今日は、母の足の診察日でした。
一区画南の整形外科で診てもらっています。
このところは、雨も降らないし、そこまで寒くもないので、
お散歩がてらにコロコロ車いすで行ってます。
一番気になっていたところは、肉も盛り上がってきていて順調。
カットバン仕様になりました。
もう一つの傷は、もうちょっと時間がかかるようですが、
本人曰く、痛みは随分落ち着いたらしいので、経過は順調と言えそうです。
週1の診察でよいとのこと。
週1は早起きしてそのまま頑張って行かなきゃ。
===
高1息子の弁当のご飯詰め、おにぎり作りがあるため、
朝は6時起床。
・・・嘘をつきました。
6時起床は息子と夫。
私は6時10分にタイマーかけててw、
6時20分ごろにごそごそ起きます。
まあ、それでも6時20分には起きてるわけです。
12時に寝ても6時間20分しか睡眠取れないので、
昨日は頑張って、11時過ぎに布団に入りました。
そういう時に限ってなかなか眠れない。
寝たまんまYOGAの40分ものを聞きながら、
うとうとして終わってしばらくして寝入ったよう。
私は睡眠が基本薄い、浅いみたいなので、
時間を稼がないと、寝た感がしないんです(つまりは眠い)。
それで少し早めに寝てみたけど、この頃の睡眠負債もあって、
起きてられなくて、送り出した後に1時間半タイマーかけて寝てました。
タイマーなるの早い(´;ω;`)
1時間半寝た後もまだ眠いけど、
母のところに行かなきゃ午前の診療に間に合わない。
用意してると、母の施設から「いつきますか?」って電話で、気持ち的に煽られる。
今日は母の施設はお風呂日なので、いつ診察に行くかで、お風呂を午前にするか午後にするかの調整があるのです。
私も早く診療済ませて、可能なら映画に~くらい、
昨日の時点では思っていたのですが、
この体調じゃ無理だ。
眠いだけじゃなくて、昨日夕方から妙に足元から冷えてきてて、
ちょっと用心だなとは思っていたんです。なので、寝る前に玉子酒まで飲み。
結果的に、玉子酒は、あんまり効いた感なかったーー;
まあそんな感じで、ちょっと体重いなって感じで、母のところに行き、
診察いって、母の希望でドラッグストアに行って、施設に戻る。
お昼を大きく過ぎていたので、母はそのままお昼ご飯で、バイバイ。
私はそれからバスで帰ってきたのですが、まだ体はだるだる。
(c) .foto project
なかなか気分が切り替わらないなぁ。
体の声を聞くなら、寝るか、と思いつつも、
洗濯したり、洗濯もの畳んだりしてて、
ふと、このところ出していたけどつけてなかったホットカーペットを、つけてみました。ここに座って洗濯物畳もうって思って、やってたら、あったかい↼当たり前。
正座して座ってるので長くは座れない。
洗濯物を畳むくらいはちょうどいい長さなんですよね。
ついでに、録画してたまんぷくも見て。
すっかり足もお尻も温まったら、
あれ?体が動く。やる気も出てる。なんだこれ?です。
結局のところ、からだが温まるとホッとする効果と、
物理的にも冷たいところが温まる→血行がよくなる→不定愁訴なくなる→からだすぐ動くという効果が!
なあんだって感じですが、
毎日、身体の調子って微妙に違うもので、
特に私のように敏感ちゃんは、同じことが通用しない。
こういう「ふと」という直感は、身体からのお知らせなので、
いい具合の「こたえ」なんですよね。
それに気づける自分が嬉しいのと、実際に体が楽で楽しくなるのが嬉しい。
まあそんな風にエンジンがかかってくるのが、時間的に遅いので、
時間を有効に使うっていうのがなかなか難しいんですが、
そろそろ家でも仕事することを組み入れながら、身体の声を聞いていこうかなと。
で、本題です(前振り長い!)。
ミユさんのように、開き直って生きていきたいなぁと思うんです。
彼女の生きざま(自伝)を読んだ時、物語としては非常に面白く惹きつけられるけど、私にはこの生き方は到底できないと思っていました。
おそらくほとんどの方はそう思うと思います。
でも、彼女のどこか魂の中にある「非日常を日常にしたい」様に思える欲求、「できないことをやってみる、できることにする」欲求は、私の中にも実はあって。
私は、これが目覚めることを実はとても恐れてきました。
ちゃぶ台をひっくり返し、着物を肩からぐっと脱いで、タンカ切る、みたいなところが、実は実は私の中にはあるんですよね。それを押さえて押さえて生きてきてる。
神様に「私の本当の願いを教えてください」ってお願いする時、実は怖い。
私の本当の願いが、たんかをきりたいってことだったら、どうすればいいのって思っちゃう自分がいるから。
今日、足とお尻があたたまって、非常に気分がよくなった私は、いつも読んでるさかつめさんのいばや通信経由を読んで、さかつめさんがミユさんに会うことになったみたい!勝手にワクワクしながら、ミユさんのNOTEを読みに行きました。
今日の記事はこれ。
わたしは、人生に感謝と喜びがいつもあるのが本来の人間の姿だと思うととても辛かった。わたしにはまったく無理なことだったから、そうなれない自分がとてもダメなものに思えた。
うぉお~~クソ寒み~~~、冬なんか大っ嫌い!とか、また人を怒らせてしまった・・・人間って難しいな・・とか、そんなことを日頃から常々思っている自分が情けなかった。
でも、それこそがベースだと思うと、なんか面白くないか?!と思ってしまってから、・・・いや、一瞬は、「自分は弱さのあまりここまで都合のいいことを思ってしまうなんて、頭が病なのか?」と思ったけれども、そこは図々しく、「一旦それを仮真実として考えてみよう、勝手に自分の中でやるだけだ、誰にも悟られまい・・・」として許可してしまってからは、その気楽さ便利さは温泉のように優しいため、すっかり気に入ってしまったのだ。
まず、寒いのは辛い。辛い辛い辛い。だって寒みぃんだもん。大事な人を怒らせてしまって、辛い気持ちになる。辛っっっ過ぎる。これも自然なことだ。ポジティブに変えようだなんて、心に添加物を混ぜて腐らなくするみたいな感じだ。辛いもんは辛い!このナチュラル思考こそナチュラル志向だ!
・・みたいな、都合の良~~い、自分に甘~~い、まあるい、バームクーヘンのような優しき設定。自分はこれを支えに生きていこう・・・
わたしはスピリチュアルな生き方をしたかったのに、脱落するのだ、さようなら・・・と思った。ザイオンにいることを諦めたつもりだった。
ところが、ところがだ・・!
この世は苦なんだから、と受け入れてしまったとき、皮肉なことにわたしはここが楽園だったと知ったのだ。
一周回ってポン!というか、探していた眼鏡をかけていた!というか、探すものなどなかったというか、苦設定=楽園て、ああ人がモノを理解する仕組みの小憎らしいことよ!!
いいのだ、辛くて。楽になろうとしなくて。それを許さないから、辛かったのだ。寒いことは辛いから、だから楽園なのだ。
この思考ぐるぐるがすごくわかる。
そして、そうだよなと思った。
結局自分がどう受け入れるかどうかなんだけど、
ああ、そうか~って実感しないと、
人は受け入れることなんてできないんじゃないか(少なくとも私はそうで)
最終的には、きっと苦も楽も同じことなんだろう。
みんなが言ってることってそうなんだと思う。
でもそう思えない自分を、どこかうなりながらみてるようなところがあって。
何が本当なのかわからず、でも自分が思うのが本当で、
ええでもそれって本当にそうなの?なんて思いながら、
ああでもないこーでもない。本当はどこにあるんだ??
そんな思考をぐるぐるさせているなかで、ぽんっと出てくるもの。
ミユさんが書いてる「一周回ってポン!」ってのは表現的によくわかる。
結局は自分が設定しているもの次第で、どうにでも見えるもの。
これはF先生が言ってたことともかなり重なること。
振り子をどこから見るか。
振り子の設定をどうするのかってのもある。
どれも、自分次第でどうにでもなる。
だから、ちゃぶ台をひっくり返すことになっても、きっと大丈夫。
(と今は思う)
書きながらドキドキしているけれど。
でも、せっかくひっくり返すなら、
今まで蓄積してきたモノで活かせるものはちゃんと生かしたいし、不義理はもうこれ以上したくないのよね。
クールヘッドで、ちゃぶ台ひっくり返そう。返すなら。
そのためには、自分が行きたいところのイメージング、ビジョンを明確に、ですね。
やっぱり。
まあ、まだ何にもしてないし、する予定もないけど、
いつかちゃぶ台をひっくり返したいと思います。
感情的にならず、ウオームハート&クールヘッドでw