ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

F先生との会話0627

「最初に脳疲労が起こる→腸疲労がおこる→脳疲労が起こるという悪循環」
腸疲労が起こってしまったら、まず腸を対応しないと、脳疲労から対応しても収まらないそうだ。

デリケートだってことは素晴らしい、ってことに気づく必要がある。とF先生。
「あなたは下痢したら、自分はけしからんって思うでしょ?」
「辛いからですよ~」
「それは違う。それは辛くしたから辛いんでしょ。」
「あ~、そりゃそうですけど~」
「腸を疲れさせるようなことをしたんでしょ。」
「そこがわからないんですよ。なんでこういうことになるのか。
随分改めて頑張って来ているのに、なんでこうなるのかなぁって。」
「それはね、

まず、ひとつは天候の問題。これは一番に大きなストレス。暑さ、寒さ、部屋に入ると温度差がある。普通の人は血圧がすぐあがる。あなたはもっと人より敏感に反応してるから。
それから、ご家族のことがバックグラウンドとして、大きなストレスでしょう。」
「それは随分落ち着いたんですよ。そこらへんのストレスは減ったんですよね。でもなんかモヤモヤ。。。」
「もうひとつ。こういうこともあるんですよ。いいことがあったらストレスになることがあるんです。」
「そうなんですか?」
「マイナスなことがあると頑張ってるですよ。で、ところがいいことがあるとほっとするでしょう。そしたらどっと疲れる。そういう繰り返しを生命はやってるんですよ。

だからなんでって言われると、理由は必ずあるんです。あなたが気づかないだけ。
文句言わないで結果に対してごめんなさいって言っとく。
感謝しなきゃ。いい思いをしてるくせに下痢したら文句言うって本末転倒です。
理由がわからないだけじゃないですか。
理由がわからなくても原因はあるんです。あなたがわからないだけ。腸には理由がある。脳にも理由がある。」
「それをどうにかしたいんですよ。」
「いやぁ、まだあなたはそこは、だから今私が言ったことを理解しなさいって言ってる。
天候もひとつの「そうか」と思うべきです。」
「そうですね」
「あるいはほっとする。どっと疲れてるよね。ごめんなさいって、腸に言ってあげる。二つの大きなストレスには、娘さんも随分手伝ってくれたでしょう?
お嬢さんと自分に感謝する。お嬢さんにありがとう。
自分にもありがとうといっとけば起こらなかった。」
「感謝してたつもりなんですけどねぇ」
「今度ためしてごらんなさい。
そして起こった時は起こった時の対処をする。
今日はごめんなさいの点滴をしましょう。ひたすら腸にご機嫌を伺う。
あなたなんでこんなことになるのと責めてるじゃないですか。
それがいけないんですよ」
「なんかびくびくしてるんですよ。いつ起こるかなと思って」
「それが間違ってる。
おこったらおこったってどうして思わないんですか。
おこったら対策とれるじゃないですか。
おこったらまだ十分に自分は学習ができてないんだなと思って、ごめんなさい。
恐れるなかれ、死ぬわけじゃない。
二度と起こらないようになんてってのは、それはあなた贅沢というよりも理解してない。」
「辛いからです」
「辛い時にはつらい対策を取るべきじゃないですか。辛いことを認めなきゃ。こうなるということを認めたら辛さが減りますよ。またおこったどうしようと思ったら、下痢も便秘もひどくなる。下痢が起こったね、便秘が起こったね。なんかサインがある。パッとそこに寄り添えば症状減りますよ。これ100%保証できる。学んでください。」

 

「先生、ごめんなさいはいいんだけど、対処はわかるんですけど。。。
このそもそもの原因は取り除かないといけなくないですか?」

「これはね、永遠にあなたは波が高くなったり低くなったりはなるんですよ。

これを認めなさいっていってる。こういうのを取り除くことはできません。絶対できない。

それはあなたの生命の、いのちの個性なんですよ。

他の人は下痢してないからいいなと思うでしょう?でも他の人は別になにかおこしてる。高血圧になるやらガンになるか認知症になるかうつ病になるか何か起こしてますよ。あなたのようなタイプは実は高血圧や認知症にはならない。

ということは、あなたは不幸じゃないんですよ。

個性の違いだけなんです。

そこが間違ってる、原因を取り除くというのは。それが自然なんです。」


「あなたは不幸じゃない」というF先生の言葉を聞いて、
私の中のなにかが(きいろちゃん?)ほーっとした。
救われた。
夕方、この言葉をかみしめながら歩いた。

そうか、私は症状が出るたび、不幸感を感じていたんだ。
少なくとも幸せを感じることはなかった。
症状が出て幸せって感じるって、なかなか高等技術だと思うw

「私は幸せだ」よりも「私は不幸じゃない」の方がリアリティがあるのはなんでだろうか。不幸じゃないの方が、納得感があるのだな。

私は私の敏感さを認められないでいる。
この敏感さがストレートに幸せとつながらないからだ。
でもこれが私。今日別所でも「敏感だね」といわれた。そうなんだよね。
敏感なことが症状や不快感を呼ぶから、嫌だった。
でも敏感だからこそ、人よりもいろんなことに気づくというのもある。
この敏感さに理由はないのだろう。この体で生きているのだ。
いのち頂いているからには、このいのちや魂を輝かせないとね。
敏感になることを恐れずに、生きて行こう。