ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

美味しく食べる効用 2021.10.5

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今日はやたらと「おいしく食べよう」的な記事が目に入るので、
今日のテーマは「おいしく食べる効用」にしました。
が、なにを書くか今の時点で決めているわけではありません。
きっと書きながら出てくるだろうと信じていますw
今日は、そういう流れで何が出てくるのかな?を楽しむ日にしよう。そうしよう。

ここにも書いてきましたが、歯の調子が悪いので、
それこそおいしく食べるのに難儀しています。
歯を扱って思うのは、
「食べることは、歯だけでなく口全体を使う運動だ」ということ。
歯で噛んだりすりつぶしたりはもちろんですが、
上あごと舌でつぶしたり、食べ物を奥に運んだり、
口内全体で食べ物を飲み込みやすい形にしていったり。
運動だけでも、ざっとこのくらいはありますよね。
それから、歯で噛んで細かくしながら唾液と混ぜて、
消化しやすくして喉に送るというのもありますね。
その作業をしながらこれまた色んな部分で味わって楽しむわけです。
食べるって、なんて忙しいの💦

でも、逆に言うと、これだけ大変な作業を、一日3回きちんとやっていくことで、
私たちの体は健やかに維持されているんですよね。
口から食べるということは、私たちが思う以上に、重要なことなのだと思います。
だから、その作業をさぼらないように、口の中には美味しく食べていけるような仕掛けとして、味覚や触覚を敏感にさせているのかもしれません。

つまり、「おいしく食べること=必要な栄養素を口から体に運ぶための人体の工夫」といえるのではないでしょうか。
だっておいしくなかったら、楽しくないし毎日栄養補給するのめんどくさくなっちゃうかもって思いませんか?
「健康のために、毎日3回おいしくないものを食べましょう!」って言われても、
継続できる自信は、私にはありません。
そう考えると、人体って偉大ですね。ほんとによく考えられているものだと思います。

私は子どもの頃から、口の端が切れて口が開けられず、
ヤクルトとカステラが主食だった時を多く過ごしました。
先日も70過ぎた叔母から「あんたはよく食べられんで、紫の薬を口につけてたよね」といわれました💦
(紫の薬は口の端のただれにつけてたやつです。今なら「ハロウィンの仮装かよ」って感じになります。その頃は日本にはハロウィンという言葉もなかった時代ですが。)

フレンチトーストは、そんな私が食べやすくて大好きなメニュー。
しっとりしているので、口に入れやすく溶けやすく、
口をそう動かさなくてもおいしく食べられる、ありがたいメニューです。
このメニューはうち界隈では「み。ちゃんパン」と呼ばれていました。
私自身は「フレンチトースト」って言ってたんですけどね。
今でも大好きなのでよく作ります。
美味しくて、ありがたい味がします。
食の細かった私を救ってくれた食べ物です。

あれっ?なんだか生命維持の雰囲気ばかりクローズアップしちゃいがちですね。

今となっては私はとても食いしん坊になりました。
量は変わらず、そこまではいりませんが、
その分「おいしいものを味わうセンサー」がめちゃくちゃはたらくようになってます。
私の中で「おいしいもの」は、「滑らかなもの、口の中で程よく噛んだり潰せたりして、その食材のおいしさを楽しめるもの」「風味が楽しめるもの」に大きく食指が動くようです。
口の中にトラブルがあっても、比較的おいしく食べられるものを自然と好んでいるのでしょうね。
だから、他の方々もそれぞれの「おいしいもの」の味覚イメージがあるんじゃないのかなぁ。

うちの息子は、口いっぱいにほおばるのが「おいしいもの」の定義のようです。
彼は挨拶のように、私の顔をみれば「きょうのごはんはなに?」と聞いてきますが、
聞いて安心するのか、おかずが何かということ自体には実は意味がないのか、聞いた内容はすぐ忘れてしまうので、何度も聞いてきます。
何かの儀式のようです( ´艸`)

うちの娘も息子も、小さい頃からたくさん飲み、たくさん食べる欲求の権化のような子たちでしたが、食べている時の満足した顔がとても印象的でした。
食べる力があれば、生きる活力になる。彼らをみていると生命力を感じます。

私の母は、一人暮らしをしている頃は、なにかあるとすぐ食べなくなっていました。
「食べたくない」と拒否するのです。
それはある意味「生きたくない」という主張だったように思います。
いろいろあって、病気になって入院。入院時も食事拒否で大変でしたが、ある時から悟ったのか食べるようになりました。一時入所した老健のご飯がやたらとおいしかったそうで、そこに至るまでには認知症も出て、薬も受け付けなくなっていたのに、
老健に入ったとたんに覚醒しちゃって、どんどん元気になっていきました。
ご飯も足りないと大盛にしてもらうくらいに。
今は、特養に移り、好き嫌いを言いつつも、食べるのは楽しんでいるようです。

ここまで書いて、やはり食べることと生きることって直結しているんだなと感じます。
さらに食事は栄養のみならず、いかに食すかが、
私たちの生には大きく関わっているようですよね。

さらに、誰と食事の時間を過ごすのかや、
どんな風に楽しむかってことも、毎日を生きる大きなエッセンスになっていて、
これを無機質に食餌と考えるのか、もっと意味を持たせるのかでも、
人生においてえらい違いになりそうな気がします。

さて、ここまで書いて締めないとなんですよね。
「おいしく食べる効用は、人生を有意義に生ききる根源になりうる」とでも書いておきましょう。
おいしく食べるだけ、でもいいと思います。
が、「おいしく食べる」のその背景にあるもの、自分の思いや願いみたいなものも織り交ぜて考えて、おいしく食べることを考えると、そこには力が湧き出る源泉みたいなものがあるような気がしています。

今日はここまで。
だらだら書きになってしまいましたね。この手はもうやめよう( ´艸`)