昨日、仕事で出会ったMさん。
業界では超人気の講師なのらしい。
ご本人はとても謙虚で腰が低く、いつも何かを「わぁ素敵ですね!」ととても気に入り、にこにこされている。
彼のセッションについて思ったことは、
彼は何か知識を教えるという方ではないということだ。
それはご自身でも最初から言われていた。
もちろん知識はお持ちなのだが、私がここ10数年関わっている、別の業界にいらっしゃるような修士、博士等をこなした方々という感じではない。
圧倒的に自分で歩き経験した数を知識としてお持ちなのだ。
彼のセッションでは、その経験のことを具体的に話すことはなさらない。
あくまでも、今そこにあるものについて話される。
例えば「ここにあるこの木は、ここが切られている。以前はつながっていたのに、切られたので片方はまっすぐ伸び、切られた片方はそこから追いつこうともっと光があるほうを目指して伸びた。だから斜めに枝を伸ばし、より光合成ができるように多くの葉をつけた」みたいなことを語られるのだ。
実際に昔そういうことがあったのかどうかはわからない。
ただ、今のその木の状況をみるに、そういう”歴史”が想像できるわけだ。
彼は、木や草花に思いをはせ話をされるときに「この子は」という言い方をされる。
私と同じだw
日本の森林には、どんな木々が生えて、どんな営みがあるのか。
また、あなたの家の近所に生えている木の名前は何といって、
なぜそこに生えているのか。人が植えたのなら、どんな想いで
植えたのか。それとも自然に芽生えたのか。もしも知ることができたら、楽しいことになると思いませんか?
いつも見かける木のことを知って、何になるの?森といっても山々に広がっているでしょう。
それを知って何になるの?
そう思われるお気持ちも、とてもよく分かります。25才くらいまで僕もそうでしたから。
木や森と聞いても、実生活の中では特にリアリティーを感じない方が大多数なのも、よく分かっているつもりです。
たしかに、木の名前や生き方、森の営みを知っても、何の役に立つのかは、僕にもよく分かりません。でも、木々の営みを、森の営みを知ると、それはそれは、すごいことになっているんですよね。
そしてそれらは、あなたの生活に、必ず「 なにか 」をもたらしてくれるはずです。
彼のブログにある言葉だ。
改めて彼と話した時のことを思い出して、
彼は森のストーリーテラーだな、と思う。
彼が言われるには、(森の案内人~ガイド~の養成講座だったので、ガイドの心得的なところで話されたのだが)
「ストーリーは自分で作っていいのです」という。
もちろん適当な妄想のことを言われているのではない。
事実をしっかり現場から読み取り、そのうえでストーリーを紡ぎなさいということなのだろう。
それにはやはり観察が必要だ。
そこにある真実は観察でしか読み取れないから。
私が大学でやっていることと、本当に同じことをMさんは体現される。
あまり学術的なことは言われないのに、
彼の言葉にみなが納得し、楽しく引き込まれていく。
彼がストーリーを語ることをみせる。
みながそのストーリーから「知らなかったこと」を知る。
そんなストーリーがあったかもしれないことを聞き、
「それまでそんな見方をしていなかったこと」に気づく。
そうすると、聞いている方は、いままでみてきたこの地が、まったく違う場所のように見えてくることに驚くのだ。
ものの見方を変えると、今まで見えていたものの奥にもっと広い世界が広がっていることに気づく。
そのことを直接言葉で言わずに、Mさんが紡ぐストーリーで理解させるのだ。
圧倒的な説得力である。
目指したいところだ。
といっても私はストーリーテラーやファシリテーターになりたいわけではない。
ファシリテーターは実際やってはいるが、
それは、対象となる人に自分で気づく経験をしてほしいから。
人が自分で気づくことで、大きな納得感と自己理解・自己受容ができることを私は体験的に知っている。
だから、それが起きる場を作ること、そこでの問いかけや流れを作ること、促すことを手段として行っている。
改めてそんなことを考えてみた。
いや、実のところこの3か月ほどずっと考えているのだが、
うまいこと言葉がぴたっとこないのだ。
キーワードはいくつかたまっている。
絵をかくことからはじめるかな。
森に入るその爽快感と、今思っている感じているこんな風にしたいというビジョンとをどうつなげるか。
それこそ自分づくりのストーリーを紡がないと。
「自分づくりのストーリーテラー」。キャッチはこれかな。