ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

今更ですが、2018年の振り返り~2019.1.4

もう年開けて4日で、仕事はじめだったりしますが、
ほら、私って開店休業みたいな感じだから。。。(苦笑)
まあ、これはフリーランスのいいところだと思っております。
からだに無理せず、今年もじわじわと。

で、私、年末慌ただしかったのです。
沖縄振り返り記書くの頑張っちゃって大作になったので、
この執筆に何日も費やしてしまったし、
例年より早く年末年始休みで長崎に行くことになったので、
慌ただしさに拍車がかかってしまって。

気持ち的にも2018年に蹴りをつけたいと思っていたので、
2018年の振り返りを今日書いてみます。

<2018年のトピック10!>
1.1月~4月 病重く。
2.息子 高校受験&中学卒業&高校入学
3.3月 義母プレゼンツ息子合格記念旅行
4.5月 2週間の入院チャレンジ
5.夫の病気~入院~手術等々
6.201712~5月 娘長期ステイ
7.母の手術~痴呆~母家退去~老健~覚醒~特養
8.6~9月 夏のプロジェクト、プロジェクト休止の報
9.卒業生・大学生版書くPで、念願のU理論をLSPで。
10.12月 初沖縄。久しぶりの巡禮記。
番外編:
①娘 美容部員のお姉さんになる。
②そういえば矯正も開始。これほんとはトップテン入りのはずw

※ランキングではなく、時系列に並べてみました。

1.1月~4月 病重く。
2017年の9月から悪くなり、年越しにもほとんど食べれず、やっとの思いで通っている病院の若手の先生に診てもらったのが、ちょうど1年前の今日だったと思う。
そこで、これまでの近所の病院でついていた病名が違うのではとなり、「過敏性腸症候群」という名前の病気(症状)として新しい薬を出してもらい、それから徐々に持ち直し。
九死に一生を得た感があった。
とはいっても、回復にはとても時間がかかった。体の回復と心の回復は即リンクしない。
家族の協力なくては、ここまでこれなかった。
3月後半~4月には、ようやく少し出歩けるようになった。

1月こんなことを書いてますね。調子がいい時だな↓

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2.息子 高校受験&中学卒業&高校入学
受験生だったのです。息子。
それなのに、まあ私の世話もようやいてくれた。
部活終わったくらいから、やっと将来のことを考え始め、自分の目指す道を設定し、私もそれにつきあって、美術系の進路を探して助言して。
客観的にみても、彼にとっていい経験になった、受験期の過ごし方だったように思う。

もう少し早く始めていたら、今みたいにブーブー言いながら行く学校にハマらなくてもよかったかもしれないけどw もう少しレベル上げられただろうけど。
それも学び。
まあおかげで今校内では上の方に位置できているから、その点では自己肯定感上がってると思われる。

3.3月 義母プレゼンツ息子合格記念旅行
義母の立っての願いで、卒業旅行に別府温泉に。
私の体調がどん底で、1月2月は電話で話すこともきつかった。
義母は悪気はないのだけど「そんなので大丈夫なの?」なんて言葉を平気で吐く人なので、この期間はできるだけ避けていた。
食べることができなくてちょっとしんどかったけど、動くのは平気になったので、
行くことができて、温泉も気持ちよく入れて、それだけでも随分よかった。
義母プレゼンツはありがたい。

娘も来ていたので、5人で。このメンツでお出かけするなんて、もうなかなかないかも。
杉乃井パレスの温水プールに入ったのも、よき思い出。
子どもたちが居なかったら、そういうのに入ろうというのもないだろうし。
晴れた空、空気は冷たいのに、お湯はあったかく。面白かった。こういう肌感覚を味わえたのが幸せ。

4.5月 2週間の入院チャレンジ
私の病気をがっつり治すには、「一人で過ごすこと、ひとりきりになること」が大事だ。
自分の身体に目を向けて、ひたすら自分のことを見つめる時間をすごすこと。
母も夫も病気で、背負ってしまった2017年。私の性格的に背負いたがるところもある。
だから、無理にでもそれを引き離す必要があった。
娘がきてくれているので家事は任せられた。
息子も高校入学したので、まあ手がかかることはない。弁当くらい。
問題は、母と夫だった。
母の家を退去するその当日と夫の入院手術には立ち会えない。
それを娘に託した。
娘が居てくれなかったら、私は今もおそらくここまで元気になれていないと思う。
託せる人がいてくれる。それだけで随分と心が楽になった。

正直なところ、母の家の整理に何度か通い、そのたびにいろんな思いが出てきて、もっていかれそうになった。

だから娘にそれらを託すのは、私にとってチャレンジだった。
「私がやらなきゃいけない」を手放すこと。
娘はやすやすとその壁を乗り越えてくれた。

入院中には胃カメラもやった。
以前の経験から、胃カメラは恐怖だった。
がこの病院では全身麻酔はなく、余計に恐怖は増した。
結果的に、技師さんも先生もとても上手で、
全く痛くもなく、不安をかなり軽減してくださって、乗り切れた。

一時、薬が切れると症状が出たが、入院中だったのでケアしてもらえ、
結果的に、入院中はすこぶる体調がよかった。
あの経験は、私に自信をもたらした。

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5.夫の病気~入院~手術等々
夫の病気はいろいろあって、症状もいろいろあって、
その症状のひどさに結構私は振り回されてしまう。
苦しそうな姿は、私にとっては大きな波のようなもので、襲い掛かられてしまう感じになるのだ。
かといって、なにもできないし、誰も救えない。

それ+、今回は大腸がんが発覚し、手術してとることになった。
取ってみないとステージはわからないというアバウトな感じで(まあ実際はそうなのだろうけど)、まあ手術、手術後も順調予定通りではあった。

が、退院後はまた傷みがあったりなんだかんだ。
彼の体調により波がある一年だった。これは続くので慣れるしかない。

6.201712~5月 娘長期ステイ
娘が仕事をやめたことと、私夫母の調子が思わしくないこともあり、山形から帰ってきてくれた娘。
夫の手術や私の入院もあり、4ケ月ちょいも居てくれました。
物理的にも、私の精神的にもとても救われ、また彼女が戻ってきてくれたことで、家族が家族を考える機会にもなったかな。
息子が受験期で不安定になりそうだったので、おねえちゃんの存在は大きかったと思う。

4でも書いた通り、娘には大人として動いてもらえ、運転手としても活躍してもらえたので、大助かり。
彼女は数か月、テレアポの仕事をしたが、この仕事は「できるけどしたくない」という学びも得たようだ。山形に帰って求職活動をするにあたり、この経験は職業選択に大きく関わった。
結果、今の仕事を見つけられたので、人生何がきっかけになるか学びになるかわからんなと思うわけで。

7.母の手術~痴呆~母家退去~老健~覚醒~特養
母にとっても激動の一年だった。
その前の年は手術を4回。そして最後の手術が今年1月。
母の転院手術のつきそいは拒否し、弟娘夫がやってくれた。
私がやらねばを手放せ、私にとってはとても大きなことだった。
その後、療養型の病院に転院させたら、痴呆が酷くなり、コミュニケーションが取れなくなって、私は激しく動揺した。
それがあったから母宅を処分することも決められたのだが、
母が居なくなってしまった感じがして、心が辛かった。
今思うとそれは受け止められなかったのだ。
母を失った感じがした。


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老健への移動で、なぜか母の痴呆が劇的に改善し、食べる、笑う、話す、すごくいい環境になった。
のもつかの間、長居はできず、特養に。
一応ここが終の棲家になる予定。
8月からお世話になっている。母も随分受け入れて過ごしてくれている。ありがたいことだ。
補聴器もつけて、定期的に耳鼻科へも行けて、やっと私たちもペースがつかめてきた感じだ。
週に1回は行くようにしている。
やっとここまできた。


8.6~9月 夏のプロジェクト、そしてプロジェクト休止の報
病気が長引き、4月の講義には間に合わず、5月から大学へ。
プロジェクトは根を詰めずに付き合うこととして、MTGに全部出ることを目標にしないことにした。週1は休んだ。
おかげで、本番にも行け、働けた。
閉校式まで自分の持ちプロジェクトもこなせ、走れた。

もう一つのプロジェクトが場がないためにできないので、
このプロジェクトが砦のようになっていたが、これも予算がおりないということになり休止だそう。
こうして、ことにしがみつくことをできなくさせられる。

収入がくっついているので、私にはとても痛い。
どうなるのかわからないが、とりあえずからだを保つことが優先というのはわかっている。


9.卒業生・大学生版書くPで、念願のU理論をLSPで。
相手があってできるプロジェクトは、相手がないと場がなくなるが、
自分から作るものならできる。
ということで昨年から自主企画で、卒業生と在校生を対象に、プロジェクトをやっている。
今回は、レゴシリアスプレイ(LSP)だけで、組んでみた。
U理論をLSPでやってみる企画は、サブとしては何度もやってきたが、自分で回してみたかった。
今回それができたことと、目指す部分をちょっとだけでも彼らが理解してくれたこと、卒業生・在校生のつながりをつくれたことが喜び。
これはライフワークにしていきたいこと。
これも場があるからできることなんですけどね。ありがたいです。

10.12月 初沖縄。久しぶりの巡禮記。
これは、もう13本もブログを書いたから内容は省く。
きつかったけど、そういうことかと。
納得できているかどうかというと、全部が全部ではないけど、
結局は自分で仕切り直すしかないし、自分が強くなるしかないんだなというのはよくわかった。
どうすればいいのかはわからないけど、自分の五感を信じることからしかはじまらない。自分の五感を信じることから、自分を信じ、私は私だと開き直るしかないんだと思っている。

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番外編:
①娘 美容部員のお姉さんになる。
9月から正社員として働いてます。
5月に山形に戻り、就活していたんだけどなかなかいいのがなく。
ハローワークでみつけたよう。化粧品メーカーの正社員ものはめったにないらしい。
書類審査、面接は2回東京で。受かる気しないといってたけど受かりましたね。
まあ行くようになっていたのでしょう。
今は水を得た魚のようです。
このおかげでギャルメイクからは卒業したらしい。

②そういえば矯正も開始。これほんとはトップテン入りのはずw
そういえば、じゃないんです。
これおおごと。
息子は私より1ケ月前から開始。私は10月からで、4ケ月目に入りました。
違和感やら痛みやらもう大変。
でもだいぶ慣れても来ました。
続けるしかない。
===
振り返ったら、いっぱい忘れてるみたい。
ブログを読み返していたら、ああそうだったなと思い出せるから、こうして毎日書くことって結構必要なのかもしれない。
人は自分の記憶を正しいと思いがちだが、実は勝手に記憶を入れ替えたり、いいところだけ、悪いところだけ覚えていたりするもんだ。

これだけ頑張って一年過ごしてきたのだから、
生きてる感感じたいという私の望みは達せられている気がする。

一言でいうと私の2018年は、
「生きてる感満載の一年でした」

もう少し楽しい感じの生きてる感が多いといいな。
これからは神様にそれを祈ろう。

ということで、2018年振り返りは終わり。