ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。

「あなたが悪いわけじゃない」の奥にある気持ち 2021.1.23

今日は夢を覚えていたので、忘れないうちに書いてみる。
と言っても、いい夢ではない。
なぜかこのところの夢はなんとなくテイストが似ている気がする(はっきりと覚えてないのだが、イメージ的に)。

他者から責められる夢だ。
私からすると完璧ないいがかりなのだが、
村八分的な扱いをうけるようになる。
自分から行ったのか、むこうからきたのかわからないが、
話しやすそうな方と、うちの事情について話すと「そうだったんですか!」というような反応がある。
「どう思われていたんですか?」ときいてみると、
わたしたちが悪意を持って活動に出ないとか、
やるべきことをしないとか、そんな風に思われていたようだ。
「それはどなたが言ったのですが?」と聞くとお向かいさんらしい。
お向かいさんは私より若い方で、でもあまり親しくしゃべった記憶はない。
なんでその人がそういうことをいうのかわからなかったが、
なんとなーく誤解は解けたようだった。
他の方とも私は普通にはなしをしてみた。
みなさん気まずそうな表情をするも、普通に会話ができた。

とはいえ、「お向かいの方が悪い、み。さんは悪くない」みたいな話にはならない。

濡れ衣だよなと思いつつも、ではなにをどうすればよかったのかわからない。

夢なのに、なんだか捨てておけないのは、リアルに似たようなことがあったからだ。
その時は「流れ矢にあたる」感じと表現したような気がする。


正しいことをしていても、他者の思惑にうまくはめられてしまうことがある。
それは私が危機管理をしていたとしても、察知できない系のものだ。
他者もはめようと思っていたかどうかわからない。たまたまの事故のようなものかもしれない。

ただ、「み。さんは悪くないよ!」とその他大勢には言ってほしかったというのはある。
悪意を持って行動していなかったことだけは知ってほしい、みたいなところもあった。

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もしかしたら昨日そんな夢を見たのは、このブログを読んだからかもしれないと思う。

note.com

壇珠さんは、こう言う。

「悪いのは自分じゃない」という方程式から導き出されるのは、「じゃあ相手が悪いんだな」という解です。自分でないのなら、相手が悪い。

何度もそう思ってみようとしましたが、これに納得がいきませんでした。悪い人というのを真面目に考えれば考えるほど、わからなくなっていく。その相手がそんなことをする人物になったのは、一体誰のせいなのだろう。その人の親だろうか。いや、しかしこの発想では、その親をそういう人間にしたさらにその親が悪く、となるとその親の親の親が悪くなってしまう。

そして、それではキリがないからと無理矢理にでも「相手が悪い」のだと思おうとすると、許しがたい気持ちで一杯になりそうになる。これが強まればそれはきっと、恨みつらみ、復讐をしてやりたい気持ちになるはずです。

 

 なるほど。
私は、その先を考えてみたことがなかったかもしれない。
「なぜ自分がこういう仕打ちを受けなければならないのか?」「私は悪かったのか?」
その一点でしか考えていなかった。
で、実際悪くはなかった時に、
「あなたは悪くないよ」と言ってくれた人はリアルで一人しかいなかった。
その一人の声に、ものすごく救われた気がしたのは事実だった。
だから、壇珠さんが言う、悪いのは誰かを決めても片付くものではない、
という主張には???だった。
だが、よく考えてみた時に、私は悪いのは自分だという仮定で考えたことがなかったことに気が付いた。

もしも悪いのは自分だということが発覚した時に、私はすっきりするのだろうか?
そうではなさそうだ。
今よりももっと自分を責めてドツボに嵌るような気がする。
そのことを対象者に言ったらすっきりするのだろうか?

言われた本人は、自分は悪くなかったということで気分が開放されて、
楽になるかもしれないので、「あなたは悪くない」は、
あながちマイナスではない気がする。
が、壇珠さんが言われているのはもっとつらいこと、喪失感のことのようなので、
その当人たち同士の話だけではなく、
そのことによって失ってしまった何かがあるという場合のようだ。

確かにその場合、悪いのは相手だとなれば、その怒りは相手とそしてそれを見過ごしていた周りに向かうだろう。そして辛さや悲しみ、喪失感はなくならない。まぎれるかもしれないけれど。

喪失感がなかったとして、自分の辛さや悲しさはどうだろうか。
相手が悪いとなった時も、自分が悪いとなった時も、
その時に受けたショックや辛さや悲しみは癒えないなと思った。
それらがおいてけぼりだから、気づいてよ~って同じようなことが繰り返されるのかもしれないと、ふと思った。

 

それは、なにかが起こったときに、誰が悪いのかを考えることと、原因を考えることと、悲しんだり怒ったりすることとは、それぞれにまったく別のことだという理解です。

そして、これへのクリアな理解は、辛い状態の人に大きな助けになることも知っています。

誰が悪いのかを決めなくても、悲しんでいい。
自分が悪いのだとしても、悲しんでいい。
相手が悪いのだと言われても、だからといってスッキリしなくていい。
原因が定まらないのだとしても、怒りを感じていい。
わたしたちの感情と理論とは別だということを知っていていいのです。

辛いことが遭っても、乗り越えなくていい。
辛いと思ったままでいることを、自ら選んでいい。
それを抱えて生きるのをおかしいと思わなくていい。

悪いのは君じゃないと言われても、それを受け止めなくていいのだと、わたしは思います。『悪者が誰だっていいよ、罪は憎むけど人は憎まないよ』と思えると、本当に楽だから。

 

 


必要な時には、もっと怒り、悲しみ、自分の感情に寄り添ったほうがいいんだろうなと思いました。
自分は神経も感情も揺れる性質があるので、
あまり自分から揺らしたくないという思いが強いんですよね。
そこから立ち直るのにパワーや時間を使うので。
そこがうまくできるようになるといいのだけど。
うちの娘のように、「一晩寝たら忘れる」という性格になりたいものですが💦

癒されることはないのかもしれないけれど、
せめて、癒されたいと思うことにふたをしないようにしようと思ったのでした。
我慢体質って、体に染みついてるみたい。
今もちょっと我慢してるからね。。。
こればかりは仕方ないと思ってるけど、
どこかで吐き出さなきゃな。

罪は憎むけど人は憎まないというのは、私にはまだできません。
その罪を私に向けて作るほどの悪意があなたにあったことを私は許したくない、と思うから。その人は悪意とは思っていなかったとしても、私には悪意だから。
それを「ごめんね」と私に言うことであなたに肩の荷を下ろしてほしくないと思ってしまう。
私の辛さや苦しみをあなたはあなたの責任として担ってほしい、と思う。

そういう意味では人に罪はない。だから私が憎むのは人の悪意だ。

(何度も書いておくけど、その人が悪意だと思っていなくても、私にとって悪意であればそれを憎むということだ)

そして私の怒りがどこから湧いてくるかというと、
やはり刃を向けられた辛さや悲しみからなんだろうな。

では、私は他者にそういう行動をとっていないのだろうか?
自分の意識下には悪意はないが、他者はどう思っているのかわからない。
詮索できないから、
はっきりしたいのなら、自分の口から言うしかないのだろう。
そこの部分は、他者の域なので私が積極的に関知はできない部分。
だから、自分からは行かないけれど、もし他者から言われたら、
その時は誠意をもって接するしかないだろうな。

根が深いわぁ。

取りあえず今日は、
考えても変わらないことは考えない。

雨のせいなのか、歯列矯正の余波なのか、
超絶頭が痛い。
白血球さんやマクロファージさんみたいな強い免疫細胞さんが頑張ってくれていることをイメージしながら、すこしぼーっと過ごしましょう。
私は一人じゃない。