先日は成人式でしたね。
今回はコロナで、該当学年の子や親御さんはやきもきされたことでしょう。
自分の成人式を振り返ると、
1年前の骨折が癒えてなく(というか、半年後に再骨折したので、松葉杖でして)
振袖着て松葉杖ついていく気はなかったので、出席しなかった。
それこそ、入院~退院~入院を繰り返していたので、
福岡に帰る選択肢もなかった。
不憫に思ったのか、お正月に叔母たちが着付けをしてくれて、
叔母の振袖を着て、家の中で家族でお正月の写真は撮った。
当時は、成人式と同窓会はセットだったのだろうか?
全く記憶がない。
行く気がなかったからなのか?
FBから、何年か前のこの時期の投稿がお知らせされ、
5年前の娘の成人式の写真がアップされていた。
彼女はこの時写真館に勤めていて、
前年3月に家族で行った際に別の振袖で前撮りしていた。
結構お金かかったはず。おばあちゃんが出してくれたけど。
そして今回、福岡に戻りまた別の振袖で。
この後もスタジオで撮影したので、
その分かかりまして。
この頃はヘアメイクはもちろん、ネイルに貸衣装一式、
その後の同窓会用のドレス一式と、女子は非常にお金がかかるようになっている。
とはいえ、それをみたい親心だったり、婆心だったりするのだろうね。
本人がとても気に入って借りて送ってきた着物の柄がとても素敵なので、
5年前のものですが、アップしてみます。
まるで美術館みたいなの。
ついでに再度刈り上げてツーブロックにしていた髪の毛も。
今や、そんな自由なことはできない化粧品メーカーに入ったので、
こんなやんちゃっぽい彼女の姿も見れないのがちょっと寂しい。
娘の成人式の話をしたいのではなかった💦
あれから5年と書いたのは、
この日、私に変容があったから。
娘が帰省してきて、成人式のためにいろいろ準備したり、
それで私の気もまぎれていたのだけど、
この数か月前から、仕事での悩みがあった。
この時私はある会社に属していたのだけど、
その環境に耐えられなくなっていた。
社内ではイライラした社長からの罵声があがり、
みなシンとなる。
入ってくる人も多いが辞める人も多い。
そんな中で私も役に立とうとしていたが、
ある日、日報がかけなくなった。
「どう書けば、何も言われないか」。
成果を上げること、評価を下げないこと。やり玉にあげられないこと。
毎日そんなことばかり考えていた気がする。
体の調子も悪くなっていった。
会社は結構過渡期で、変革期だった。
半分以上が退職する中、
私は残ることを決めていて、その立て直しにも頑張っていた、そのさなかだった。
私にとっても、ここで頑張ることはきっと自分のためになると思っていた。
だけど、私の体はそうは思っていなかったようだ。
私は週1で出社する体制だったから保てていたのだろう。
「もう無理だ。私が死んでしまう」
そういう声が、自分の中から聞こえた。
それが、成人式の娘を会場に送り、帰る車の中だった。
その声を聞いた私は、決心して、その日かその次の日かに辞意を社長にメールしたのだった。
それが、やっと、自分の声を聞き、それに従うことができた
最初の出来事だった気がする。
現金なもので、それを決めた瞬間から、吐き気が止まった(と記憶している)。
そこからの道のりも、思えばまだまだ道半ばに長く、
だからと言ってバッサリ180度転換できたわけではないけれど、
(そういう人もいると思うけど、個人差があるようで)
私は私で、じっくり山あり谷あり、一つ解消したらまたひとつあるように、
絡まった糸を一つずつほどくように、
進んできたなぁと思うのだ。
1月2月は、私にとって割とそんな転機が多い気がする。
そもそも天中殺の期間だし。
生まれ月前後なのに~って思うけど、
生まれ月前後だから、区切りというか切り替えというか、
そういう力が働くのかなとも思ったりして。
春が来るのはもう少し先みたいだけど、
春は必ず来る。
そのためにも、今はできることをしよう。
自分を愛でることだって、できることの一つだ。