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お詣りいっても、まとまらなくて。色々いってるけど伝わらないかもなぁって、
こういうところだけは妙に客観的に思うものだから、
この記事には救われた思い。
届いていないから、叶わないのではなくて
届けかたが下手くそだから、叶わないのではなく少しずつ、もう叶っている。
少しずつもう、叶っているんだ。その方向へ、心を向けてる瞬間から
流れているんだよ^ ^
ありがたいですね。こういうことを言ってもらえることが。
『私が幸せって思えるほうを選んで生きる。これからの人生でとにかく1秒でも多く笑って生きるから、そう決めたから、いっしょに手伝ってください。いいように助けてくださいねっ』みたいなのでもいい。
あったかいおじいちゃんに甘えるみたいな
感じがあってもいいと思うんだ。
昨日、母方の先祖の方々をアルバムで見ていて、おそらくひいおじいちゃんに当たるその凜とした方を見て「この人が私のひいおじいちゃんなのかぁ」と思っていた。
何をしていた人なんだろう?どんなことを考えていたんだろう?今どう思ってるんだろう?って思ってた。
私はなぜかしら、先祖の方は苦しい思いをたくさんしていて、
生きている私たちにどうにかしてほしい!といっぱい投げかけてくる存在だと思っていた。
死んだら人は体だけがなくなる。思いは残るから、それを生きている人に動いてほしいと思うのは、人情だ。
かつ彼らは時間感覚がなくなるから「今!」合わせて来ちゃうこといっぱいあるよなぁって。
で、私は、それを受け止めてしまう方。自分がしなきゃと思ってしまう方。
でも自分がしなきゃなのはなぜなんだ?
本当に私がすべきなのは、私が私の生を全うすることで、
先祖供養をすることが私の生ではないはずだ。でもついここが逆転する。
家族のために、家のために、というのは刷り込みのように私の中にある。
「私の応援をしてください」までは、毎日のおまいりで言えるようになった。
「私がこれをこう決めたから、こうしたいから」を持たないとなぁ。
ため息。
正直なところ、幸せになりたい、気楽に生きたい、健康に生きたいしかなくて、
今、それしか言えない。
「これからの人生でとにかく1秒でも多く笑って生きるから、そう決めたから、いっしょに手伝ってください。」これくらいは言えるかな。