ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

身を削って生を確認する私 2022.10.7

10月ですね。と言いつつもう7日も経ってしまいました。

毎年書いていますが、10月は私にとって生死を一番感じる月です。

去年の投稿↓

miww55.hatenablog.com

そっか。去年は母の術後の半年後との診療にまだ行っていたのね。
もう経過観察5年を過ぎました。今のところ無事に過ごせていて何より。

私は家族や親戚との関係が深いところに生まれ育ちました。
時代もあったのかもしれませんが、他のところよりも家族間の関係性がぎゅっと濃いみたいです。
それが当たり前で暮らしてきたので、家族には色々あるんだと知ったのは、結婚してからでした。
結婚って私にとっては異文化を受け入れることだったなぁ。

さて、10月はいろいろあります。
4日、母方の祖父命日、
7日(今日)、父方の曽祖父命日、
8日、娘誕生日、
13日、父命日、JIMINさん誕生日💜
21日、息子誕生日、
28日、母方の叔父命日
30日、父方の祖母命日。

人生半世紀以上生きていれば、毎日誰かが生まれ誰かが死んでいくのは常ではあります。ただそれが自分に関わる誰かであると、その影響は多分に受けます。

特に父が亡くなった時は私が大学1年の頃でした。
まだまだ子どもだった私は、切り離された感がずっと残っていました。
大人同士として話してみたかった。今からそれだできると思っていたのに、
という頃だったこと、
またひときわ濃い関係性だったからというのも大きくて(いわゆるパパっ子だった)、
喪失感をずっと引きずっていました。

今でも10月になると、秋っぽい空気を感じては人生の虚無を感じ、
金木犀の香りを嗅げば、葬式当日の映像が頭に浮かびます。38年も経ったのに。
これは今でも毎年恒例。
でも娘が産まれ、息子が産まれ、
その生を祝うようになってからは、私の10月には色が戻ってきました。
ある種、色褪せていたものに生の彩りを加えてくれたのが、うちの子どもたちでした。
「生」ってこんなもんだよって、わかりやすく教えてもらった感じです。

死は生の終わりなのでしょうか。

私は頭では死は肉体の終わりなだけで、魂の終わりだとは思っていません。ただやはりその人生としての終わりだと、私の体や心は捉えているようです。
生まれてくる喜びを知っても、死はこんなに悲しい。

終わりの前には始まりがあり、経過があります。
私は父よりも随分と歳を取り、私だっていつくちるかもわからない。
でも終わったり朽ちることを憂いているばかりの人生は、またもったいない気もします。

さてさて、私の性格というか魂の向きは、
そんな生を体で激しく感じて、生きてる感覚を味わいたいようです。

いわゆる「原因がわからない」という痛みや不具合を何度となく味わってきました。
もしかすると、小さい私が親や周りを引き止めようとする生存戦略故のものだったかもしれませんが、当時は全くの無意識。

父を亡くして三ヶ月も経たない位には、交通事故で左足に大怪我を負いました。
頭も体も打っていましたが、ヘルメットと父の形見の革ジャンに守られ無事。
左足が被害に遭いましたが、その「やっちまった瞬間」は、静かで星が綺麗だ、、と思った記憶と、そしてなぜだかわからないワクワク感。

私は経験したことがない体験をするとワクワクしちゃうんです。M的?
痛いのは苦手です。痛い経験はいっぱいしてきてるので、本当に嫌なのですが、
あの時、左足が折れてふくらはぎが逆を向いているのをみた瞬間、「ああ、これは折れてるな」の次に、「これからどんなことがあるんだろう」とワクワクしたわけです。
まあ、自分の頭も体もある程度どこがダメでどこが元気かをある程度把握できたから、そういう気持ちも起こったのかもしれません。

また今更この話を書いたのには理由が2つあります。
一つ目は、この「ワクワクかん」がまたきちゃったこと。

前回の投稿で、謎なものが私の足に見つかった話を書きました。

miww55.hatenablog.com
それで先日、紹介された病院で診察していただいたのですが、改めてレントゲンと CTを撮りましたがやはり謎な縫い針っぽい方はいらっしゃいました。


なんかグロくなりがちなので、小さめにアップ。

あることは先生も納得されたんですが、いかんせん私にこれがいつなぜ入ったのかの記憶がなく、この遺物ちゃんがどんな材質のものかもわからない。
なので、まあ結局取ることにはなったのですが、ちゃんと取れない可能性もなきにしもあらずとして万全の策をとりながら進めることになりました。
なんか大袈裟になってきた💦

私はというと、即日切って帰れるレベルだろうと思ってたんです。
今の医学なら内視鏡みたいな感じで、日帰り手術でいけるかなーって。
内蔵でもないから余計に。

でも先生から言わせれば「こないだこんなことしてて針が入ってしまって」とかいうエピソードがあれば、金属が入っているという想定で向かえるので、過去の経験から大体の予測も立つらしいのですが、
エピソードもなく「そこに何らかある」しか情報がないので、「多分こういう感じだと思うけど、でもそれは絶対とは言えない」的な言い方をされます。
実際、筋肉との癒着だったり血管との絡みだったり、開けてみないとわからないっていうのがこの手の外科手術のお約束ではあるんですよね。

前回、この縫い針っぽい異物ちゃんの発見で、
私の中の冒険心ちゃんがまたワクワクし初めちゃったんです。

「謎」は大好物笑

いや、ほんとははっきりさせたいんですよ。
「何でそうなってるのか知りたい」っていうのが、基本の私の欲求だと思うんですが、その欲求を満たすにはまず謎が必要なわけです。だからこの異物ちゃんが発見されたことは私にとってはものすごく美味しい。
でもあまりにも謎すぎます。
マジで「これって未来から誰かきて私にチップ埋め込んだんじゃ」という仮説だってあるんじゃないかとか思うくらい。

で、私の左足の過去を思い出すわけです。
思い出すというよりは、常に私はその時の傷と共に今もあるのです。ざっくり35センチほどの傷が私の左大腿部にはあります。都合3回も切っているので(この辺の理由は割愛)筋肉も盛り上がらず、雨の前には痛む「存在」としてあるので、傷も私の体の重要な一部になっています。

先生にその怪我の話をすると、「その時の可能性が大きいでしょうね」と言われます。
私は、それとこれとは別だという線の方を考えていたので、
先生に言われてから「え?やっぱりこの傷が繋がってるの?まだここに関連するものがあるの?」とちょっとびっくり。

傷としては現在も共にあり続けてはいましたが、出来事としては過去のものになっていたんです。でもあの事故・怪我はまだ続いていたんだ、って思うとまたミステリー度が増すというか。

診察から帰ってきて、あれこれ考えていたんですが、
ふっと、、、思い出したんです。
あの時、足の甲にも確かに傷があったと。
傷というより血が出ていた記憶があります。傷自体はスッとついたくらいの薄いものだったと記憶しています。
それくらいしか画像的な記憶は出てきていません。
だって、それ以上の傷がその上部には複数あったから。

ただ甲になぜそんな傷がついていたのかは分かりません。
ハイソックスを履いていたのは記憶していて、でも靴の記憶がない。
靴は事故の時にどっちがが脱げた気はします。

あまりに古いことだし、よくわからない。
38年前やし。

ということで、2つ目は、私の古傷とのつながりがあったことで、またワクワク度が増してしまったということでした。謎には反応するように体がなっています。いや心なのか魂なのか。

加えて今回入院したり手術することになって、「開けてみないとわからない」という状態にもワクワクしちゃってる自分。

これって例えてみれば、ステージに立つ前みたいな感じで、
もちろんその前には随分と練習して、その場をこなすために準備をするのですが、
「既定路線じゃつまんない」って思っちゃうところが私にはあります。
現場は生物なので、ステージ上でも何が起こるか分かりませんよね。
うまく乗り切ることもワクワクしますが、何かが起こったとしてもそれに驚きながらも楽しむみたいなところがあるんです。

ステージだとすれば、誰かに迷惑をかけることになったり責任が生じたりもあるのかもしれません。でも、私の体を傷つけることに関しては誰も傷つくわけではないのです。
だから私はきっと自分の体を張って、自分の人生のステージを楽しんでるんだろうな。
そんな感じがするんですよね。
今回のことで、そういう考えに至るとものすごく合点がいきました。

だから何が解決するわけでも何でもないのですが。

ただこのままずっと自分の体をネタにして生きてる感を感じるのは、ほどほどにしていきたいかなと思っています。
面白いんだけど、そこそこ私の体も古びてきてるので、あんまり粗雑に扱うとリカバリーが効かなくなってきそう。

今度はもっと違うことにワクワクを感じたい。
自分の身を削らずにワクワクすることを探したいなぁと思っています。
今回の発見された子は、私のこの身を削るようなやり方から卒業させてくれるために、いいタイミングで出てきてくれたんじゃないかと、今思いました。

こういうことを考える余裕もこのところありませんでした。
家族の病気対応に神経も体力もすり減らしていたからかな。
やっと自分のことを考えるタイミングが来たということでしょうか。

痛いの嫌だけど〜。
でも久しぶりの手術は、実は楽しそうだなと思う私も相変わらずいます。
体験してなんぼですからね。
そのために体を持って地球に生まれてきたのだから、
しっかり楽しんでこようと思ってます。
家族の心配するより全然楽です。ストレス少ない。

とか言いながら、術後の私は、どんなことを書くのでしょうか笑
それも楽しみの一つです。

手術は今月末です。どうなりますやら。


今年の10月は私自身が生死を考える月間になりました。
命にはかかわらないけど(多分)、生きる上で体との付き合いは必須なので、
私にとっては体のことは生死を考えることに直結したものなんですよね。
そのことを、今回こうやってつらつら書いて、すごく納得したのでした。7