3月の熊野でご一緒した高瀬夫妻。
奥様の美子ちゃんは、インスピレーションのまま描くエネルギーアーティスト。
Yoshiko Art 高瀬 美子
そして夫君の賢太郎さんは、これまたインスピレーションで詩を書くアーティスト。
その彼が今回、「あらたに取り組みたい、人物撮影。たくさんの経験を積みたい今、モニターとなってくださる方を、募集します。」というのに、反応しました、私。
実は、鏡を見るのも写真を撮られるのも得意ではない私。
これまで、何度も写真を撮ってくれる方はいたし、写真やってる方のモデルもやってきたけど、、、、なぜか構えちゃうんですよねぇ。(魂吸われるとは思ってません(^^;)
がっかりしたくないんだろうな。そんな気持ちがどこかにある。
でも、そんな自分にちゃんと向き合わなきゃという気持ちの方が大きくなっている、そんな時でした。
講義でジョハリの窓を扱っている最中でもあって、「自分が知らない私」を見るには、自己開示をすることと、他者の助け(フィードバック)が必要であることは重々承知。
常々それは自覚しているので、やってるつもりだけど、自分が知らないという状態は無自覚な状態なわけで、その状態を作るには自分の頭が働かないようにしないと体や心が前に出ないのです。
そういう機会は自覚があっちゃ作りにくく、やっぱり他者の助けが要るのですよね。
でもやっぱり写真は得意分野じゃないんだけど、
でも、賢太郎さんの今回の募集に、ふと「行ってみようかな、熊本もほぼ一人では行ったことないし」と思ってお願いすることにしたのでした。彼らの新しい暮らしぶりも見たかったし。(これは結果的にかないませんでした。また今度ということだろう^^)
まあ色々言い訳めいたことを並べつつ、結局のところ、どこかで「いつかはこういうことをしてみよう」とは思ってたんですよね、そう、気持ちのどこかで。
で、そのこと自体は苦ではない。ならやってみよう、やってもらおうと素直に思えることができる瞬間がやっと来た感じ。
他者である賢太郎さんは、きっと自分が見えない自分を切り取ってくれるんじゃないかという淡い期待❤
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ということで、彼らとメールでのやりとりスタート。
最初は場所の設定から。
最初のメールで、案内されたのは熊本市内の某所。
昭和レトロな感じの、若干すたれたような感じの場所でした。
昭和レトロは、苦手ではなく逆に好きな部類です。
でも検索してみている風景には、何か違和感がありました。その一つは空気感。
流れがなく止まっている感じがするのです。街も時代から取り残されたような。
そしてそれは、私の中にある要素の一つなんです。そこはよくわかっています。
でも、今私が見たいのは、そこじゃない。ある意味、その昭和な部分は「私が知っている自分」で、私が見たいのは「私が知らない自分」または「私が忘れている自分」なんです。
彼らとメールでやりとりをしている中で、それがわかってきました。
私がメールで書いた文章が以下。
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賢太郎さんが読み取ってくださった私は昭和なんですねぇ。
確かに自分の中に色濃く昭和が(
が残っていてそこがスタートな自分ということは自分でも自覚して
で、その自分を否定するものではないのですが、
そこから出れないのが問題だなと最近思っていまして。
私を作ったのは紛れもなく昭和なのですが、
そこから平成、
私自身は見出したいと思っていて。
最初は、(場所の選定については)お任せで行こうと思っていましたが、(最初ご提案のあった)〇〇町を調べてみて
「ここは私の中にあるものだけど、私自身はここからもっと未来に行きたいと思ってるんだな」というこ
昔は動いていただろうけど今は動きのないところにとどまって居た
私が息ができる場所、
正直、
緑、水、湧き出るところというのがキーワードな気がしています。
海ではないなぁ。ちょっとした池のほとりとか。
閉鎖的ではなく、息ができそうなところ、、、
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最初は、キーワードすら全くなかったのに、このやりとりの中で「これではない」というモノが取り外された時に、やっとキーワードが浮かび上がってきました。
自己開示をし、他者からのフィードバックで出てくるものがあります。
これってジョハリの窓でいえば「盲点」(自分が知らず他者はしっている私)かな。
まだまだ「未知」の窓まではいってなさそうだけど、ここまででも私的には「おおっ!」って感じ。
そして、次のメールが来ました。
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熊本の嘉島町 というところに
浮島神社があります
http://www.ukishimajinja.com/
水がきれいなところ
そこは いかがでしょう
あたらしいものを産み出す
そんな場所のように感じます
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初めてみる地名と神社の名前です。すぐに調べてみました。
で、驚きました。
湧き出る水、自然。生まれ出る。まさにな場所でした。
浮島神社の御祭神は、いざなぎさまいざなみさま。
ああ、これは熊野詣での続きなのだなぁと思いました。私のルーツをたどる旅。
「浮島」は熊野の泊まったホテルの裏手近くにもあり、なんだか妙にご縁を感じて一人で歩いて行った場所。
そして太宰府の「浮島様」へは、いちきしまひめさまがいらっしゃるのから行くのです。この熊本の浮島にも、なぜか「厳島神社」があり、いちきしまひめさまが祀られているのです。
なんだかそんなところにもご縁を感じてしまいます。
もうひとつ、こちらには御末社で赤女稲荷さまと、お会いしたくて探していた馬頭観音さまが!
いちきしまひめさまも赤女稲荷様も、女性に関する神様。
この水の湧き出るところに女性のための方々が居らっしゃるというのは、私にとってはとても自然で、なぜかほっとします。
そんなこんなで、行く前からテンション↑!
神社詣りをしようとは思っていなかったのに、やっぱり神社になってしまうのね。
でもそれも面白い。
メールでは、「3日後ではどうか?」という連絡。金曜しか時間が取れないと言っていたのでした。
動く時は本当に話がさっと動くものです。丁度九州地方は梅雨に入り、天気も怪しいけどその日は晴れるらしい。即その案に乗りました。
またまた前段でこんなに長くなってしまったので、続きはその2で。