ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

やっぱり花壇がいい。2020.1.10

昨日は愚痴だったので、気を取り直して。
夫の状況はあまり変わっていないようですが(さっき電話してみた)、
私は仕事に出ているので現時点で気は楽です。
関わる周りがそれで疲弊したら共倒れになってしまうから、
個人の健康は保っておきたいところです。

さて、昨日は今年度の講義の最終日で、そこでの出来事を書こうと思います。
「ソーシャルイノベーション」という講義での話。

冬休みの宿題として、「自分の身の回りのジレンマとその解決方法」というお題が出ていました。
学生たちに数名発表してもらったのですが、
うち一人が出してきたのが、大学の駐輪場問題。
うちの大学は、大方駐輪場の整備はなされているのですが、
旧正門近くの古いところは未だ整備されていないそう。
そこに止める自転車は、綺麗に並んでいる時もあればそうでない時もあるそうで、
そこには自転車整備のためのおじさんもいるのだとかで、
そのおじさんが互い違いに少しずらす感じで、
狭くてもぎっちり並べられるようにしてくださるという。

発表した本人は、綺麗に並べたいと思いつつも、
忙しい時(講義に合わせてくるので時間がないのかな?)は
雑然と並んでると、「悪いな」と思いつつ同じように気を使わず置いてしまう。
「どうせおじさんがしてくれるし」とも思うとのこと。

その子が出した解決案は、
「駐車場の前にインスタ映えするくらいの綺麗な花壇を作ること」。
「たまに植え返されるともっといいな」と。

インスタ映えのするお花を撮りたいから、
綺麗に置こう」とかそんな風になってくれるといいよね。

でも、常識的な考え方としては、
「まずラインが引いてないことが問題で、
自転車を並べて置くためのラインがあれば、
また駐輪システムがあれば解決する」。
この可能性は大いにある。

福岡市都市部も、10年ほど前は駐輪マナーの悪さは全国でも有名で、
駐輪バスターズみたいなおじさんたちが登場したりもしたが、
市が一念発起して駐輪場を各地に作ったら、その問題はほぼなくなった。
違法駐輪の自転車はすぐレッカーで持って行かれるし、
おかげでなのか、駐輪に関する悪評は聞かなくなった。

歩道に乱れて並んでいる自転車の光景に比べれば、
今のきちんと並んだ駐輪場の景観は清々しい。

で、大学の話に戻る。
T先生は上記のように、
「ラインが引いてないことが問題で、
自転車を並べて置くためのラインがあれば、
また駐輪システムがあれば解決する」と言われる。

私もこの発言を聞いていた時には、
「解決策としてはライン引くか駐輪システム導入だよなぁ」って思っていた。

でも、なんだか心の中がざわざわするのだ。

個人的に、私は綺麗な花壇とそれに共存するように自転車が置かれている方がいい。
確かに枠があったり、入れさえすれば綺麗に並ぶ駐輪システムがあると、
機械的に並ぶ。問題は解決する。効率も良い。
でも、景観はどうだろう。
なんだか人工的な、、ブロイラーの個室に入れられた鳥小屋的なものをイメージしてしまうのだ。

乱れているよりは整列した方がいいけれど、
でも、花壇と比べたら、やっぱり花壇がいいのだ。

花壇じゃ整列できないのだろうか?

確かに、花がある分自転車は置けない。
みんながみんな花が好きなわけではないだろうから、
花は抑止にはならないかもしれない。

でも、そういう世界を理想としたいなと思った。
お花が抑止力になる世界。
みんなが景観を大事にして行動する世界。
成功例はないのかなぁ。


ちと忙しくて検索する余裕まではないけど、
そういうことができればとても素敵だよなと思った。


これが成功すればソーシャルイノベーションになるのだろう。
ただ、花を植えるだけ、啓蒙するだけでは問題は解決しない。

解決しなければ、意味がないのだろうか?
すごくモヤモヤしている。