ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

めくると開く優しい世界 2019.1.29

タイトルからするとなんのこっちゃって感じだけど、
新聞の話です。
今日、FBに書いた記事の転載です。
FBに書くよりもブログネタっぽいので、最初からブログでもよかったんだけど、
なんとなくFBに書きたくなってしまった。
誰かに読んでほしかったのかもしれない。

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家族の中で新聞を読むのが私一人になっても、新聞購読をやめられない理由の一つに、こういう記事と不意に対面できるからというのがある。

ネットで見る記事は、ニュースならネットが早い。
仕事や関連分野の情報も、FBやSNSで濃いものが拾える。
でも、必要なものだけ、っていうのはなんだか味気ない。

毎日の生活にどうしても必要なわけではないけど、ってものがある。
今日なんか、新聞を開いたら、ばーんと佐藤正午さんの文章が並んでいて、そうするとおおっ!と勝手に目が行き、読んでしまう。

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佐藤正午さんは好きな作家だからなおさらだけど、読んだことのない作家さんの文章に出会える場合も多く、新聞で読んで面白そうだと思ってその作家の本を買うことも多い。
私にとって、新聞はそういう出会いの場なのだろう。

新聞をパラパラとめくっていて見つけるものと、ネットでスクロールしながら見つけるものが、微妙に違うように感じるのはなぜだろう。

新聞擁護者では決してないのだが、いつもなら目に求めないようなものが、新聞を目にすると飛び込んでくる可能性があるから、それを欲しているんだろうなと思う。本屋さんに行く感覚とそれはよく似ている。動く活字と動かない活字の違いはなんなんだろう?

新聞購読をやめられない理由のもう一つは、
そういう感覚を、息子にも感じてほしいと思っているから。
彼は新聞欄すらも読まないけど(テレビで番組表が見れるから必要がないみたい)、新聞がある生活、親が読んでいる姿は見せておきたいと思っている。

今日の西日本新聞北九州市長選がなかったら、一面嵐になっていたかも?笑f:id:miww55:20190128234635j:image