。
私は警察からの電話でそのことを知った。27日の昼のことだった。
まちなかの救急病院に搬送されたので、すぐ来てくださいと言われ、
タクシーを呼んで病院に向かう。

これだけなら、何度か経験がある。
だが今回は、違う。車を運転していての事故。
それで警察からの電話のやりとりがタクシーの中でも何度もあり、加え、保険会社への連絡、その保険会社が派遣したレッカー車との連絡等々、何往復もの連絡で、家族に連絡取る時間の中でも怒涛のように電話の呼び出し音が鳴る。今までとは違う。そう感じざるを得ない状況だった。

病院に着くと、警察の方と主治医の先生とが話をされているところだったのか、もうよく覚えていない。すぐに状況説明をされて、「重度の熱中症なので命に関わる、すぐにご家族を呼んで」と言われた。
交通事故なので、外科的に重症なのかと思ったら、外傷についてはほぼ無傷だった。不幸中の幸いとはこのことだろうと思う。

息子が仕事を繰り上げて来てくれた。娘は遠方なので、一応連絡をとってはみた。私は警察と病院と保険会社とのやりとりが相変わらずすさまじいので、娘との連絡は息子が担ってくれた。
夫の弟が近くに住んでいるので、彼にも連絡をした。一番近しい存在だ。
仕事中で、しかもその時の仕事が講師業だったらしく、区切りがついてから来るとのこと。
その間に、意識が戻った夫と会うことが出来た。
しゃべっているが、まだ目の焦点がぼんやりしている。私のことはわかっているのかどうかわからない。

息子と二人で、主治医の先生から状況説明を受ける。
体内温度が42度で、とにかくいそいで下げる必要があるので、対処した。現在38度くらい。体内に冷却用の機具を入れて冷やすことも考えられるが、それには人工呼吸器、喉切開が必要になる。一度人工呼吸器をつければ、簡単に外すことはできない。延命治療は本人・家族は望むかという問い。
本人は、以前から延命治療は望まないとしてきた。
ただそれは、最後の最後のところでの判断のつもりだ。
どこまで復活できそうなのか、それ次第では下手に先走ってそんな処置をしてから、もう戻れないという後悔はしたくはない。
とはいえ、もう長く苦しんできたので、更に苦しむことはさせたくないという思いもある。

息子と相談し、「本人が望んでいるので延命治療になる人工呼吸器をつけるような処置はしないでいい」と先生に伝える。
結果的に、「ではできることを」との先生の判断で処置が実施され、首から管を入れての24時間かけての透析をすることで、うまく体温が下がり、延命治療的なものはしなくて済んだ。

義弟が到着し、改めて息子と3人で状況を聞く。
予断は許さないが、熱は下がり、重度の熱中症という状況からは回復した。
ただ、これまでの持病の進行が進んでいるので、あちこちの臓器に問題が出てくる可能性はあるとのこと。
この時は上階のICUに上がっていて、そこで面会。
先程よりもクリアな感じで、そして逆にいつもよりもとても元気な感じで、にこやかに笑いしゃべる夫。
緊急の透析が効いているのだろう。
気が抜ける。よかったけど。

あれだけの事故を起こしていながら死ねないというのは、やり残していることがあるのだろう。
ただ、こうして爆弾を爆発させながら生きていく彼を見守っていくのは、なかなかにこちらの精神状態も厳しいところがある。

これまでの数日も、家の中では大変だった。
不調さが隠せないような状況の夫の姿を見るのは辛く、でもどうすることもできず、
外出も止めたけど振り切られてしまい、その末だった。
そして、もっと悪い状況を私たちは知ることになった。

ここいらは、まだ未解決なので、書きません。

今の状態でも、まだ明らかになっていないことがあり、
それが明らかになった時が恐ろしい事、
そして夫の状態がまた悪化していること、
この2つが、私をとても不安定にさせる。

大きなショックがあると、やらねばならないことができなくなりそうで、
必要とされる対応については、できるだけ早めに終わらせるようにしている。
でもやってもやっても、何か解決するわけでもなく、
正直途方にくれている。

それでも、未来のためには、いろいろ考えてできることをしたいとおもうことをする準備をしなければならない。
救いは、したいと思うことのためだから。

とりあえず、今日はここまで。



たまには休息

昨日、論文の初校直しを出し終わったからか、
ちょっと緊張の糸が切れたようで。
今朝は、朝起きはしたものの、そしてあさがおの開花を確認し写真を撮って、
またベッドに戻って二度寝
夫の訪問リハビリが先方の都合で、14時からになり、
それも都合がよかった。
うとうとしながらはっと起きて枕元の時計で時間を確認することを何度か繰り返し、
12時過ぎにようやくベッドから起きだした。

最近、なんだかんだと夜の就寝時間がずれて遅くなっていた。
睡眠時間が少なければ、日々の生活の質も落ちる。
こうしてたまには寝る時間を稼ぐのは、心身のためには必要なのだと思う。

こんな状態になって初めて、自分は疲れていたんだなと知る。
身体が動けば、あまり自覚はないのだ。
そして暇さえあれば、用事を片付けようとする。自分の不安を観なくてよいように。

論文を書くことは終わり、校正のフェーズに入った。これがまた実は大変な作業なのだが、大きな直しは一旦終わった感がある。後編も考えると後1ヶ月以上はかかると思われるが、私の実績の集大成でもあり、また「こういう形態もいけますよ」という自己PRにもなるので、今はコツコツと作業の日々だ。
一旦ストップしていた就職活動も、方向性を変えてスタートしなければならない。
結構気力と体力を使い、しかも介護と平行しなければならないので、覚悟的なものも要る。
いつからこの作業に入るべきかと悩むところだが、とりあえず少しは休みたい。
今日は図らずも、身体が寝ることを選んだので、半日寝てすっきり。
大雨が降った後、カラッと晴れて、また雨。いろいろ忙しい。私の状況のよう。

今日は新月なのだそう。
最近は🌕🌑を気にする余裕もなかったな。
noteの投稿で「スピじゃない新月の使い方」というのがあった。
新月や満月は半月に1回やってくるので、何かをするのにいいタイミングらしい。
「自分にホッとする時間を決めて、時間を取って問いを持って考える日を作る」ということらしい。

note.com


5月からしゃにむに、自分のこれまでを整理し言語化することにまい進していたので、
最近問いを持って考える時間はなかったかもしれない。
レゴも触っていないし、そういう余裕はなかったので。

いい問いに出逢えないと、ぐるぐる考えるだけになるのが難しい。
上のnoteの方が主宰しているリソースNOTE部というのがあり、🌕🌑のタイミングでメールで問いが送られてくるらしい。面白そうだと思ったけれど、有料だった。
今の私にはお金をかけて何かをするのは無理なので断念。

でもきっと何らかの必要なタイミングに、出逢いがあるのだろう。
出逢いたくないものもたくさんあるんだけどね~。手放したいものいっぱい。
でも、想いとは別におそらく持っていないと不安な行動ばかり取っているんだと思う。

…時間を作って問いに答える必要が、今ほんとにあるのだろうか?
もう私、いっぱいいっぱいじゃない?
もういやだっていう自分の声を聞かないふりをしている。
ふー。

週末のライブに備えて予習しながら書いていました☟
まだオンラインチケット買えてないけど。
www.youtube.com

4月28日は初VR体験とまた救急車に乗った話

4月も最終日ですね。

一昨日は、友人とアミ活。
B★VERSE(BTS、星を歌う)IN FUKUOKAというTHE FACT MUSIC AWARDS(TMAアワード)の展示会に行きました。
お目当てはVRシアター。
「世界初となるMeta Quest 3の135台同時接続を
実現したVRシアターを提供」と書いてあります。
Meta Quest 3ってのはVRのデバイスで、おそらくこれが有能なのでしょうね。
ネットで調べてみると最低価格が1台48,400円。まあ結構なお値段です。
私の頭には大きく、机にひじをついて手で支えながら視聴しました。
Meta Quest 3ってこんなのです↓

www.youtube.com

この展示会は、TMAエキシビションってことで、BTSが出演した過去のTMAのステージ映像をVRで見られるってのがウリ。
ちなみに流れる映像は、普通にネット上にもあるものですが、さすがTMA.
カットが違う映像も入れてくれています。

以下、VR体験記。
==
私がVR初めてだからなのかもですが、
ヘッドセットをつけて、映像が始まった瞬間、
私はステージ前の最前列ど真ん中にいて、目の前には7人‼️
そして、歌いながら、目の前どころか直上で踊るんです、バンタンが‼️
VRってここまでリアルなの?って驚き‼️

ジミンちゃんの腰の細さに驚き、
歌うテテの表情に釘付けになり、
グクの笑顔とダンスに骨抜きされ、
ホビの身体のキレに圧倒され、
動いてるユンギさんに😢、
真ん中に来ると存在感ありありのナムさんに妙に嬉しくなり、
動き回ってるのでなかなか個人フォーカスの少ないジンくんを探して愛でる💜

情報がわーっ💦と入ってきて、感覚感情がめっちゃ忙しい。
ゴーグルつけているので、
周りの人の声は聞こえても見えないのが、
より没入感を引き立てます。
TMAなので、別角度からの映像もあったりします。
臨場感をより出すためなのかステージトップを撮影してるカメラさんごと撮影してるかぶりつきの映像がほんっとに良い‼️
知ってるステージばかりなのに、とても新鮮にみえる✨
これは、ほんとに体験しないとわからないやつですが、
「全員が最前列の大迫力!」という謳い文句そのまんま。
あれは何度でも体験したい‼
===
初めての体感でした。
多分映像によって、リアリティ度は違うと思うのですが、
よくあるK-POPのカメラワーク方式で、歌い踊るアーティストにがーっと接近していくカメラワークがある映像なら、かなり充足感高いです。

こんな感じのカメラワークがVR向き

今年、彼らは完全体に復活し、コンサートも実施されると思いますが、
行けたとしてもこんな良席でみれることはほぼないと思われます。
もちろん行ければそこでしか味わえないあの空気感があるはずなのですが、
いや~、でもこのVRは、視覚聴覚への刺激がものすごいので、
感情がここに引っ張られて、その体験自体も面白い感じ。
これいい!偽物かもしれないけどそれでも満足できちゃう。
よき経験をしました。

終わった後は余韻に浸りながら、キャナル内のK-POP雑貨のお店へ。
いわゆるぱちもんがいっぱいでした。
おなかがすいたので、レストラン街に上がるとちょうど韓国系のお店があったので、そちらで石焼ビビンパを。
友人と一緒に行ったのですが楽しいアミ活でした~。

友人と別れた後は、買い物をしていたのですが、
日頃日中には書き込まない夫から家族ラインに投稿が。
「ウチの中で転んだ。痛い。救急車呼ぶ。」
なんですと?

タクシーに飛び乗り、家に向かいます。
至急携帯に電話を入れるも出ず、家に電話したら出ました。
既に救急隊の方に救助されている模様。
「どなたですか?替わりましょう」という声がし、
救急隊の方とお話。
頭と肩を打っているようだが、意識ははっきりしている。
念のために救急病院に行く準備をしているとのこと。

どうにか間に合って、救急車にのせてもらって、救急病院へGO.

いろいろあって時間もそれなりにかかりましたが、
その辺ははしょり。
結果的に、頭は大丈夫、肩から第一肋骨の骨折。二番目もひびあるかも。
入院してもいいけど、車いす生活になるから足腰が弱るので、
帰ったほうがいいと思うと先生に言われ、その通りに。

仕事が終わった息子に車を出してもらって迎えにきてもらい、
2人がかりでどうにか帰宅。

今回明らかになったのは、単なる転倒ではなく、
足の機能が悪くなって、歩けなくなっていることでした。
支えないと、階段の上り下りはできなくなってる。
いよいよか、、と思ったこの事件でした。

遅かれ早かれ、、、。

まあ、今回、頭を打たなかったこと、足をぽっきり折らなかったことがよかったことでしょうか。
そして、私のアミ活が終わった後での出来事だったことが幸い。
小さな幸せですが、あるとないとじゃ大違い。
ありがたいことです。