ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

夢だから 2022.11.13 

夏場は、あまり夢をみなかった。
思えば、11時には寝て朝早く起きる習慣がうまくいっていた時には、
夢を見ず、というか覚えていない感じで起きていた。

このところはまた夢を見る。
あまりいい感じじゃない夢の方が妙に残って、起きてからも気持ちが悪い。
逆ならいいのに、と思う。
夢で気持ちがよくなったら、朝からもなぜか気分がいい、そんな風になれば
毎日がとても楽しくなるのではないかって。

で、なんとなく検索していたら、
明晰夢を見るために、夢日記をつけているという方の記事を目にした。
(適当にザッピングしてたので、どこに書いてあったのかは不確かです💦)

睡眠の質や時間をコントロールすることは、
日々の生活の中で一番大事だと言われている。
でも、夢見はコントロールが難しいと思っていた。

上記の方によれば、明晰夢(夢の中で夢だと理解している夢)は
自分でコントロールができるらしい。
「あれ?これって夢だよね。であれば思いっきりやっちゃおう!」と冒険ができるかららしい。

私は「あれ?これって夢だよね。」まではできてるんだけど、
夢である状況が結構体的にしんどいことが多い。
目がなかなか開かないとか、足が重いとか。
その体感の中で必死で頑張って夢の中をどうにかいい方向にと頑張ってるので、
一晩で妙に冒険しまくってて、起きた時には心身ともに疲れてしまってぐったりなんてことが多い。朝なのに😢


ということで考えた。
私の場合は、逆張りがいいのかもしれない。
「あれ?これって夢だよね。」で一旦体調を把握し、
しんどかったら「どうせ夢だからチャレンジせずに体を休めることを考えよう」とか、もうあえて動かない、寝るとかにしてはどうだろうか。


一昨日のその気持ち悪い夢は、

青い空を見上げると私の視界に飛行機が2台。
うち1台が動かなくなった。
「あ、これヤバいやつ。落ちてくる」
そう思ったら、ホントに落ちてきた。
で、以前も私は夢で飛行機が落ちる夢をみていて、「またか」と思ったのだ。
前の夢では、少し遠いところでその落下地点からは遠いが、
同じ方向に母の住まいがあった。それで母を救いに行くという夢だったようだ。
一昨日の夢の中では、前にも飛行機が落ちて母を救いに行ったという記憶を持ちつつ、
「あれよりももっと近くだ」と思っている。機体が見える位置に私はいる。
そしてその機体の近くに母宅がある。

今回は急いでいかないと火が回ってしまう、、と焦りつつも、
その事故のためにそもそもあった道も封鎖され、バス路線もない。
近くに見えるが地図で見るとかなり迂回しないといけない。
しかも歩くしか道がなさそうだ。
歩くのが嫌いじゃない私にも、それは途方もないチャレンジにみえた。
おそらく私の身体じゃ無理だ。と思っている。
何度も同じようなシーンを夢で見る。
そしていつもはがむしゃらにそこに突き進むのだが、
今回は誰が傍目に観ても無理だった。そしてそれを自分でも自覚して、
ぼんやり立ち尽くす。そんな夢だった。

自分ができないということは、誰かを見捨てなきゃいけないということだ。
これが辛い。
最近、ぼんやりとこういうことを考えていたからの夢なのか。

今思うのは、「私が行くことが解決の全てではない」という自覚が自分の中にあったほうがいいということだ。
私は何にしても、身を呈してしまいがちだが、
物理的に、私がやっても届かないことってたくさんありそうだ。
夢がそういう自覚を促しているということか。


夢の例でいえば、母を助けてくれるのは近所の方だろう。
私ができることは、できるだけ自分の体力を温存しながら、
生きるしかない。
何が何でもと火事場に近づくのは暴挙だ。

今後は、夢の中で冷静になるか、夢だからとあえていつもの冒険心の逆張りをトライしてみるか、、、
いろいろ考えてると、夢の中でも迷いそうだ。

夢は覚えていないくらいのきもちいいのがいい。

そういえば今思い出したんだけど、
睡眠にいいヤクルトもどきを手に入れて、
飲んだ日に限って悪夢を見る気がするのよね。

この話も聞いたことがあるんだけど、どうなんだろう?