ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

怒涛の波がやってきた。やあやあやあ!

昨日の写真。昨夜は救急病院の手術室待合で、一人過ごしていました。

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母が嘔吐下痢で動けなくなり、夕方救急病院に搬送すると、
急性の病状が発見されたため、緊急手術となりました。

6時前に搬送、初見の血液検査で?となったようで、
検査を繰り返した結果、緊急の状況が発見されたため、
消化器、循環器、外科の先生方の連携で手術が決定。
手術前の同意を本人を前にというので処置室に入りましたが、
もろもろの説明を受け母に確認をしながら書類を書いているそばから、
横に救急車で来たであろう患者さんが運び込まれ、
先生や看護師さんたちがわーっと動き処置をされるっていうのを2度ほど。
「コードブルーの世界だわ」とちょっと興奮。
まあ、うちが一番そういう状況だったと思いますが(^^;

11時過ぎに手術開始で予定の2時間で終了して、処置もろもろ30分。
顔を見れたのは午前1時30分過ぎでした。
下肢の切断の可能性はまだ50:50。
でも先ずは第一段階クリア、というところだそう。
検査結果の数値が異常に高い別の箇所もあり、
それはまだ特定されていない状態なので予断は許さないのですが。
高齢なので、急変の可能性がと、かなり念を押されました。
こういうのは、病院としてはもしもを考えてのことなのででしょうが、
家族的にはドキドキします。

まあただ母はかなりラッキーな人で、 母の危機的状況の時には、私が必ず付きそい、
決断を促す係りになっています。
過去3回そうで、今回もそうでした。
77歳一人暮らし。いつもは私は数週間に1度行くくらい。
今回は、娘@山形が、彼と帰省するというので、食事会をセッティングしていたのでした。
そうじゃなければ、母が「調子が悪いから今日は止める」なんて電話はしてこないし、
一人でもっと頑張っていたはず。
であれば、今頃は脱水と血栓がもっと詰まって、足の壊死どころではなかった、
やもすれば命に、、と思うと、大変だったけど状況的にはよかったのかなと。
意識はしっかりしているので、そこに大きくほっとしています。

下の写真は、母の検査待ちの間に、 母の保険証を探しているときに、
彼女の財布の中から出てきた父親の写真。
32年前に逝った夫の写真を大切に財布に入れてるってどうよ。
ぐーっと苦しい思いが胸に。涙腺開門。

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てな状態の昨日を経て今日。
入院関係の買い物や連絡、病院行き。
しかも山形娘たちと長崎から義母も来ている状態。
私はよくやっているよね、ほんとに。だってやるしかないじゃん。
でも、ちょっと限界。
母の集中治療室→同じ病院に入院している夫病室にたどりつき、
今日のミッション終了。頭痛と眠気に耐えかねて、タクシー帰宅してから爆睡。
といっても変な夢ばかりみる浅い睡眠ですが、それでも随分すっきり。
睡眠ってホント大事。

疲れると弱ります。
関係者のみなさまには、ご迷惑をおかけしていますが、
頼れるところは頼ってここまでです。
夢チャレも本番間近。どうにか体力温存しつつ準備します。
誰か私に力をください~。
言葉にしなくちゃ収まらないので、とりあえずここまで自己開示。