うちのテレビの録画機能「連ドラ予約」は、
1クールのドラマが終わってもそれを認識しないことがたまにあって、
自分が見ようと思っていなかったドラマが2クール分たまっていた。
どうしようかと思ったけど、見始めてしまった。
1つは、年末に掃除をしながらちょこちょこ見た。
そしてもうひとつを今日最終話まで見終わった。
どちらも恋愛もので、どちらも「いやそれ現実にはないやろう」というシチュエーションがバンバンでてくる。
でも、そこがあまり問題視されないのは、
登場人物たちの人間模様や心模様があるあるだからなのかななどと考える。
登場人物の誰かに自分を投影するでもないのに、
次はどうなるんだろうというのが気になる。
彼らの関係性はどうなるんだろうと気になる。
ドラマのどこかに近くでそれをみているかのような、
そんな風景を作り出せたなら、ドラマとしては成功なんだろうなーなんても考える。
この手のドラマは、アクがない。
ほぼ出てくる人はいい人だ。
物語としては、そこに白々しさがある。
だって、そんな世界は存在しないのだもの。
誰かを出し抜かないと生きていけないような、
効率化を気にしたり、体裁を気にしたり、
そのために「あるべき」を強いられる世の中。
しかもコロナで、ますます私たちの気分は沈みがちだ。
だからこそ、多少つじつまはあわなくても、
全てが善人で、人のことを考えている人たちがたくさん出てくるドラマは、
見るだけで、その時間だけでも砂糖菓子のような気分になれる、
そこがいいのかもしれないと思った。
主人公たちは、不器用だ。
設定は様々だけど、トラウマがあったとしても、単純なもので、
それがドラマに出てくる人々とのかかわりの中で解消されていく。
現実の世界ではそんなことはありえない。
だけど、一部分だけを見れば、現実にもこんな風なドラマはあるのかもしれない。
そんな風に、もし思えるとしたら。
シンデレラのようなストーリーはなくても、
コンビニのスイーツを買って食べるだけでも、
ドラマにあったような「ああ、このスイーツは配送テストを経てここに並んでるんだな」なんて思ってみれたりする。
あんなかわいいかっこいい人たちは開発に関わってはいないと思うけど、
でもそれ以上のドラマがここにはあるんだろうなと思ってみたり、
あんなに仕事のできる人でも、
いや仕事ができるからこそ、
こんな風にぱっと判断して動けるんだろうなと思ってみたり、
いつもと違う目でドラマを見ている自分を、楽しんだりもした。
人間の甘く美しい部分だけを取り出したドラマ。
そんなのありえないと思いながらも、それを渇望している自分がいることにも気づく。
理想をあり得ないものだと、思い込んではいなかったか。
2クール分のドラマを見て、気づいたことのひとつはこれだった。
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今日は、1ケ月と2週間ぶりの歯列矯正の調整日。
帰宅して、コーヒー淹れてプリン食べたらもう眠くて眠くて、
お昼も食べずに寝てしまった。
2時間ほど寝たみたい。
何やら夢を見ていた気がする。
おきた直後は覚えていたのに、今となっては全く覚えていない。
ナイーブな私は、
まわりからの影響を受けやすい。
感情の揺れは随分調整できるようになった気がするけれど、
神経は敏感なので揺れるというか、振れる。
これは自分軸とかの問題じゃないから、やっかいだ。
意識で変えられるものじゃない。
止めようもないので、この振れてしまう神経をどうケアしていけるのか。
そして目の前の人をどうケアしていけるのか。
答えなんて出ない。
場当たりで生きるしかないけれど、
自分の心の中に、せめても自分の花を咲かせていたいなと思う。
誰もが馬鹿にするだろうけれど、
理想は胸に抱いておきたい。