ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

母の通院 2020.10.27

特養に居る母の外出の免罪符?は、「通院」。
昨日は半年に一度の術後検診で、大きな病院に行ってきた。
通院というと、気持ちよく外に出してもらえる不思議。


80オーバーの母に、どういう状態がベストなのかは
難しいところだけれど、
今、年相応な健康状態を保てている状況なので、
適度に外の日を浴びたり空気に触れたりする機会、
人にあったり、外の世界に触れる機会は必要だと思う。


朝が早かったので、診察までの空き時間に、
病院のファミマ横のテーブル席でサンドイッチとコーヒーの朝食をとった。

施設にいると自分で何かを選ぶ機会もない。
車いすでファミマに入り、あれこれ物色した。
普通のコンビニの棚なのに、物珍しそうに見上げる母。
施設では、パンが出ないそう。ハムとレタスのサンドイッチを「久しぶり」とほおばっていた。


こういう何気ない事が、今はなかなかできにくい。
でも、もうそろそろいいんじゃないだろうか。
施設側としては解禁は難しいだろうから、
「通院」という免罪符はちょこちょこ使わせてもらっているが、
今後も継続しようとひそかに心に決めている。


この日は病院の中を移動中、
小さい赤ちゃんがいて(生後1ケ月)
私と母はその姿をみせてもらうだけで、
ほわ~っとしたあたたかいものをいただいた気になった。
母は赤ちゃんの小さな足をみて歓喜していたw
そういう「生気」みたいなものって、なぜか、人を元気にする。


ところで、昨日行った病院は入り口で検温、
アルコール消毒はするが、中は相当な密。
ソーシャルディスタンスは一切関知されていない。
そんなことしたら患者さんが座るところがなくなるからか。
(ソーシャルディスタンスなくても座るところがなくて立ってる人多し。
私も立ったりしゃがんだりしてた)

ネットで見ると、病院によって対応はまちまちみたい。
昨日行った病院のサイトには、潔いほど全くコロナ対策の文字は出てこない。
朝8時過ぎに入り、12時くらいまでの約4時間ずっと院内。
窓が開けてあるわけでもない。
そう気にしなくてもいいということなのだろうか?


取りあえずこちらには、次は1年後の検診。
1年後、元気にまた通えますように。
できればコロナの心配をせずに、通えますように。

感覚の違い、感情の違い 2020.10.24

あっという間!、まだ1ケ月?
どっちも感じるこのところ。

10月は行事が多いからあっという間、というのは例年のことです。
娘の誕生日も、息子の誕生日も終わり、
子らがひとつずつ大人になりました。
私は25年前のこと、18年前のことをそれぞれ思い出していました。

子らの誕生日の間には、父の命日も挟まっています。
36年が経ちました。
いつまでも忘れない気はするのですが、
思い浮かべる情景はなんだか薄くなってきている気がします。
感情よりも。

子を産んだ時の感情はあまり覚えていなくて、
体の状況のリアルさばかりをよく覚えています。
息子を産んだ時には、立ち合いをさせた当時1年生の娘が大泣きしていたことを思い出しました。生命の神秘を感じさせたかったのに、
私が苦しんでいる姿の方が彼女にはショックだったそうで💦

子が生まれた時の感情は、頭に浮かんだ文字。
父が死んだ時に感じた感情は、喪失感。
いや、というより感情よりも先に涙が出るというか、
条件反射的に、涙を出す行為でもしていないと心が崩壊しそう、
というのが正しいのかも。

それでも、ちゃんと泣けていなかったのかもしれません。
ずるずると36年間もちょこちょこ泣いている自分がいます。
自分が死ぬまでの方が、この期間よりも短くなっているはずなのに。

今更その時の状況を振り返ってみましたが、
やはり体の方が、心よりも先に反応するのかもしれませんね。
そして、感情はずるずると残る。


23日に、眼瞼下垂の手術後1ケ月検診に行って来ました。
もう半年くらいたった感じでいたのに。これがすごく不思議。
生活に不自由のあった1週間と、
見た目にまだまだ違和感の強かったその後の1週間以降は、
視力の不安定さも大きかったものの、その暮らしにも随分慣れていきました。

すごいな。
人間の復活力を知りました。

齢54にもなると、いろいろ衰えるわけで、
そのことを頭で考えるよりも体で感じることが増えていくお年頃。
この年にもなって、メスを体に入れることは、その傷のダメージも大きいだろうなと想像していたんです。

若いころに大腿骨を折り、手術を3回もしたもので、
そのイメージが強すぎるのかもしれません。
それが、傷自体は2,3日でふさがっている模様だし、翌日からは傷をしっかり石鹸で洗ってもいい、逆に洗わないと新陳代謝が悪くなるのでよくないと言われるわけで,

医学の進歩ってすごいものです。
一ケ月検診でも、傷はとてもきれいとのこと。(1ケ月にしては、です。)
まあ、思う以上に違和感もなくなってきているし、右と左の差もなくなってきているし、思う以上に普通。

もちろん変化はあるのですが、なんだか普通に戻れているのが不思議です。


感覚の違い、感情の違い、
自分が思うこと・感じることはその人のリアルではあるけれど、
それは絶対とイコールではないんだなと、
そんなことも、実際に自分が感じないと理解できないことなんだなと思います。

※「絶対」という言葉は、扱いがちょっと難しいのですが、
ここではその時々の体の感覚を「絶対」に近いものとして考えると、ということで使ってみました。


これって、若い頃にはなかなか理解できないやつ。

でも、もうちょっと若い頃に感じていたら、
行動が変わっていたかもしれないなーとも思います。
思ったところで覆水盆に返らずではあるのですが。
ま、私の性格上、まだこの時点で納得できたことは、
意外とラッキーなのかもしれません。

まだまだ頑張るよ私、っていうテイストではなく、
今やっと気づいたから、新しい私がこれから始まる
そんな感じかなー。

体の感覚を受け入れる覚悟がようやくできた、
いや、覚悟ができる時も増えてきたというのが言葉としては正確ですね。

体が疲れていると思う時には寝る。罪悪感なしに。
ある種の諦めを受け入れることは、成長だと言えるのではないでしょうか。

今日は、この夏225個目のあさがおが咲きました。
去年は92個で終わったので、倍以上。
でも去年は11月過ぎまで咲いていたよう。
今年はいつまで会えるかな。
(写真は21日のあさがお。今日のはピンボケしてました💦)

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こんな些細な楽しみを、日常に持っておけるしあわせ。

毎日が刺激的でなくてもいい。


今日から家にはファンヒーターが登場。この数日の福岡はぐっと冷えてきたんです。
個人的にはせめて11月からにしたかったけど、
私より刺激に弱くなった家族が、せっせと出してきていました。

まあ、あったかいとほっとしますなぁ笑

しまい方 2020.10.4

昨日の投稿で、10月は生きる死ぬを考える月だと書いたけれど、
あの投稿をした直後に、
仕事関係の方の訃報に接した。

昨日は近隣で2件事件があった。
夫と息子が午前中に、別々に、ある通りにパトカーがいっぱい並んでいるところをみたらしく、
二人が昼に帰宅して、あれは何だったんだろうと言いあっているのを聞いていた。

そして、私自身も午後出かけている途中で、
消防車やパトカーがいっぱい出動しているところに出くわした。
校区内だったので、何事かと検索したりした。
その中で、
朝の夫と息子が見たというものだろう、事件のことも乗っていたので「ああ、これか」と確認した。ぱっと見交通事故だろうとは思ったが、詳しくはみなかった。

そして今日、その交通事故で、自動車にはねられた自転車に乗っていたのが、
仕事先のYさんだと知る。搬送先の病院で死亡が確認されたそう。

通勤途中に事故にあったらしく、15m飛ばされたと書いてある記事もあった。
フロントガラスがバキバキに割れた車とぐちゃっとなった自転車の写真が切ない。


新聞には、運転手さんの名前はさん付けで記載されていたが、
Yさんの名前は書かれていなかった。
横断歩道を渡っていたそうだけど、信号無視しちゃったのだろうか。
もしそうだとしても、車の過失だよね。15mもなんて。
かなりスピードが出ていたのではないかと思ってしまう。
痛かったよね。
やすらかに、、どうかやすらかに。

偶然と奇跡の重なりで毎日がある。
そこには、こんなどうしても不幸だと思えることもある。
それが、身近で起こってしまうと、こころは平常ではいられない。

そんな話を家族でして、

すると夫が「今日、階段で死にかけた」という。
なにごと??

階段を上り損ねて、後ろに落ちかけたらしい。
はっと手すりに手をかけて、くるっと回転したくらいで収まったようだ。
その落ち方は、頭をもろに打つパターンで、非常に危険だ。
脚が弱っているから、いつかはと思っていたけど、結構早く来たか。
息子も私も、彼の階段の危なっかしい状態には何度か遭遇していて、ひやひやしてはいたのだ。

「もうそろそろ、住み替えを考えなくちゃってことね」と言うと、
「階段くらい上がって運動しないと、足が衰える」
なんていう。
「それは本末転倒じゃない?頭打って運ばれるくらいなら、引っ越した方がいい」と私が言うのに、へらへら笑っている。

とはいえ、そう簡単に引っ越しができるわけでもないので、
来春位を目指して、まずは物を捨てる、かな。

「しまい方」って、結構大事なのかもしれない。
今まで割と強制終了ばかりを経験してきたので、
自分の意志で、かたづけるということをしたことがないかも。



祖母の夢 2020.10.3

10月がやってきた。

毎回この月になると書いている気もするが、
わたしにとって、この月は生きることや死ぬことを考える命の月間だ。
子どもたち2人がこの月に生まれ、
父や祖母や近しい親族の命日もこの月に集中しているから、
いやがおうでも考える機会が増える。

秋の思い出は、特にその空気感や香りを一緒に刻み込んでいるので、
思い出すたびに、妙にリアルさを伴い、センチメンタルになりがちで、
あまり好きではない。

私自身の自律神経も動きやすいので、
また動くだろうな~と思うと、厄介だなという気持ちが起こってしまう。

とはいえ、仕方がない。
仕方がないので、10月を迎えるには、ちょっとした覚悟みたいなものが必要だ。

===
昨晩はE.Tを久しぶりに見た。金曜ロードショーであっていた。
本作が上映された82年、私は映画館で見たはずだが、
誰とどこで見たのか全く覚えていない。

が、懐かしかった。
当時観た時の感覚と同じ感覚で、テレビ画面を見つめていた気がする。
(とはいっても、私ももうすぐアラ還の域に入るので、
出てくるお母さんの気持ちを推し量らんでもないという思いは+でついてきたけども)

「自分が子どもだった頃」ということを思い出したからだろうか、
今日、昼に目を冷やすためクーリングをしながら、
ついうとうととしたときに夢を見た。

以下夢の内容を、私自身の備忘録のため記します。
人の夢の話は支離滅裂だと思うので、スルーしてください。

===
祖父母が住んでいた本家実家。私も大学時代、そこに住んでいたので、
自分の実家というと、イメージとして出てくるのはこの家だ。

夢の中の私の意識は、「もう祖父母は亡くなっている」。

どこかのビッグサイトのようなところでイベントがあっていて、
そこで出会った迷子的な女の子を、
私はおんぶしてお母さんのところに送り届けようとしている。
手がかりは、その子が持っていた石。
何かが刻んであり、それは何かの正当な証明であり、
お土産を受け取るためのもの。
それを探すため、一つ一つブースを回る私とその子。

その子に絶望感を感じさせないように、
私はブース担当者に事情を話す際にはとても気を使っている。

おかあさんはもしかしたらもうこの世にはいないかもしれない。
だが、それをこの子に感じさせてはいけない。
が、ブース担当者は状況を知らないので、結構あけすけなことを言う。

夢の中では、時間の流れが独特で、数分が大昔であったり、
昔がリアルに出てきたりする。

ずっとその子を連れて回るのも疲れるので、
一旦家に連れて帰った先が実家だった。
そこには、祖母がまだ元気で居た。
だが私は「これは現実ではない」と思っている。
でも、祖母の姿や顔を見るのがとてもうれしい。
声をかけるたびに泣きそうになる。

私が連れ帰った子を寝かす場所が必要だったからか、
ふと見ると、祖父母のふとんは玄関に敷いてあった。
「これはいけない!」と私は強く思う。
そういうもてなし方をする人たちではあったけど、
これ以上我慢をさせてはいけない。
そう思った。

その後どうしたのか、すでに夢を覚えていないのか、
そこは夢としても言及されていなかったのかすら思い出せない。

ただ、祖母の顔や肌の感じ、声のイメージがとてもとても残っている。

そのこと自体がとても珍しいので、
起きてからも衝撃の余韻が残り、こうして書こうと思って書いている。

彼女が私の夢にでてくることは、そうなかった。

当時の祖母位の年齢に近くなって、
祖母が私に対してどんな思いで世話をしてくれたのか、
想像することは多くなってきていたからだろうか。

そういえば、10月末が祖母の命日だ。
彼女が何か私にメッセージがあるのだろうか?

昨月、家系図づくりにはまり、エクセルの無料ひな型で家系図を作った。
父方は叔母が書類を取り寄せてくれていて、
すでに家系図も作られていたのでそれを入力しながら、
改めて私はこの人たちの何も知らなかったのかもしれないと思っていた。

私が見る側はほんの一部だったはずだ。
どんな思いで生きて死んでいったのか。あんなに近くに居たのに、
あまり知ろうともしなかった。
今生きていたら100歳オーバーだからなんだけど、
もっとちゃんと話をしておきたかったなと、
でもそれは今私がこの年になって、
祖母を一人の女性・一人の人としてみることができるようになった、
話を聞ける立場になったから思うことなのだろう。

取りあえず、このことが何かのつながりになるかもしれないので、
記録しておこうと思う。


明日は、母方の祖父の命日。
私が生まれる随分前に亡くなったので接点はないのだけど、
何かメッセージをくれるだろうか?
できたら、母の夢に出てきてほしいなぁ。

===
この記事を書き終えた後、仕事用のチャットグループから、
仕事先の経理でお世話になっていた方が事故で亡くなられたとの連絡が入っていた。

昨日、市内でパトカーがたくさん出ていたらしく、
夫と息子がそれぞれその現場に遭遇していてなんだろうと言っていたのは、その事故だった。
ショックだ。
Yさん、こころよりご冥福をお祈りいたします。

ラッキーをじっくり楽しむ 2020.9.23

やっと、落ち着きが戻ってきた。
今回長かった。1ケ月くらいかかった。

大きな山は、眼瞼下垂の手術だった。

というよりも、これを思い立ったのは、
自分の踏ん切りをつけるためにというのもあったのじゃないだろうか、
無意識に近いところでの私の思いとしては。
これがあったから、ビビりまくりMAXで前日まで過ごし切った感あり。
手術日は、緊張したけど、
手術台に乗ったら
もうまな板の上の鯉だよなと、意外と胸の中はしんとしていた。

今日、術後5日目で抜糸して、
5日ぶりに外に出た。
空気が!秋感もあったのだろうけど、
気持ちよかった。

目は、まだまだ腫れている。
そりゃそうだ。切ったんだし。

でも、歯列矯正より、100倍ほどまし

~~~

うちは、米の消費量が一定ではなく、
生協で定期的に届くタイミングとずれて、「米なし時期」に見舞われる時がある。
米は重いし、うちは山の上だし、
私は運転しないしで、
米の残量は私にとって大きく気になるところ。

で、この眼瞼下垂のダウンタイムに、
そろそろですよ~という赤ランプが点滅しはじめてしまった。

7月に、9月に届く新米を注文していた。
これが生産者の都合でお届けします的なやつで、
いつくるのかがわからない。
「18日から随時お届けします」というメールが来たっきり。

でも、うまく合うんじゃね?とどこかで思っていた。

昨日は、
「いよいよもうあと2合しかないから、今日買いに行かねばかなぁ、でもこの目じゃ(お薬とガーゼで見えない状態)なぁ」という状況になってきた。

「お米来ないかなぁ」と思っていたら夕方、ピンポン♬
「こんにちは~、●●便です!」

なんと!マジにきた!米!

でも普通メールが先にこんかな。(後から来た)

まあいい。米は着いた!ばんざーい!!

しかもしかも、昨日精米したてのお米~!新米だし!←興奮モード

ほっとして、おいしくいただきました、今年の新米こしひかり。
もちもちみずみずしいおいしさでした。見えないのが残念だった💧

~~~

洗濯ものを干していたら手が当たって
私の大事な洗濯まぐちゃんが、
ベランダの柵を越えて、ぴゅーんと下の茂みに落ちていってしまった。

大ショック。

息子にお願いして下に降りてもらうも、
下はつた植物でジャングルのようになっていて入れないという。
上から見ててもそれはよくわかる。夏場に茂りに茂った感じ。

諦めきれずに、こころの中で「まぐちゃーん」
と呼んでみたりしつつ←いくつだよ

実際息子の前でも「まぐちゃん。。。」としょんぼりしてたら
「まぐちゃんくらいで!」と呆れられたりしたのだけど、

今日朝から何やら下で人の声がする。
あれ?もしかして、造園屋さんが入るみたい?
これはいい流れかも!

帰宅途中に、裏に回ってみる。
おお!予想通りに草が刈ってある。
落としたあたりに行ってみる。
ない。
足で草を除けながら、探してみたら、
あった!まぐちゃん!よかった~💕

~~~

なんてない日常。
偶然が重なっただけかもしれない。
でも、一つ一つがドラマチックで、
私にとって
喜ばしい出来事。

こういうので心が躍るのだから、
日々の生活が楽しいと思えるのだから、
それはそれでいいのではないのかな。

やりがいのある仕事をすること、
何かを成し得ること、
それもとても大事なことだけど、
そんなものがなくったって、
生きていていいんだよ。

大事なのは、
自分を信じて、毎日を信じて生きていくことだよ。

そんなメッセージをもらった気がしてる。


洗濯まぐちゃんはこれ。愛用中です。洗剤要らず。





山から滑り落ちかけ 2020.08.27


毎年8月は行事も多く、アップダウンが激しくなる私だけど、
今年はみんな同じく、コロナに猛暑という悪環境下で、
やっぱり落ち着かない。

今思えば、東京に行った後の自粛期間の不安感に加え、
その後の居酒屋行きからまた2週間と、コロナ関係の不安が積もってしまったのだろうと思う。
うちの場合、息子の圧力も大きい。(外出したりすると相当言われる。
うちの中にクレーマーが居るみたい💦)まあ真に受けるのがよくないのだけど、
どうやっても「うちに基礎疾患者がいるんだから」という印籠をかざされると、
なんともいえない。
っていうのは、私も心のどこかでそう思っているからなのだろう。

とにかく、やる気が起きない。
某仕事は特に嫌でたまらない。
週1日にしてもらったけど、とにかく毎日入ってくるメールやチャットを見るのが嫌だ。
私がもう思い込んでしまっているからというのもあるけど、
あのコミュニティでは、委縮してしか仕事ができないので、
うまくできる気がしない。
だからチェックに時間がかかるし、
この表現で本当にいいのかなんて考えるとやたらと時間がかかる。
そうなると効率が悪くなり、その点でまた言われる、と思ってしまう💦

まあ、それでも今のところは最低収入は必要なので、できる限り距離を置いている。
週1というのがギリギリかな。
本音としては、もう全く違う仕事に鞍替えしたいのだけど、
今はそうも言ってられなくて、自分ができる仕事をできるだけシャープにやっているつもり。
メールもざっとはみるけど、基本は稼働日に読み、返信をする。
急ぎの場合は、個別にチャットが来るので、それで対応すればいい。
使う側からすれば、やりにくいだろうなと思いつつ、それで精神を守らないと生きていけない(ちょっと大げさ💦でも真実)

まあこの件は、自分の中で週1という折り合いをつけられたからよしなのだけど。

お盆前後から、どうもおかしい感じがしていた。
体のどこかが痛いわけでもない。
でも、ふっとした時にぞくっとしたり、おなかの中にひんやりしたものを感じたり。
仏壇の前でお参りしている時に多く、またお参りしている時に集中ができなくもなっている。これが一番自分の中で気づく不調。
不安と不調をどうにか解消する方法を、必死で頭が考えている。そんな感覚だ。

自分が何をしたいのかをもっとしっかり見ていきたいのに、
それ以前の、自分の感覚が感じられなくなっている。
ご飯も、そんなに「食べたい!」と思うものがない。
(これは、矯正の感覚が変わってしまって、
より噛みにくくなったから仕方がないといえばそうだから、まあ仕方がない。)
「嬉しい」と思う感覚がない。
「楽しい」も一瞬で終わる。
そういえば、笑えなくなった。鏡を見ても顔が笑っていない。
あさがおが咲かなくなった。この炎天下でツルが焼けてしまっている。
こんなことは初めてで、友人から日よけをすることを教えてもらったが、
ベランダの手すりにぐるぐる巻きまくっているので、もう無理泣

唯一、ピアノのユーチューブが好きで見ていたのだけど、
ここ数日はおしゃべりがぐだぐだなので、あまりみなくなった。
朝ドラの副音声の再放送は欠かさずみているけど、
これもそんなに面白くなくなってきた(出てくる人のキャラにもよる)。

楽しく、この状況が打開できるものはなんだろうと、ひたすらに考えている。
そんな状況。

それでも、そこに正直フォーカスを当てていなかった。
毎日何かが起こるので、それに対する対処をして一日が終わる。
片付けは少し進んで、大型のごみや古いPCを処分したりしたが、
こざこざが残っている。そこをこの夏中に片付けて余白を作りたいと思っていたところだった。

先週の金曜日が、月1のF先生の受診日。
その数日前からちょっと不安定な時があり、おなかの薬を飲んだりもしていた。
頭痛も数日続いているので、頭痛薬は手放せない。
金曜が来て「ああ、行かなきゃ。炎天下に外に出るのはしんどいなぁ。
また体がばてるなぁ」と思いながら、早めに用意をして出た。

人気がある先生なので、待つのはいつものことだけど、
その日は一段と待った。
頭が痛いのが続くので、本を読んでいたが頭に入らず、
薬を飲んで目を閉じる。
ふと、あれ?私って結構やばいんじゃない?と思い始めた。

不調ではあったけど、夏バテとコロナのせいだと思っていた。
実際それらが原因でもあるのだけど、
自分の現状認識は、それでも前よりもいいと思っていた
(実際精神衛生上は数年前より悪くはない)のが、そうではなく、
結構落ち込み気味なのかも、と思い始めた。
実際にポンス(気分や感情を測定するペーパーテスト。)も真面目に書くと、なかなかにひどい💦

そこでやっと自覚。
待ち時間で、F先生に今の自分の状況をなんと説明すればよいかを、

やっと言語化することにした。
そのための、2時間だったのかもしれない。


で、まず出てきたのが、冒頭の「某仕事はしたくない」で、
それは自分じゃもうどうにもできないことで、
そこにレッテルがもう貼られているから、区分できているから、
最初に出てきているのだろう。

後考えつくことは、
これまでの自粛期間の中のストレス。

※その他もっと奥底にはいろんな不安が渦巻いていて、多分ここに目を向けるのが怖いというのが大きい。
この辺を多分誰かに聞いてもらったりしたらもっとシンプルに整理できるのかもしれないが、今のところ私は他の人に心を開いていないので、いや開ける人を限定しているので、自分の中のどろどろが吐き出せてないことが、結構な原因になっている気がしてる。

これらが原因で
不安とストレスがいっぱいになり、体の変調が起きていることを、やっと認識した(遅い)。

私の悪いところは、「ああ、でもこういう側面もあるしなぁ」と
自分の感情の裏を読んでしまうところ。いいところでもあるのだが、
いい子になってしまうと、自分の本当の感情にふたをしてしまうこともある。
そこに気づくのが本当に遅い。
自然にそれをやってしまってるので、自分としては本当の自分がストレスを感じていることに気づかないことが多い。困ったもんだ。

F先生に話をしたら、
「あなたは今日、目が生き生きしていないから、夏バテかなと思っていたけど、それは今脳疲労の初期段階になってるね」とのこと。
疲労初期段階とはこの図の穴に落ちかけてるところ。

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おかしいなあ。山に登りかけていたのに。
自律神経は動くので、季節の変動にも左右される。
私のようなカナリア体質は、動かないようにというのは無理なので、
動くのは仕方ないと思いつつ、動いてるなぁと俯瞰するのが大事らしいのだけど、
なかなか大俯瞰まではいかない。
それでも前より、また来たなぁ位は思えるようになったけど、
前述のように、気づかない(いや気づいてるけど??なのか?)
事への対処がまだうまくできていない。

結局、五感をしっかり感じられるように、
何かに没頭するのが良いというのは先生からも言われたところ。
五感を考えると、多分触感が一番足りていないと思われる。
もふもふとかハグとかそういう感じなのかな。
そういえば、お風呂も長く入れなくなってるのは気になっていた。

F先生から、処方を聞いて、今実行中。
一週間たったが、その間に母が痛みを訴えて
毎日病院に連れていくという行事が又入ってしまったので、
「しっかりビタミン剤を飲む」くらいしかやれていない💦

処方と言ってもF先生はお薬を飲みなさいとは言われないので、
そんなにひどくもないのだろう。

BOOCSの3原則をしっかりやりなさいと言われる。

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私の場合、自分で「ねばならない」をしょいすぎるのだ。
それは性格上仕方ないので、できるだけ気をつけつつ「快」をもっと取り入れて、そっちの体感をもっとゆるぎない自分のアイデンティティとつなげるようにしたいのだ。
ここ数年、その試行をいろいろやっているのだけど、一つの実験として某仕事に入ってみたら玉砕した💦全く真逆の世界だった。
それはそれで、それを知ることができたので、
納得できた(こういうのは自分には向かない、自分は仕事や活動に自由度を必要としているし、それがあるからクリエイティビティが発揮できるということも体感できた)。

健康に良くて自分がとても好きなことは、今はヨガ。
最近はつかなかった手がつくようになり、
触れなかった床を触れるようになり。とても嬉しい。
ちょっと無理したポーズをすると、筋肉が緊張して痛いのも心地が良い。

そんなことを少しずつまた増やしていくしかないかな。
暑いから、公園にはまだいけないし、できることをできるだけ。

最近また睡眠が浅くなっていて、やたら眠い。
それはもう仕方ないので、寝れるときは寝ている。
時間がもったいない気もするけど、起きていたところで非効率なので。

さて、家事タイム~。その前にお風呂に入ります。今17時50分。

休みだからできる、このスケジュール。

自分の体をメンテするのが一番の仕事です。多分きっとそう。

初めての母娘旅 番外編 コロナ対策 2020.8.15

お盆も終わりですね。
うちの方は8月13-15がお盆です。
15日は、長崎では初盆のところは精霊船を流したり、
仏壇にあげたものを、こもで巻いて流しに行きますね。
福岡ではそういう行事に参加ことはないので、私は
家で仏壇にご飯や果物、お酒をあげるくらいです。

今年は、過去帳に先祖の方々のお名前をわかる範囲で書いたので、
それを毎日めくってお名前を呼んでお参りすることにしました。
どんな縁柄なのかわからない方も多いのですが、
その方々が生きて暮らしてきたことが、
私が生を受けるなにかになっているのでしょう。
将来、私の子孫がそうやって、私の名前を拾い出して思いをはせてくれると
面白いなと思っています。
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さて、7月の頭に娘と行った東京&TDRの旅。
何をどう感じたかみたいなことは、あまり書いていません。
しみじみ感じる暇がなかったというのもありますが、
初めての体験は体験自体が冒険みたいなもので、やって心がどんな風に震えるのかを味わうのでせいいっぱいです。
それをひとつづつ書き残したい時もあるし、そうでない時もある。
今回は、写真を見ながらしみじみ思いだそうと思っているので、
後者でしょうか。

それよりも、今回はコロナ禍で行った(正式にはコロナ第2波の直前だと思われる時期)ので、そのことについて書いておこうと思います。

初日のブログにも若干書いているが、かなり葛藤がありました。
とにかく人の目と人の口が怖い。

miww55.hatenablog.com

娘も同じで、お休みを取るので職場の近しい人には言い、
その人たちも「いいね、行っておいでよ」とは言ってくれる。私もそう。
でも、もしこれで感染してきたなら、その眼は逆に私たちを刺すだろうとも思っていた。人ってそんなもんだし、だから必要以上には言わなかったし、
帰ってきて14日間は自主的に外出自粛をしました。
その間は、不安でたまらなかった。ちょっと気分が悪くなるとどきっとします。

行く前から行く途中から、いった後も、
娘とずっと言い合っていたのは、「これだけ消毒したりソーシャルディスタンス取ったり、気を使っていて、もしもかかったらそれは仕方がない」。

でないこと行かないことが最大の防御であることは間違いないんですよね。
ただ、あの時期に行ったことは結果的にラッキーでした。
7月1日からTDRが再開して6日目~8日目。

TDRは再開をきめてから、毎日のように消毒やソーシャルディスタンスのための動画をあげています。

現在の公式からのご案内↓

www.tokyodisneyresort.jp

www.youtube.com

パークを愛する我々は、事前にしっかり見て予習はしておきました。
せっかく行くのなら、気持ちよくいきたいし、我々がちゃんとルールを守ることで、コロナ禍でもTDRを楽しんでいいという風な風潮になればと。

実際、施設には入り口と出口には必ず消毒液があります。
ショップにも。
だから施設に入る時にシュッ、もみもみ。施設を出る時もシュッ、もみもみ。その横のショップにすぐ入る時もシュッ、もみもみ。出る時もシュッ、もみもみ。
そしてトイレでもしっかりせっけんをつけて手洗い、ハンカチで手を拭き、
消毒シュッ、もみもみ。
ハンカチはすぐびしょびしょになる。多めに持って行ってたけれど焼け石に水
最低1日2枚は使うので、娘に貸してまた3枚買い足し。
飲食ももちろんそうだし、どこにいくにも消毒液が入り口出口にあります。
入り口には必ずキャストさんがいるし、
私の周りの方々も促されずともちゃんと消毒をしてはいます。

一日何度消毒をしたのだろう?
何個施設に行ったか数えていないが少なく見積もって15だとして
入り口と出口で2回だから30.
トイレに10回はいったとおもうので、40.
3日間で120回!!
単純に、予防ではあるのだが、
この行為自体は、私たちのTDRに対する誠意であるともいえますね。

マスクはいつもしています。
人がいないところで写真を撮るときと、
お水を飲むとき、ご飯を食べる時以外はずっとマスク。
まあ、このご時世はあたりまえではありますが。

7月の頭はまだそんなに暑くなく、また風も強い日だったので、
冷えを心配することの方が強かったので、まあそれでよかったかな。
今はマスクをしていると熱中症が心配そう。

さて、そんなわりかしきちんとした東京から帰ると、
地元は飛行場のトイレから消毒液がなかったり、
意外と緊迫感が薄いんですよね💦

スーパーにも入り口には消毒液はあるが、以前は「コロナ対策のため必ず手指を消毒ください」と合ったのに今じゃ「消毒液をお使いください」とテイストがなんだか軽い。

そして、消毒をする人は確実に減っている気がします。
私が行くときに同じタイミングで出入りする中で消毒しているのは私ともう一人くらいで、その他数名はそのまま中に入っていくし。
マスクをしている人も心なしか少なくなっているなという感覚。
これは、ここまで暑くなる前からそうだったけど。

買い物位では移らないのだろうか?
夜の飲食ででさわがなければ
大丈夫なのだろうか?

私たちがパークにインしている時には、
施設待ちの時でもみな言われずともソーシャルディスタンスを取って並んでいたし、
軌道を外すような人は見受けられませんでした。
(1日に例のユーチューバーはきていたらしいけど)
この時期にパークにインするには、うまくチケットを取れたか、わたしたちのようにパークにきたくて事前からホテルを予約しているかの人なので、
(入場制限があり、1日1万5千しか入れないと言われていた。)
初日はその位かと思ったが、翌日は11時、14時からのチケットの人たちが入ってきて、結構増えていた感じ。それでも走る人もいなかったし、
イベント待ちもおとなしいもの。
みんながルールをまもることで、この場を守ることを理解している、
そんな感じで、
非常に居心地がよかったんですよね。
「初シーにしては、ラッキーだったよ」と娘が言います。
そうか、私は比べるものがないから、こんなものかと思うのかもね。
もろもろショー待ちは長年やっているので、
「密を受け入れながらいかにみるか」はいつもテーマなのだけど、
やればこんな気持ちのいい空間はつくれるんじゃんとも思いました。

TDRにすれば、人はいっぱいいれたいだろうから、コロナが終われば、今回味わったような解放感はまず味わえないでしょう。
それでも、ソーシャルディスタンスは、あってもいい気がします。これからも。

最後は若干希望になってしまったけどw
自分ができる最善をつくして、
コロナ禍で東京&TDRを娘と旅してきた旅行記はこれでおしまい。

最善を尽くすしか、仕方ないんだよね。
自分ができること以外はコントロールはできないわけだから。

最後は写真で締め。

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朝のシーの波止場。空間が広いってなんて快適なんだろう。

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まあ来るね~。