病気になると、気弱な自分が全開になる。
きつさが目の前にあるから、どうにかそれを取り除きたいと、気持ちも、エネルギーもそっちに行ってしまう。
先日ノートに書いてた「しんどさに同調しない」って言葉。まさに同調しまくりな現在(感冒性胃腸炎中)。
腹式呼吸をやめて(胃腸動かすとしんどい)でもいっぱい呼吸してみる。すると気持ちがすっきりする。ちょっとの瞬間だけど。
で、今日書きたいのは、信頼されないことを恐れない、だ。
病気になると、いろんな予定が狂う。
私の場合、症状が激しく出やすいので、かつ痛みに耐えるメンタルが弱くなってるので、日常生活が送りにくい。
結果、予定をキャンセルすることになる。
自分だけの予定ならどうにでもなるけれど、約束ごとは取りやめかリスケとなる。
一般的な日本社会においては、約束を守れない奴はクズだ。
私はそういう世代に生きてきて、その空気感を身に沁みて感じてきた。
病気になる度に、また子どもが病気になり仕事を休まざるを得ない度に、「大丈夫ですよ。お大事に」という言葉の裏に「こいつまただよ。使えない」という声を聞くような気がして、身震いする。
ということは、私が他者に対してそういう判断をしているからなのだろう。
んー。半分そうで半分そうじゃない。
ベストは予定通りだ。それでいろんな予定がまた組まれていく。でも、予定通りにいかないのが人生で社会で、病気だけじゃないけど想定外はいくらでも起こる。
それを調整できる人とそうでない人、調整できる場合とそうでない場合があるだけだ。と思うんだ。
なのに、仕事では、スケジュールを仕事第一にシフトしない人はできない人という烙印を押される。最近でこそ、子育て中介護中は融通もできる場合も出てきたが、制度よりも人の目の方が怖い。
長々書くのは、私がこれに苦しんできたからだ。
評価されたいというよりは、それをどうしようもない状態である人もいるんだと認めて欲しいのだ。
生きているだけでも価値がある。
存在してるだけでいいんだよ。
人としてはそう言ってくれる人が、仕事となると見る目が変わる。
そういうめのこともわかっているので(子どもの病気が続き、リストラ3回されましたからね)どうにか周りに面倒かけたくなくて迷惑かけたくなくて、私は自分に鞭打って頑張る。すると私が逆にダウンする。
逆効果だ。無駄な時間とエネルギー。
ダウンするということは、黄色ちゃん(私のインナーチャイルド)がシグナルを出してブレーキかけてくれてるのかもしれない。今気づいたけど、これくらいで済ませてもらってるのかもしれないな。
私には、私を裏切らない大事な私がこの身に居る。
だから、もういいんだ。
自分の身が動かないのに、他者との約束や期待を優先しなくていい。他者に期待されていると思う方がどうにかしてるのかもしれないのだよね。
社会がどうであれ、人との信頼がどうであれ、私にしかできない事業は、自分の身と心とのエンゲージメントだ。
私がそれを切実に欲していたように、私はもう予定調和じゃない自分に罪悪感は持たない。予定調和でも調和しなくてもいいんだ。
苦しいのは嫌だけど(ここが甘い?)。
苦しくても苦しくなくてもいいとなるといいなぁ。これ目標。
私は私を信頼する。
そのために犠牲になるのはもう嫌。自分の身は捧げない。逃げる。
信頼って何だ?人間的に信頼はされないのか?
私には勝手に信頼して居る人がいるけど、その人が私を裏切ってもいいやと思える日が来るといい。
裏切られるかもとか信頼失うかもって心配して、約束しないことを選ばない。
約束は自分の望むものに限り、これからもしていくつもり。縮こまりたくない。
他者からの信頼を捨てることを恐れずに、これからも生きて行こう。