ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

ひとすじの光 2023.2.2

毎日思うけど、時間の進み方おかしい。
いや、毎日時は同じように進んでいるのに、
なんでこうも感覚は違うんだろう?
私だけ?

夫の大発作が起きてから3週間。
まだ3週間、でももう3週間。
そのちょっと前には息子の成人のつどい。
そのちょっと前は、お正月気分に浸っていた。
もう今年のカレンダーが1枚めくれてしまった。

2月は早いんだろう。
2月は逃げる、3月は去る。
ほんとかな?

いよいよ誕生月。実家の家族の誕生日月なので、
確かにイベントがたくさんな気はするのだが、
今年はどうも祝う感じもしない。
どうなる2月。どうする2月。
まずは、母の誕生日プレゼントを考えるところから開始だ。

今日は、ご近所の高齢者看取りの専門、Yさんのところに相談に行ってきた。
先日、病院で行われたカンファレンスで「転院中に、おうちの環境を整えてください」と言われて、環境を整える?、引っ越しする?、家を売る?えー???
って混乱した私。

miww55.hatenablog.com


そのことを受けて、彼女があれこれと話をつないでくれた。

夫と私の希望は、「おうちに帰るためにリハビリを頑張る。
そのために転院して家に帰れるように励む」だ。
この場合のおうちとは、現在のおうちとは限らず、私たち家族のいるところである。

現在のうちは、エレベーターなしの3階で、このことが今の夫の体には大きな負担となる。負担どころか、今現在は、そもそも上がることもできないだろう。

そのことは私もよくわかっているので、この家に彼が帰ってくることの方が、
イメージができにくかった。
それで「ええ?転居??」となっていたのだが、
Yさんがいうには、転居せずにいけるんじゃないかと。

夫が家に帰ってくるとして、問題は週3の透析への通いだ。
幸いにも送迎してくれる透析病院はあって、
カンファレンスの時に、透析室の方がうちの近所を探してくれ、
比較的近くで3件くらいの病院がみつかっていた。

問題は、その送迎の車から降りて3階までの階段をどう上り下りするか。
ここについては、私は正直まだイメージはできていない。

が、Yさんが教えてくれた「障がい者110番」という窓口があった。
福岡市身体障害者福祉協会が開いているこの相談窓口が、相談に乗ってくれるらしい。

c-fukushin.or.jp
介護福祉との違いは、障害者の社会参加を継続するフォローをすることが目的だという。
なので、意外と諦めていた「これって難しいかな」ということも、
相談してみるといけることもあるそう。

考えると、私も母のことがあって、高齢者介護の視点から介護を見ることが多くて、
高齢者介護大>障害者介護小、みたいな見方を勝手にしているところがあったが、
それ自体が思い込みなのかもしれない。

こちらが希望する感じで、そのケアがしてもらえるかどうかはわからない。
が、一応こちらの状況をお知らせして聞いてもらうと、、、できそうな感じだ!

その時点で、私はとても驚いている。

ただし、リハビリ病院との連携が必要で、
障害者区分(障害者手帳の級とは違うらしい)を決定し、
高齢者介護で言うケアマネのような方(計画支援相談員?)が
在宅の1週間のスケジュールを作り、月で時間計算をして認可申請
許可が下りてくるのを待つという感じになるらしい。
その許可が転院期間中に降りれば、無事リハビリのお勤めを終えた夫が帰還できるようになるらしい。
(この時点でまだ私は、そこがイメージできていないのだが。←何度目?)

そしてその中で、ニーズに合う送迎付きの透析病院とのマッチングが必要となる。

こちらも福腎協という窓口を教えていただいた。

fukujinkyou.sakura.ne.jp透析クリニックリストがこちらにはあるようなので、
透析病院を選ぶ時には頼りにしたい。

というような情報を得て、帰宅。Yさん、ほんとにありがとう。

早速その情報を、夫とも共有した。

はっきりしたようなしていないような感じの情報だが、
とりあえず転居はしなくてもよさそうだというニュアンスは共有できた。
転居というのは、今のわたしたちにとっては大きなリスクだ。
いつかは必要になるとはいえ、今病人を病院に抱えた中でやっていくためには
パワーもお金もかかる。
今後の未知のためには、少しでも大きなリスクはさけて、
小さい変化を受け入れて馴染んでいく方がよい。

今日のビデオ通話での夫は、咳も出ず画面も固まらず、和やかな感じだった。
(その後「しゃべりすぎたからか、咳が出だした」という連絡があった💦)

とりあえず、ひとつ不安がおちついた。
いや正直はっきりしてない気もするんだけど、
でもきっと大丈夫という光がぼんやり差している。
ありがたいことだ~。

全然関係ないけど、昨日今日でまたゾロ目をよく見るようになった。
この1ケ月以上全く見ていなかったのに。
それと、仏壇にあげる水に泡がめっちゃつく。


一応、この辺記しておきたかったので。

ラッキーがそこにある、とそれだけでも感じられるのは
根拠がなくても、信じたい気持ちになるのでよいのではないかと思うのだった。

変な日本語でごめんなさい。