なんかまだいっぱい出てくるぞ。
「ねばならない私。」
「娘が頭が痛い」→「あらあら、大丈夫かな?」(心配性)「困った。ご飯作らなくちゃ」(私やれるかな?不安)→「鶏のみそ漬けストックあるし」(ほっ)→「息子帰ってくるし」(ほっ)↼イマココ
「評価されないと価値がないと思い込んでいる私。」
「はじめてのおつかいで、こどもがあおられていかされるのをみるのが嫌な私。」
「そうしなければみんなが納得しないという場に挙げられて、やらざるを得なかった私。
ケツまくれなかった私。」
すべてそっくり、癒したい。
正解とか不正解ではなくて、、、
いやもちろん、おそらく我慢しすぎたという間違いの道を選んでしまった私。
でも、やり直しはできるはずなのだ。
そうそう、思い出した。午前中に悲観主義だなと思い返しながら自分に夢想していた時に、なんで現実のことを思えないんだろうかと思ったわけなのだけど、
私は、自分がうまくいっているイメージを描くのを自分に禁じているんだ。おそらくね。
そう、ふと思ったんだ。
なあんだ。
難しいことでもなんでもなく、私は修道院の尼のような禁欲を、自分に課していたんだ。
私は幸せになっちゃいけないと、自分で呪いをかけているだけじゃないか。
それ、なんのためにやってるの?
私ってそんなに何か悪いことをしたの?
悪いことをもししたとして、でもそれは、自分を苦しめて生きなきゃいけないくらいのものなの?
ごめんなさいじゃだめなの?
私は幸せになっていいのだ。
きもちよくなっていいのだ。
楽になっていいのだよ。
謎がひとつ解けた。
万歳!