ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

宗像大社に初めて行ってみた①

初めて宗像大社に行ってきた。

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【巡禮記_宗像大社】       
宗像三女神 
田心姫神(たごりひめのかみ) 
湍津姫神(たぎつひめのかみ) 
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)を祀る 
この三宮を総称して「宗像大社
 
日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社
および宗像三女神を祀る神社の総本社。   
須佐厳氏の先達(お参りの道案内)で
ご一緒いたしませんか?

という綾さんの企画。須佐のおっちゃんが先達です。先達がいらっしゃると、そこに祭られている方がどんな方で、どんな祈りをすればいいのかをお話くださるので、なんとなーくぱんぱんってするのではなくて、ちゃんと願いや祈りを持ってお参りに入りやすいのです。

私にとっては、このあたりの地、神社には少し思い入れがある。

私が19歳の時に亡くなった父親が、いろいろご縁があって通っていたのがこの地。
宗像大社、馬頭の観音様、宮地嶽神社

馬頭の観音様、宮地嶽神社は私も一緒に行ったことがあったが、
宗像大社だけはなぜか機会がなかった。
だから、今回のタイミングは、やっときた機会だった。

でも、参加しようと思ったのはそれだけではなくて。
これまでは、宗像大社が三人の女の神様を祭っていることすら知らなかった。
最近、世界遺産の話で、盛り上がってきて知ったくらい。

今年に入って、須佐さんに太宰府詣でを勧められたので、数回お参りしているのですが、
その中で浮島にいらっしゃるいちきしま様に勝手にシンパシーを感じてから、少し気になっていたのです、本社が。太宰府の浮島は分社なので、本社に行ってみたい気持ちもあり。

いちきしま様は、弁財天様と同一視されている神様。
財宝、美、芸能がキーワードかな。七福神で琵琶持ってる女性の神様ですね(インドじゃ戦闘の神様で性格的には違うらしい)。

上の写真のところは本殿。いちきしまさまのとこです。


で、お参りをする時、須佐さんから「これまでのあなたを通り過ぎてきた男性のことを思い出して、どんな関わりを持ってきたか、どうしてその男たちとうまくいかなかったのかを、包み隠さずいちきしまさんにお話ししてきなさい。」という指令。
「えっ、それって思い出せないかも・・・」と指折り数えてしまった私ですが^^;
「時間をかけてじっくりやりなさい」とのことで。
ホントに正直なところ、もう思い出せない状態だったりもするのです。時系列があやふやだったり、名前が出てこなかったり。。でも主要な人、思い出す人が関わりが深い人なわけで、、、お話してきました。
この作業は、自分の男性とのかかわりを客観的に見る作業。
手を合わせながらまず思い浮かぶのは、男性に対して「こんな私でも好意を持ってくれるのがうれしい」という卑屈な根性があること。
選んじゃいるんだけど、その自分の選択が途中から自分本位じゃなくなるんだよな。
なんてこともわかってるんだけど、結局は自分に自信がないことの表れで。
それから「○○さんとは、私が彼の弱さに耐えかねて関係を断ちました、、」なんてことをブツブツ言っていると、次の人も次の人も、、結局そうで、それがだんだん後になるにしたがって「男の狡さ、勝手さが目について、それに気づいたとたんにひゅーっと覚めてきた自分」を回顧・・・。

宗像大社は「祓い清め」をするところだと、須佐さんは言われます。
外から来たものとかというより、自分の中にあるものをちゃんと出し、嘘をつかないこと、それでどうしたいのかを言う場。それが祓い清めなのだと。

願いや祈りを口にする前に、まず自分の中にあるものを一旦出さないと、自分の願いが本当にそれなのかがわからないことがあります。
これが本当の願いだと思っているけど、実はそこは表面的な部分で、本当の願いは実は隠れたところにあったりする。だから、一つ一つ洗い出していく。そうすることで、その事象のつながりがわかったり、奥にある自分の思いがするっと出てきたりする。
・・・私が、仕事でやってること、その通りのやり方なのですよね。これ。

さて、ここで、一緒にお参りした方が号泣されはじめ、ああ、思いが出てくるとそうなることもあるよね、、って思っていたのですが、なんだかそれだけではないようで、
手が震えて、なんだか形相が変わっている。。。

今回、ご一緒していた霊能者
のまなさんが、除霊して正気を戻して、、ということをされて、

彼女は戻ってこられました。ああ、よかった。

何が起こってるのかよくわからなかったのですが、こういうことだったらしい。http://dragon-eye.jugem.jp/?eid=3037


その様子をみていて、怖い気持ちってのが湧かなかったなと今更それが不思議な感じ。
私の中で、封印している思いがあることを自覚してたんだけど。
それが封印されたままだからなのか、年月経って強くなったからなのか、それってちょっとわからなくてもやもやしている。???って感じ。


父が生きている期間って、ちょうど私も一番敏感な時期で、いわゆる「うけやすい」状態だった。
巫女体質とか言われていた。すぐ具合が悪くなってしまう。それが霊のせいなのかなんなのかわからない。原因がわからない。だから私は、こどもの頃はとにかくおびえていた。自分の心持では自由にならない自分の体調が怖かった。
今思えば、そういう恐れが症状を作っていた可能性もあるのだけど。ともかく「理由が自分でわからないものは対処ができないという問題」と本当にずっと戦ってきたように思う。

父は、私のそういうのも含めて、うちの家系の問題をちゃんとすると言って、
だから先祖供養をはじめ神様事をやっていた。
私は言われるままに、毎日の夢を報告したり、その神様事関係のことについていったりしていた。
この手のことをやる大変さも知っていたし、それ以上に私自身のからだが大変だったから、
神様事やそういうスピ系のものは深入りするのは興味はあるけどやっぱり怖かった。
父が矢面に立っている時は父が受けてくれるから、私には流れ弾しか来ない。
でも父が亡くなってからは直にくるようになった。

そういう時が感覚的にあったので、私は自分の中でこの敏感な自分を隠すために扉を閉めた。
意識的ではなかったけど、自分が気づかないふり、知らないふりをしてすごした。
その後いろんな機会があったが、閉じた自分だから、表面的になにをやっても何も変わらないという状態で時が過ぎた。

今回浮霊にあってしまった彼女を自分と重ねることがなかった今回に、
安心している自分と、??というのも感じている。
この??ってのは、処世術がうまく身についているのならいいのだけど、閉じた弊害が大きいから。
開くことに対する恐れが、大きくあるから。
でも、やっぱりこれかぁと感じる自分に、昨日気づいてしまった。
いや、うすうすは感じていたことだったんだけど、男性に対する怒りだと思っていたんだよね、これって。
それも確かにあるし、大きいんだけど、そのベースにはおそらくこの私自身の外からの刺激に対する恐れが一番あるのだろう。
私は巫女体質でも何でもない、とかの原因がわかってしまえば、これ自体は解消するのかもしれないなとも思ったりもするのだけど、そこらへんが正直今の私にはわからなくて。
ただ、やっぱり男性に対する怒りの中に、父親に対する思いもあって。これは昨日はっきりした。
ここに蓋をしていたのは間違いなく。
昨日父の日だったからか、、、なくなってから父の日に目を向けることなかったし、仕方のないことと処理しようとしていた私の中の辛い思いがいっしょくたんになって溢れてる感じがしてきて、もうそれからは胸に苦しさを感じていた。息がしづらい。
今回の彼女のことをきっかけに、父親のこと、父が神様事をしていた時分のことが妙にがっつりリンクして。思い出すのを少し避けていたこと、ああ、これもやっぱりみなくちゃいけないのかーって、またまた宿題的なものが増えた感あり。

本社横にたくさんの分社があって、「どこでもいいからお参りして」と言われるも、誰に何を祈るのか??なままに、見てみる。最初にあったのが「白髭神社」。
これまた父がしばらく探して参っていたところだったので、まずはここに決めた。
あとで須佐さんに聞いたところによると、白髭さんは、猿田彦さんなのだそうだ。太田さんやあまのうずめさんとセットでお参りするとよいらしい。
それから宮地嶽さん。ここもなかなかいけないので。
長く祈ってたらしいけど、何を祈っていたのか忘れてしまった。自分は何をしたいのか考えながら祈ってしまうので、何を祈ってるのか正直わからなくなることがある。本末転倒。
父とのリンクで懐かしさにハマってしまったかもしれない。自分の気持ちに正直に、、みたいなことをお話して、言いたいことを言えるようになりたいですー!と言ったような気がする。

その②につづく。



わかっていたことわかっていなかったこと

先日、ホルモンバランスヒーリングなるものを受けてみた。
(結果的には、多分いろいろ混ざっていたような)

自分で自分がわかっている時とわかっていない時がある。
これって、誰でもあること。
自分のことは主観的にしかみれないから。
客観的であろうとしても、自分の目線の延長線での客観でしかないので、
どうしても盲点がある。
そこを確認したい場合、他者にみてもらう。
他者にも癖があると思うので、今回新しい切り口の方に見てもらおうと。

結論的には、わかっていることとわかっていなかったことが、当然のようにあった。

わかっていたことで、かなり強調されて言われたのが、
「かなりの怒りがある」ということ。
そして、それは多くの場合、男に向けてのものであること。

その通りですね。

わかっていなかったことは、
「私の周りには、大天使がいる」とのこと。

ん~、気配を感じたことがないのですが、そうらしい。
おじいちゃんが来てくれてるということは、聞いたことがあるのだけど。

それから、私の中には大きな慈愛的なエネルギーがあるらしいのだが、
(これも前に言われたことがあって、私はこれを自分の中では「青白い光」だと認識している)
これと怒りのエネルギーが入れ代わり立ち代わり出てくるようだ。

このことは、なんとなく合点がいく。

それで、問題点は、この怒り。
いつの頃からか続いているのかわからない、このどろどろした怒りは、
存在を理解すればなくなるわけではなくて、いつも私の中にあって、なにかひっかかるものがあればどひゃーっと出てくるのだ。
消化しきれてないのだろう。だから残るのはわかっているんだけど、
相手がいたところで、そのことを言ってもわかってもらえない=大事にしてもらえない思いが強くて、消化できない感じ。

ちょっと書きだしてみようかと思ってるけど、、
で、ここに書こうかとも思ったけど、ちょっと痛くなりそうなので、
紙に書いてみる・・・


来週の振り返り日記。3/19-25

Happyさんのブログにそんなことがかいてあったのでやってみる。
ポイントは、具体的な行事ではなく、どう在りたいかの心のことを書く。


19日:朝から眠いけど起きれる。眠りながらでも弁当は作れる。今日の体調で1時間寝るもよし、朝から病院行くもよし、仕事を頑張ってみるもよし。
今日は大学の卒業式なので、呑む時間が死ぬほど多いが、ほどほどに。紅茶を持っていこうかな。気を遣わずに楽しい時間が過ごせた。また一年新しい気持ちで頑張ろうと思う。おなかもだいぶいい感じ。
20日:朝から公園掃除に起き、朝ご飯を食べてゆうすけとお買い物に。母宅にも訪問。
やるべきことはできて、きもちよい。体調よし!
21日:休み休み。家のことも片づける。お仕事もやればできる。気を向かせるようにしたい。
22日:東京行きの準備を進める。お天気というか気温が心配だけど、落ち着いて自分の整理ができますように。
ところで玄関の扉が変わった。新しいものになると気分が変わる。私も新しい自分になろう。扉だけでも。そしてピラティス。やると体が活性化するのはわかる。身体の状況をみながら「おお、結構いけるかも」と思うのが楽しい。究極の自己肯定!定着させたい。
23日:お仕事ディかな?やり残していることをとにかくやってみる日。こんな日があってもいい。まず積み残しのモノをやれば安心する。未来に向けての考察もきっと出てくる。ワクワク楽しみながら仕事ができるのはステキね。

24日:東京行きの準備は完璧かな?ドキドキしながらパッケージ確認しとこ。昼は先生とランチかなぁ?いい時間が過ごしたいな。ぎゅーっと凝縮した。ああ、ご飯は作らねば。

25日:さて東京に行ってきま~す。時間との勝負だけど、六本木の桜が見れるとベスト!見たい!そして神崎くん、千佳ちゃんとの再会が楽しみ。

AFPハーフディ体験記(途中だよ)

体験記の前に、その前の振り返り日記は、書いたことすら忘れていたけど(´-ω-`
まあ、外れてはいない。(この後の一週間の方がちょっと大変だった。日記を書いてないからかもしれない、、、)
ということを、告白しておいてからの、AFP体験。

AFPとは、アート・オブ・フェミニン・プレゼンスの略。女性の身体を持って生まれた、女性としての自分らしさを受け入れ、知っていく探究のための簡単なダンスや意識のストレッチ、コーチング、瞑想など様々なエクササイズをやるものらしい。

AFPジャパン公式サイト

あみちゃんに、紹介されたんだけど、サイトをみてもなんかいまいちわからない。いやわかるようでわからないといった方が正しい。
ただ、この手の言葉には非常にひっかかる。
こうでなくてはいけない、というイメージが強要されることも、ハードな修行のようなワークもありません。
自分の身体にくつろぐこと、頑張るのをやめること、などにフォーカスします。
外見上も、その女性らしい魅力が溢れ出し、意識は軸がぶれなくなり、自信が出てきて、人前に立つことも、異性を惹きつけることも、望む仕事や注目を惹きつけること、関係性や性生活の改善、体調やホルモン的なコンディションなど、あらゆる領域においてその人に必要な、驚くべき変化が起きていきます。
「もう頑張って変わろうとしなくていい。」この実感を手にした女性達から世界中に広まりつつあり、日本でも実践者増加中です。

というので、半日体験に行ってみました。

集まった女性は講師のマハンタさんを入れて9名。
導入ワーク:円座で、なぜここに来たのか。何を持ち帰りたいのかをシェアするワーク。安心で親密な器を作り、その中にインしていく。だから大丈夫という気になれる。

私はなんて言ったんだっけ。忘れた。自分の女性性や課題に対してこうだろうなと思うことはある。それを自分で体験して腑に落として持ち帰りたかったのかな。


あれ?次なにやったんだっけ?なんか忘れてしまう。順番通りじゃないかも。


・子宮スペースを感じるワーク:呼吸、体のワーク
⇒い、いまいち子宮スペースがわからないかもヽ(´Д`
子宮スペースは、おへそ下10センチ5センチ奥!あれ?10センチ奥?


・ヘッドバブル・子宮スペースに居て語るワーク:「朝起きてここに来るまでを語る」ペアワーク。私はY子ちゃんとのペア。Y子ちゃんのヘッドバブル状態がものすごくて笑、聴いてる方も疲れるw
⇒ヘッドバブル状態って??つい朝起きてからを時系列に語る。思ったことも入れてみるが、それってこういうことだったんだとつい解説も入れる。いつもの私の思考で語る。これヘッドバブル?Yちゃんのはじけたヘッドバブルとは全く違う。。。

・中性、男性、女性になりきるワーク:
頭の中で中性のカラーをイメージ。私は黄色の球が浮かんだけど、その色もしくは中性のイメージの服を着てその人になりきるというので、タートルネックの白いセーターにして、下はベージュのスリムなパンツ(スパッツ系)裸足かペタンこの靴を履いてる。


・・・時間切れだぁ。明日早起き弁当づくりなので、また後日・・・

3月7日~13日を、3月6日の時点で振り返る!

Happyさんのブログにそんなことがかいてあったのでやってみる。
ポイントは、具体的な行事ではなく、どう在りたいかの心のことを書く。
7日:自分の身体をもっとより見ようとするようになった。動かしてみる。まずは昨日習った肩甲骨の動かし方、整骨院でも自分の身体がどういう状態になっているのか、どうすれば気持ちよい状態に出来るのかを学んでいる。
自分が前に進んでいる感じがして心地よい。体が動くのがとってもありがたい。きもちいい。
8日:やろうと思ったことを、とにかくやってみる日だった。
チャレンジする、やるのが億劫になってるものは、やったことがないものが多い。
やってみればいいんだ。まずは。ということをやった一日。やればできるジャン私。
9日:古巣での打ち合わせもやれる感じしかでない。思いつきで行ったことがそのままいけそうな気がする。そしてそれはきっといける。うん、これは告知もしよう。HPつくらなきゃ。ブログでいいか。
10日:夢チャレの監査も終わって、一息。次回のことを考えるとウキウキする。重責も感じるけれど。レゴをじっくりやるというのはどうだろうか。ワクワクだよなぁ。

11日:実行委員会やなんやらでいそがしい。梅中の立志式にも出席。書くP振り返りをもう少し進めよう。自分がどうだったというよりも、プロジェクトとしてどうだったか。次への申し送りができるようなものを。

12日:初めての経験。自分の中の女性性と出会い、暖かな気持ちになる。安心。
自分が抱っこしたような感じ。してあげたいことをしてあげよう。
LSPは私の解放を助けてくれるビジネスツール。うまく話が進むようにとにかく伝える。必死に伝える。

13日:自分のためにだらける日。好きなケーキを食べる。ゆーすけとチョコも作る。

「他者の課題を切り離す」とは?

以前、威圧的な態度で言葉の暴力を受けたことがある。
理由は、私個人のせいではなかったが、
彼が言うのは当然だし仕方ないことだとも思ったので、
すみません、すみませんといい、その場を終えた。そうしないと終わらなかった。

でもこれが幾度か続くと、私の中で拒否反応が出るようになった。
悪い人ではなく、善意の方だとわかっているけど、
でも怒鳴られ罵倒される時って、どす黒い怒りのかたまりから襲われる。
普通の時でもふとそのシーンが思い出されて固まってしまう。
あれにはもう耐えかねた。「私もう無理です」とソーシャルワーカーさんに泣きつき、
入っていただき、少しとりなしてもらって、あと数回どうにか耐えた。

過去のことになったが、私の中には、男性から怒鳴られるシーンが色濃く残っている。
男性の大きな声がますます苦手になった。
私に対してでなくても、男性が怒鳴っているところを見ると身がすくむ。

理由はどうであれ、威圧的な態度や暴言は立派な暴力だ。
それがあっていい理由はない。
でも立場が弱いと、回避できない。
そこに水を注せば、また新しい火種ができる。
どうしたらよかったんだろう。

相手は変わらないから、自分を変えろと言われるが、よくわかるが、うまくできない。
「宇宙服を着るように」とはよく言われるけれど、
いつもいつもそうしてシールドしているわけにはいかない。
特に感受性は私の大きな武器(取柄)なので、
生かしたいが、シールドするとそういうのまでシャットアウトしてしまいそうで。
うまく立ち回るには、どうしたらいいんだろうね。

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という投稿をFBにしたら、思う以上の反応があった。

上記は、今のことじゃないけれど、夜中に学生Sちゃんのお悩み話を聞いていて、
言葉の暴力ってあるなぁと思っていたところ、
その際たる例として嫌な過去が思い出されたのでした。

他者は変えられない。そもそも悪意で迫ってくるかどうかもわからない。相手に悪意はないのに自分がそう受け取ってしまうことも問題。そもそものところで、内容以前に相手にそういう威圧感を与える攻め方をする人を私は好まない。
だから余計にいやだと思ってしまうんだな。

友人からDMをもらい、アドラー心理学の「他者の課題を切り離す」という言葉を聞いた。
ここ数年、それはよく聞いていたフレーズだった。
他者からの表現も含めた圧力や介入は、他者の思いだし課題だ。そこに自分が介入する必要はない。
それはよくわかる。愛情がない場合はそれはやりやすい。
自分の感情も自分の課題なので、相手に投げたところで相手からの反応を期待しないでいれると平和だ。
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自分の中にある感情も他者と言える。自分の中の他者だ。
私の中ではなにかを決定したり行動する際に、感情が結構な割合を占める。
その感情は感情として味わい、そのまま行動や決定につなげない方がいいと言われてきた。
それはそれで正だと思うのだけど、そうもいかない時もある。


私をはじめ女性は、一旦受け入れてしまうし、論理的にそれが正しいんだろうと思うことについては、違和感があっても意見を出すひとのことを優先してしまう傾向にあると思う。
代替案というまでのものがないものだってあるわけだから、その違和感を言語化できないこともあると思うんだけど、それをうまく説明できない。で違和感が残る。かつまあ言ってる意味は理解できるので、一旦受け入れる。
違和感は、一旦そこでふたをされるが、ふたの下でふつふつと発酵を始める。発酵して大きくなって蓋をしたから押し上げる段階に来たら、もう止められない。だけど自分じゃ蓋をしてるからその下で発酵しているだなんて思いもかけない。

自分もわからないものを、他人にはわかるはずもない。
自分がしっかりその気持ちに気づいてあげないとね。
問題解決できないものは見ないようなところが私にはあるように思うけど、
どんなに小さな気持ちだって、私の気持ちなんだよね。ああ、納得できてないなとか、いやだと思ってるなとか、めんどくさいなとか、特にネガティブなことは見ないようにしている節はあるな。

そういうのを外に出すことを嫌悪されてきたからってのもあるな。親とか人目とか。
安心できる場所でしゃべるってことを、どこかでしたいなぁ。その安心できる場所をどこに見いだせるんだろうか、私は。

安心できる場所で自己開示自己解放できたら、他者の課題を切り離すことができるようになるのかな。なるような気がしてるんだけどな。

 

伝わらないもどかしさ

私の選択は、結局のところ、したいかしたくないかに尽きるようだ。
好きか嫌いかともいえる。
好き嫌いや感情を仕事に持ち込むなとは、ずいぶん言われたことがあるが、
でもさ、人間ですもの。好き嫌い、したいしたくないはあるんじゃないのかな。
それを、組織では、とかいう方が私は信用しない。

と書いたとたんに、もうビジネス社会では生きていけない人になるんよね、私。

その組織を作ってるのは誰なん?男でしょ?
あんまり男性批判したくないけど、あまりにも今の社会って男性に都合がよすぎない?
男性が、男性の特質である論理性で物を語るならば、女性の共感力のような女性ならではの強みも共存できる世界にしていけば、補完し合える強い組織、強い社会になると思うの。

でも、既存に生きている人には、そんな言葉が通用しない。
「そんなこといったって、あなた資本主義を変える気?」
「今の社会の中で生きていくことを考えなくちゃ」

私もそれは一理あると思って、だから頑張ってきたんじゃない。
向いてないけど、ロジカルシンキングもやってみたし、講座の企画も頑張って望まれるものを作ろうとしたよ。でもなんか違う。なんか私のしたいのと違うんです。
違うからしないのかというと、すべきだろうとは思った。でもね、ずっとの違和感が私をもう立たせるのを辞めたの。
生きるか死ぬか(精神的に)迫られたの。

世間的には、男性のやり方でやるのが生き残るには一番いいんだよね。
でも私はそれが一番自分にかけているところで、
それを埋めないと自分には価値がないと思わなくてはいけない今の社会の在り方に大変違和感がある。
それを埋める努力をしないと、わがままだと言われる。
でも、だってそもそもそんなところで上に上がろうなんて思ってないもん。
それが、今回の連続嘔吐下痢症状で、はっきりした。
私は今の仕事がしたくないのだ。
違和感を思いっきり感じているとともに、そこで自分のやり方でやることが認められない=自己否定という図式をどうしても崩せなかったのだ。
頭では、わかっている。こうしてチャンスをものにすれば、実績も上がり評価される。ぎりぎりな状態でも私はやれるだろう。フォローもあるだろう。
でもこのところ、やってもやっても達成感がない。できた感じもしない。
自信になったか、ならないわけではないが、ステップアップのステップにならない。なんでだろうかと考えた時に、自分のキャリアアンカー、自分の志、自分のLead the Selfと紐づいていない、納得感の少ない自分に気がついた。
自己肯定感が高まらないのは、肯定されない環境で仕事をしてるからだ。
それでもいい、お金を得るためだと割り切ってきた時期もあった。
その時は関与も少なかったけど、今は違う。社員として、があまりにも大きかった。
まあ、いい。今はもうそれは終わりにすることになったし、あと1週間で残務を切り上げればよい。
結果的に消去法。

これはよくないと言われたけれど、でも生きていくを選んだので、消去法ではないね。

結局、今の自分が満足するということをおろそかにしては、前にも進めない。
やりたいことできることからはじめ、調子を出していく。やりたいことができる環境なら、多少の+αくらいできていく、その経験が力になることはある。
だから、飲み込むくらいの大きな流れを作りたいわけで。自分の中でね。
今はそこまで至っていない現状にあるのでしょう。
だから自分に回帰しないと、どうしようもない。

こういうの、男の人にはちっとも伝わらないんよね。
いえば言うほど絶望感を感じるので、辞める決断をした時には納得できそうな理由を見つけて言うことにした。それはそれで誤解を生むんだけど、仕方ないね。