ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

雪は降る~♪ってどころじゃない寒波到来だけど、私は家でぬくぬくしています。

いつもなら寒がりの私は、普通なら「どうしよう」となってしまうのですが、
今日は、お休みさせていただいたので(今期の最終講義でしたが、教授とツインでやっているのでお任せしました)
「雪、きれいだな」と思いながら外を眺めていました。
しあわせな気分です。
こんな気持ちになれるんですね。久しぶりです。

昨日のブログに書いたのですが、
私、自分に禁欲な修道女のような自分に気づいたのです。

miww55.hatenablog.com


これは私の中でかなり大きな気づきでした。
そういう自分が居ることはうすうす気づいていましたが、
頑として自分に罰を与えているような、
私の解放したい思いとは逆な女性がおりました。

その子だって、本当はそうしたくないのです。
でも過去に自分がした罪を、そうして自分が禁欲することであがなおうとしてるのだと感じます
ま、それが本当なのかどうかは別として、そう思うと、
これまでのとっちらかった「なんでこの状態?」がそこに集約されて、
私的には非常にわかりやすくなりました。
これだったんだと。
私のネガティブ要素はばらばらにあるのかもしれないんですが、
共通する根っこが、こういう形でイメージされるのだと。
見えてホッとしました。

自分の思考で身体も心もどうにでもなってしまう。
そこに気づきました。
ただ、今までの頑張りや手放したくない思いがまだまだあるようです。

今日は、そんな自分の要らないものを書きだして、
燃やしてみました。
自分護摩焚きです。

f:id:miww55:20180111221919j:plain
書きだしたものをひとつひとつ切って、燃やす。お線香は切れ端があったので一緒に燃やしてみました。ターボ型のライターはゴーっと燃やしてくれるので気持ちがいい。
これでもか!って感じで燃やしました。

お地蔵さまたちにも見守ってもらっています。

f:id:miww55:20180111221943j:plain

f:id:miww55:20180111222158j:plain

これは儀式なので、これで亡くなるわけはないと思います。
だけど、こうやってなくせるんだと私の記憶にイメージができることが大事かなって。
こうして灰にすることができるんですよね。
私の未成仏の思いも。

f:id:miww55:20180111222351j:plain

寝室から見えた、つかの間のお天気。今日は雲の流れが速かったけれど合間にお日様の光も見えて、それがとてもきれいで。
光がだんだん差し込み強くなっていく様子って、見るととても元気になれます。

お風呂は、今日体力ないなはいるのよそうかなと思っていたんですが、
なんだか急に入りたくなって、お塩にティトゥリーを入れて入りました。
お塩やお酒入りのお風呂は、八大龍王様とつながっていると、私は勝手に思っていて、
お湯につかりながら、気持ちいい~って思いながら「八大龍王様~」とお風呂の中でお願い事をしています。お風呂の中では一番素直な自分が出せるような気がします。

今日は3食美味しく食べられたことが嬉しかった。
今は、そろそろ寝たいかな。


今日考えたこと。何を思っているか。今何をしたいのか。
■今、そして未来何がしたいかという問いについて。

私は未来何をしようと思うのか。
「未来の目的、夢、希望​のために今ここに集中する」。

私は、人が自分で気づく瞬間を見るのが好きです。
「ああ、自分にはこういうところがあるんだ。」
って気づく、自分の中の鉱脈を掘り当てるような瞬間に立ち会うと、鳥肌が立ちます。
そんな風にいっぱい花が咲いていくような場を作るのが大好きです

それは小さくてもいいんです。確実にゆっくりでもいいから、
じっくり時間をかけて、その子が自己肯定ができるのを待ちたい。
そのためにレゴを使ったり、問いかけをしたりしてきました。

でもそれは人が関与しているんですよね。
人が関与しているということは、コントロールができないってことですよね。

人が関与する未来の目的ではなく、
魂としていかに生きるかの目的のほうが、人に左右されませんね。

魂として、私という人として生きる上での未来の目的だとすると
「私は、頑張らずに楽な自分で生きることを試したい。」
自分をいじめて嘆きながら生きるやり方ではなく、
ベクトルを真
逆にして、それでも生きていけるよって、自分で試したい


生きるべき自分の道は、自分の意志で決めていいんだと、心から言いたい。
言ってみたい。
実感したい。
私は私の心を信じたいし、細胞を信じたい。
できることは、ひとつの感覚に集中することからですね。