ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

二次試験と思い出 2021.2.25

いよいよ本日は、息子の国公立個別試験(二次)でした。
久しぶりに弁当作った気がします。
今日で高校生男子弁当はほんとに最終回です。
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4日後は卒業式。
時は一刻一刻着実に過ぎていきますね。

今日はちょっと遠方から来る友だちを迎えに博多駅まで出てから会場入りするとかで、早く出て行きました。
受験するのは遠方の学校だけど、試験会場が福岡なのでありがたい。
親はお弁当作って、ミネラルウォーターにこっそり「闘魂」って書いたシール貼ってw持たせるくらいしかできません。

本人気づいてなさそう、いまだに(笑)

あまり仕込むとプレッシャーになったら良くないので、
げんかつぎで入れたのはカツ位。
とにかく悔いなく、これまで頑張ってきた力を出しきれますようにと祈るだけ。

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終わってからは、保育園時代からのおさななじみと
近くの公園でボールを蹴っていたようです。
やっと予定の試験からは解放されたので、自由を満喫したかったのでしょう。

わたしはわたしで、昨夜お風呂に入りながら
自分の国公立二次試験のことを思い出していました。37年前の古ですw

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当時は3月4日が試験当日。
私は、大学に受かれば祖父母宅に居候して通うつもりでいたので、
前日の3日に父親と二人で前入りして祖父母宅に。

奥の部屋に寝ていた曾祖母(98歳)のところに顔を出し
「きたよ~」と声をかけて、晩の食卓を祖父母と父との4人で囲んでいました。
ひな祭りの日だったので、白酒と「み。が来たから」となぜか焼肉。
先に食べ終わった祖母が、ご飯を持って曾祖母の部屋に行くと
バタバタと帰ってきて「息してない!」

え~!!!
お医者さんに往診していただき、
本当に亡くなっていることがはっきりし、それからが大変でした。

親類縁者に電話、通夜の手配、
親類も近所の方もお通夜に来られるのでお茶を出し、
下げ、洗い、拭きとそれだけでも目が回るような夜を過ごしました。

来る人来る人「なんでみ。ちゃん居るの?」と聞くので、
「実は明日試験なの」と何回話をしたことか。
夜中まで弔問は続き、親戚たちがさすがに
「あんたは明日に備えて寝なさい」といってくれるものの、
いつも布団を敷いている座敷はすべて座布団で埋まっている。
叔母が布団を出してきてくれて、
玄関横のみんなの荷物置きになっている部屋で丸くなって仮眠をとりました。

翌日は試験といっても小論文。
「米と日本人」というお題だったので
「米は日本人の誇りである!」と熱く書いたような。
だから私はお葬式には出てないんですよね。記憶もない。
改めてこのことを思い出しながら、
英語や数学じゃなくてよかった~と思い返していましたw

息子が「おかあちゃん、言っとくけどそれめちゃレアケースだからね。
僕ならメンタルもたなかったかも」と言ってました。

ああ、そうかもね。
こういう衝撃的な出来事って、うちではよくおこるので、
ショックを受けつつも、どこか芯が覚めているというか、
まあどうにかなるよねと思ってたんですよね。

という昔ばなし。

でも今日改めて思いだしたのは(37年も経って💦)
曾祖母が3月3日に亡くなって、
4月頭には私が曾祖母が使っていた部屋を使い始めたこと。
ほぼ寝たきりとはいえ、曾祖母はずっとそこに住んでいたので、
いろんな荷物がありましたが、そっくりそのままにして、
私がそこを使わせてもらうことにしたんです。
それからちょこちょこ模様替えをしたりしたんですが、
テレビや火鉢はそのまま置いて、曾祖母の余韻?を残していたり。

ところてん方式だったなと思います。
今思うと、曾祖母は私が入りやすいタイミングで亡くなってくれたのでしょうか?

カレンダー的に考えると、七日七日の供養に、今度は私の合格発表、引っ越しと
1ケ月の間にいろんなことが変わっていって、
祖父母も悲しむ暇がなかったのではないかと思います。

もしかしたらこの私の記憶もどこかずれている可能性もあります。
私にとっては、はじめての近親者の死だったし。
動揺しないわけはなかっただろうし。
今となってはみんな死んでしまって、確認しようもないけれど。


今の私にとっては、10月が生と死を考える月間なのですが、

miww55.hatenablog.com
そう言えば、と考えると、
その前は2月3月が生と死を考える月間でした。
2月には父母私弟祖母従弟の誕生日が、
3月は今回の曾祖母と伯父の命日と祖父の誕生日が。

集中して考えなさい感じなさいと、
言われているのかもしれませんね。