ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

私のシンプルガイディングプリンシプル 2020.07.25

昔のFBを見ていたら、
自分に対しての気づきがかいてあったので、こちらにうつしておきます。
FBはなかなか検索ができないから、いざ探そうという時に不便。
ブログはその点、書いておけばすぐ探せるので、重宝する。
当時の私はFBメインだったから。ブログに記していないみたい。
さかのぼること、5年半前のものです。

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写真は「LEGO Serious Play(通称LSP)のTrainers’Training受講前の私」(左)と
LEGO Serious Play(通称LSP)のTrainers’Training受講後の私」(右)

使用前使用後ではないけど(^^)振り返りの途中です。
レゴは作ったので、「使用前」部分だけ書いときます。後はまた時間ができた時に。レゴは便利だ。後からでも見ながらちゃんと説明できる^^
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LEGO Serious Play(通称LSP)のTrainers’Training受講前の私」(左):
私は亀。
行くことは決めた。(オレンジBLOCK)
きっと曲がり角の先には何かいいものが待っていると思うの。直観的に。だから希望は持ってる(緑の花がオレンジBの上に立ってる)。
だからそっちに向かって動く(灰色の足)。のろいけど。
でも、不安不安不安。(不安が緑。冷静な気持ちの青が緑が続くのを遮断)
気持ちは真ん中にある。情熱の赤。でも小さくなって埋もれている。
顕在化してきた不安(黄緑)に透明な蓋をしてる。
だから蓋をしてもみえちゃう。
でも「大丈夫だよ。頑張れ」って言ってくれる人たち(ピンク)が寄り添ってくれてる。それが救い。

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モデル(作品)はすごいね。
左(前)をちゃんと書いてるから、右(後)の変化がとてもわかる。

このT3受講は、私の人生において結構大きな意思決定だった。
そして、それは自分の心に沿って行ったものだった。
「こたえは自分の中にある」を実践したけど、怖いのがなくなるわけではない。
でも、自分の中にあるものがキラキラしているのが見える。のろくても歩ける足がある。

飛び込んだら、
わからないこともたくさんあるけど、
わからないながらにやっていることが、
実は体系だったものなんだとわかるものだった。

私が当時シンプルガイドプリンシプル(SGP)として挙げたのは、
「共感と意思決定」だった。

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シンプルガイドプリンシプル(SGP)は、自分の意思決定の裏にあるもの。意思決定を導くもの。

あれ?意思決定を導くものに、意思決定って書いてるよ。

多分、ここで私が書いた「意思決定」は、自分で決めるという意志のことなんだと思う。
自分の行動を決める意思決定の裏にあるもの。裏にある思いは、「自分で決める」とそして「共感」。
この時に思っていた「共感」と今私が大切に思う共感とは、少し違ってきている。
今思う共感とは、多様性を理解するみたいなニュアンスが強くなっている。みなが私で私がみなで、みたいなところが人にはある。そういう思いで世の中を見たい、接したい。

ちょうどまた人生を、自分を振り返る時期にきたなというこの夏。
いい振り返りをさせてもらった。
これも、自分が選んだのだろう、きっと。

写真も挙げておきます。ロバート師匠と私もかわいらしいw

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赤ちゃんを産む 2020.05.23

昨夜は、疲れました。

寝ようと思ってとこに入ったのが多分1時30分ごろ。
息子のネットショッピングに付き合って、その後。
気持ちよく寝入ったくらいに、隣で「ああっ、くるしい~~」と声がする。

この頃の夫は足がよくつるので、慣れてはいる。
その度に水を汲んできて飲ませると落ち着く(寝れないからペットボトルを枕元に置いておいてほしいといったのだけど、水じゃない、足が冷えている云々というので、対処を自分でしてくれればどちらでもよいと思っている。)。

が、今回は違う。
ベッドから転がり床でのたうち回っている。
どこが痛いの?と聞いても、答えない。
これもいつものことではある。
吐き気が酷いようなので、念のために洗面器を持ってくる。

10分くらいか?苦しんで、自分からベッドに這い上がり寝ころがる。苦しいと寝る位置もなかなか落ち着かないのは、私も経験があるからよくわかる。
背中をさすってトントンして、少し落ち着いて寝息が立ち始めたら、私も自分の場所に帰り眠る。

結果的に昨夜はこれが4回続いた。

どす黒いものを吐いていた。

これは以前にも記憶がある。

透析をする前、入院をする前の彼の状況とよく似ている。
が、今は透析もしており、この日は透析日だった。
進行しているということか。

本人も、薬が効かないことも救急で病院に行ったとしても処置してもらえないことはわかっているので、病院に行くとは言わない。
が、非常に苦しそうだ。
背中をさするとか、立ち上がることができないこともあるので支えるとか、
そういうことくらいしかできない。
が、たまにぎゅっと腕を握ったりしてくるので、相当きついのだろう。

収まるのを待つしかない。

今日も一日中、不安定で、本人頭を抱えていた(頭痛もするらしい)。
夕方、少し食べれるようになり、一旦胃に食事が入ると、胃腸の動きも落ち着いてごはんが食べられるようになる。(これもいつものこと)。

後から「なんか今日のご飯、おいしかったんだけど、何か変わった?」とまでいっていた。いつもとは違うお米を買ったんだけど、もう3回くらい炊いている。
最近は圧力鍋で炊く方がおいしいので、今日もそうしたけど。

まあ、おいしく食べられたのなら、なんでもいいよね。
今のご飯は私も気に入ってるので、とりあえずこの形でしばらくいくつもり。

枕がすごく長くなったけど、
一応備忘録として。

さてさて、今日のタイトルですが、
夢で赤ちゃんを産みました。
一昨日かな。
リアルで結構びっくり。
産んだのは男の子で、小さいほんとに腕の中にすっぽり収まる。新生児ってこうだったなぁと思いながら、抱っこする。
その子はよくよく見ても、息子なのだが、息子のわりにはおりこうさん。
静かにニコニコしてる。
※うちの息子(現17歳)は、当時から、マイペースでわーわーぎゃーぎゃーいってた印象があるので、静かだと違和感w
とはいえ、私もこの年になったから、余裕になったのかな~なんても、思う。夢の中で。

赤ちゃんの扱いも忘れていたので、リンゴジュースとか飲ませようとして「はっ、新生児にそんなもん飲ませちゃいけんのやった!おっぱいだ!」ときづいたりして、夢の中であたふたしてしまった。

そんな夢をみたので、起きてからもずっと気になっていた。

夢占いでみると、
「生まれたのが人間の男の子である場合、いいことが起こる、運気が上昇するという意味があります。また病気が回復するという暗示もあるとされています。とってもラッキーな暗示になります。また、その赤ちゃんが元気であればあるほど運気の上昇率もいいとされています。」

そうなのか~。

と、その夢の次の日が、冒頭のこんな状態だったんだけど💧

いいことが起こりますように。

死に対しての恐れ 2020.0510

皆さんは、死ぬことが怖くないですか?

私は、怖いんです。
特にコロナが猛威を振るいだして、ある一部の人は急激に呼吸困難になって亡くなってしまう、そんな事例がテレビでもよく取り上げられている中、
私がそういう状態になったら、死に切れるのだろうか?

もちろん、動物的に体が使い物にならなくなれば、死ぬのは当たり前のこと。
そうなった時に、私の精神は、ちゃんと死ねるのだろうかと思ったのです。

未練とか怒りとか、寂しさとか残しそうだなーって。

ちょうど、巡禮記のオンラインおはなし会がはじまるということで、質問を募集していたので、質問を投げてみました。

『質問は、「私って、死がとても怖いんです。」です。
何年巡禮記にきてるのよ。って言われそうですが、
このコロナ騒動で、あっけなく多くの方がなくなっていく中、
私はまだやり残してる(達成したいのにできてない)ことがあって、
どうにも心穏やかに過ごせません。

死ぬか死なないかで、色々考えればいいという人の記事(注:血液の
がんの告知をされた幡野広志さんが、判断する時に「これをしたら死ぬか死なないか」
という基準で行うというのを読んで。)
を読んだんですが、
父だって呆気なく若くして亡くなってしまったことを思うと、
どうやっても開き直りができないのが悩みです。』

実はこの文を書いて送った瞬間に、結構楽になった感があったのでした。

ああ、いろいろ報道を見て、「コロナ怖い、対処どうすれば」ってのに追われて、
自分の気持ちがもやもやしていることには気付いていたけど、なぜもやもやしてるのかに気づけてなかったんですね。
この時も「これが聞きたい」って思っていなかったのに、
お話会に参加を決めて、質問書かなきゃと思ったときに、
ふっと出てきた言葉たち。
そしてそれを言葉という形にしながら、ああ、私は幡野さんの言葉にも納得していないし、それは父や親族たちの死が受け入れられていなかったからなんだと、
理解したのでした。

とはいえ、コロナは怖いし、死ぬと決まっていないけど、死なないとも限らない。
自分はこういうのに弱い方だと思うし、自信もない。

さて、先達さんから聞いたのは、以下のようなことでした。メモを見ながら書いてるけど、覚えているものとそうでないものがある。全部書いてみます。
・どの魂も今世の修行は「生きる」ということ。
・人は成仏しても、納得感があるかどうかはわからない。
・「死ぬ」ことはなくなってしまうことではない。
・自分は一人には絶対にならない。
・死んでからもすることはたくさんある。

・やり残したことがある人の手伝いをしたら、子孫を助けるスキルになる(誰が?)
・(亡くなった友人は)知恵を与えてもらって子どもたちのために働いている
・死ぬことに対してどんな怖さを抱いているのかを考えてみるといい。
例えば、
 ・存在があやふやになることのこわさ。
 ・今現在が、存在していてもいいのかという不安。

 ・自分が太刀打ちできない怖さ
 ・自分が対処できないことに対するこわさ

 ・病気になるかもという怖さ

 ・老いに対する怖さ
 ・やりたいことができない怖さ

 ・コロナにかかるかもという怖さ


・今は集合意識がそうなっているから、それにリンクしている可能性はある。集合意識は倍音でくる。

・まずは「こんなことに対処できない怖さを持ってます」と認知すること。持ってるんだなーとだけ思えばいい。

・何が怖いのかを書き出すことをしてみたらいい。
それに対して、具体的に対処するための
テンプレートを作っていく。
わからなかったら、みんなにきけばいい。

===
話を聞いていた時はなるほどと思っていたけど、
こうして文字に打つと、流れがわかんなくなってますね。
2週間置いてたからなぁ。

最初の方は、死んだらどうなるみたいな話で、
後半は、対処法。

何に怖さを感じているのかというのは、
上記とあんまり変わらないことなんだけども、
(もう少し細かく確認したほうがよいのかもしれない)
コロナに対しては、
私としては、今考えられるだけの対処はしているつもり。


そもそも自分がどうにか気持ちよく毎日生きることができるように、
ひたすら気をつけて生きているので、これ以上気を付けるのは難しい。
体を保つのにビタミン剤や漢方飲んだり、
食べ物飲み物、そういうのに気を遣えば使うほど疲弊するという健康のジレンマ。

でも他の人の対策を聞いていると、
ああこういう手もあるなと思ったり、
私はここまでしなくてもいいかなと思ったり、
自分の尺度もわかるのはいいな。

 

少し話が戻るけど、
一連の話を聞きながら、気づいたことは、
「私は父や祖父母やおじおばたちの死を、”無念の死”だと思っていた」ことでした。
さぞや、心残りだったろうとか、あれこれ残念だっただろうとか、
勝手に思ってしまっていたんですね。
それ、ほんとにそうなのか?と思うと、少し手放せそうな気がしました。
彼らの無念を私が勝手に感じなくてもよいのですよね。
毎日のお参りで、ご成仏に上がっていただき、私の手伝いをしてくださいってお願いしてるのでした。そうでした。

実際問題、いつお迎えが来るかはわからず、
ちゃんと終活して心のこりをなくして死ぬのが一番なのだろうけど、
そういう人生になるかどうかもわからない。

身辺整理(道具的な)ものもやればもう少しすっきりするのかな。
と思って、少し本棚は整理しました。
少しすっきり。
が、
抜本的対策が望まれます。

引っ越しが一番の整理だというのは、しみじみわかります。
もう20年近く分貯めこんでるからなぁ。

自粛生活も結構慣れてきて、
長く続く可能性もあるけれど、
うちは自分の体が変調しやすい体質であることと、
家族に基礎疾患者がいることがあるので、
基本はステイホームのスタンスで行きます。

マスクの意味を感じないとかいう人も周りにごろごろしているから、
飛沫を浴びないよう、健やかに暮らしたい。

いろんな人がいて、強い人は強い人の論理がある。
弱い人の論理はなかなか受け入れられないけど、
それを声高に言っても伝わらない。
伝えることに
パワーを使って疲弊しても意味がない。
大切な力は、自分が生きることに使いたい。


お話会であった話。
人は誰かのために生きている。喜んでほしいと思って生きている。
だから、自分が好きな人に、仏様に、神様に、先祖の人たちに、
自分が元気で笑っている姿をみせるんだ。
そう思って生きるといいよって。

そうだなと思います。

自分は誰かの祈りの結晶かもしれない。
少なくとも親や祖父母からはそう大事にされてきたんだよね。

存在していていいんだよって自分に言ってあげないとね。

愛してるよ 2020.5.1

5月に入りました。
今日の福岡は、とっても気温が上がり、季節ががらっとかわったよう。
天気予報では「6月上旬並み」といっていました。
もう春とは言えない感じです。
さすがに冬物を片付けなくては。

今年は、クリーニングに出すのも、
クリーニングやさんに申し訳ないような気がするので、
半年寝かすかな。


==

さて、昨晩のこと。
布団に入って寝る準備をしていたら、
「愛してるよ」って声?が聞こえました。

耳からの音ではないようです。
でも、誰が?

わたし?

前の私は、愛してるなんて言葉は軽々しく使うもんじゃないと思っていました。
本当に、それを募る思いが出た時にだけ使うものだ、
そう思っていたんです。

今だって、うそはつきたくない。
愛って、うそではないかもしれないけど、うまく表現できないもの。。

なんていう私ですから、
まさか自分の中からこんな言葉が出てくるとは考えにくい。

だけど、この頃はわりと素直に、
感謝だったり愛だったりというのは
受け取れるようにもなってきているのでした。
以前と比べて(自分比)ですが。

と、ここまでは、今日振り返ってみて思ったことで、
実際の昨晩は、

そんな声が降ってきたことに驚きながらも、
誰なんだろうというのもそこまで詮索せず、
口をついた言葉が「私も愛してる」でした。

いや、実際には自分の口は発声しておらず、
私の頭の中(心の中?)で発せられたもの。

どっちかというと、こちらにびっくり。

何が起こっているのでしょうか。


寒の戻り? 2020.4.23

朝の天気予報で「今日は、3月上旬並みの寒さです」と言っていた。

その前の日、いいお天気に騙されて、薄着で一週間ぶりの買い物に出たら、
めっちゃ寒かった。
夫の車で乗せていってもらったので、そんな大げさなという感じもあるが、
いや実際、家を出た瞬間に「まずい!」と思い、1階に降りた時点で「マジでヤバイ!」と思った。風が強い。
でも、上着を取りに行く時間がなかった。

一瞬でも浴びた衝撃は、私の体に残り続ける。
買い物をして車で送ってももらったが、それから家に居ても寒い。
買い物したものを片付け、着替えてから速攻で葛根湯を飲んだけど温まらない。
お風呂に入ったけど、芯から温まらない。

夜はおなかにあんかを抱えて眠りについた。

が、眠れない。あれ?薬飲んでない。
とかで何度か起きた。

そんな感じだったので、朝がつらくてたまらない。
おそらく、酸素が足りてないのだろうと思われる。


が、今日は朝から、森からのオンラインイベントである。
私はメインスタッフではなかったので、参加だけするつもりだ。

1時間弱だけ!と仮眠を取り、ギリギリ間に合う感じで準備をしていると、

皿洗いをしていた夫が、「うぁぁぁぁ。苦しい~」と悶え始める。
彼が苦しがるのは、割といつものことではあるが、
今回は結構大きい発作のようだ。

「お皿はいいよ。私がやるから」といい、椅子に座らせる。
が、そこから動けない。
彼の場合「痛い」ではないらしい。いつも「苦しい」という。
そこがわからない。
何度も聞くが、どこがどういう状態で苦しんでいるのかがわからない。

が、いつもとはちょっと違うので、
背中をさすったり、体を支えたりしながら彼の後をついてまわる。

この状態ではほおっておけない。
とはいえ、森でのオンラインのイベントでマイクオンでも入れない。
とりあえずメンバーに「家人のトラブルで入れないかもしれない」と一言チャットを入れる。

彼はとみると、机の前に座り、いつものガスター10を飲んでいる。
そうか、胃なんだ。

(胃腸と脱腸的なものと股関節と、近しいところに3つも爆弾があるので、よくわからない💦)

ストレスだなぁ。

「ベッドに寝たら?」というと、珍しくベッドに行ったので、
私もそこで見守ることにする。ちょうどノートPCを開きかけていたので、
途中からログインし、音も映像もミュートで入った。

森でのオンラインイベントは45分の予定がちょっとのびて1時間ほど。
そのまま夫はおちついたので、ベッド上でPC広げてオンライン。

まあ、先ほどまでの殺伐さがなくなり、
平和な光景ではあった。

PCからは、森のきもちよさげな風景が流れてくる。


時間感覚のないまま、先ほどまでの眠気はどこかに吹き飛んでいた。

それはいいことなんだけど。

昼過ぎからは、歯医者。
今日はしっかり着込んでいく。薄いダウンを着た。

コロナ防止に買った綿の手袋が、寒さ対策に役に立った。

それでもやっぱりしんしんと冷える。

帰宅して、前日と同じ工程で片付けて、葛根湯を飲むが、やっぱり寒い。
ヒーター前でしっかりと暖を取った。

ここしばらくはまだ冷えるみたいだ。

友人が18時過ぎに「かんぱーい!」とビールをあけた写真を送ってくるw
「こっちは冷えてビールの気分になれんわ!」といいつつ、
くだらない会話をいくつかかわす。

こういう気軽な会話がありがたい。

さて今から、しっかりお風呂で温まってきます。

コロナ以前に、風邪ひきそう💦
ひたすらにあたたかくするしかないね。

600日 2020.4.13

今日は、歯列矯正を始めてから600日目!

昨日、この頃の様子や調整日のことを書きましたが、

plaza.rakuten.co.jp

 

一言で言うと「痛い・辛い」。
それしか基本言ってません(😢

日常、痛くない時にはほかのことを優先しているので、
こうして書く時には、結構精神的肉体的に切羽詰まっている状況ということが多いのかもしれないんですが💦

毎日食べている梅干しも、さすがに食べれなくなりました~。
悶絶しちゃうんです。。。。

プロテイン豆乳ヨーグルトで生きてる気がする。
水分も取りづらいのですが、脱水にならぬよう、、、。
ココアも沁みてしまった今日。色々チャレンジしては玉砕して萎えてます。

今日は、風が台風並みに吹いてて、家に居てもちょっと怖い。
こもるのは、嫌いではないので、ゆっくりのんびりいたします。

みなさまも、このご時世大変ですが、どうにか心穏やかに。
私の場合は、こうしてすぐ体に出るので、外のことに惑わされず
自分を見よというメッセージなのだろうと思っています。


武士の心を持つ女 2020.4.4

毎日状況が変わっていく。
いい悪いのグラデではなく、悪い方へのグラデ。

やることは決まっているはずなので、粛々とすればいいだけなのに、
私は感情の人なので、
どうしても、そこが落ち着かないと自分の動きが出にくい質だ。

FBに書いた記事。

母の眼科行きを4月に2回入れていたのを、無期延期にした。

先日、特養は面会禁止の中、「眼科に連れて行ってください」と先生に言われ、大規模有名眼科に連れて行った。(検査と診察で丸一日病院に居た)
結論的に、失明はしないけど治らないだろうといわれ、「一応注射してみますか?ききめないと思うけど」と非常に心無い言葉も言われ(ほんとはもっとひどい言葉が💦)
それでも母はうまく聞き取れなかったのか、治ると思ってるらしく、注射をするという。

それで、4月に注射とその2週間後に診察を設定していたのだけど、やはりこの状況下。2回も3密の状態に母を連れていくのはどうかと思い、またそれ以上に付き添う私の方が実は一番危険な気がして、家族に相談し、結論として4月に行くのはやめようということになった。

が、その話を電話で母に説明しようとするも、
補聴器の母の耳には電話の声がうまく聞き取れないようで、
私が自身最大の声を出しても、聞こえないという。
「え?中止?じゃいつ行くの?」「・・・聞こえない」
会話にならない会話が続く。

聞こえないのか、理解できないのかすらわからないので、
看護師さんに代わってもらい(看護師さんとはすでに調整ずみだった)、改めて説明してもらうことにした。

行って説明することも考えたが、今の福岡の状況ではリスクの方が高い。
とりあえず大き目の字でお手紙を書いた。

本を読むしか楽しみのない母が、目をどうにかしたいことはよくわかる。でも今は時期が悪い。

さて、4月末には、これまた大病院がん手術後の半年ごとの検診が控えているのだけど、これも延期でいいよね?

気持ちを考えなくて済むなら、状況判断だけでいいのだけれど、フォローができない状況下でこういうのは、私の性格上はなかなかきつい。

普通の人なら悩むことでもないのだろうけど、、、でも、今は施設の方々に託すしかない。

 

このことを自分だけで考えていた時、
そろそろ福岡も陽性が毎日2桁になり始めた頃だった。

その時私が一番優先して考えたのは、母の気持ちだった。
母の気持ちを直接聞いたわけではない。私が勝手に思っているだけ。

最近の私は、母ファーストすぎる。
なんだかそこに恐れがあるのかもしれない。
母の気持ちを汲んで、連れて行けば、正直なところ私の方が感染する可能性は高いと思う。(私は生来体が強い方ではなく、弟にも話したら、その通りだといわれた)
それでも、行かねばならない的な思考が走る時がある。
今回は、特にその思考が強くなったので、
やばいと思って、夫と息子に相談した。

この思考は、時代劇でよくみる忠臣的なやつだ。
殿を助けるために、無防備で参ります的な。
防護服着てないのに、行っちゃだめ。
客観的に見れば、私も人にはそういうけど、
感情がいろいろ入ってしまうと、判断に時間がかかる。
これまた、生き残りにくいパターンだよね。
ほんと武士だわ。忠臣。

頓死は嫌なので、自分ファーストに移行できるようにしたい。


そういえば、先月の卒業式の時に、
卒業生たちからひとりひとりメッセージをもらっていた。

私は、卒業生の子たちの顔を思い浮かべながら、
「大丈夫。誰も認めてくれなくても、私が信じてるからね~」とエールを送っていた。
そんな自分をふと客観的にながめるようなシーンとなり、頭の中に起草された文章がこれ。
「ん?私は彼らにこうして掛値なしの思いで接しているのに、なんで自分自身にはそういう思いで接していないのだ?」

自分が関わり、愛情をもって接した人には、
私は掛け値なしの思いをかける。母に接しているものと同質のものだ。

だが、本当は一番私がかけなくてはいけないのは、
私自身ではないのだろうか?

それができないのはなぜだろうと考えた時、
私は私の体が思うように動かないことが、そのことをさらに大きく問題にしているのだろうと思った。

先にも書いたが、私は幼少のころから、体が弱い。
直ぐ病気をする。体力がない。
精神力で頑張ろうと思うのに、体が邪魔をする。
そういうことが何度もあった。

今心の勉強をしているが、体は実は正直で、私の心が望むように体がそうなっているのだということは、頭では理解している。
が、それこそ心が理解していない。
だから、何度も同じ感じで玉砕している。
ここでも武士っぽい💦

大本のところで、どんなトラウマがあったのか、何度も調べてみたけれどわからない。
それならば、なにがあったかわからないけど、今の潜在意識を書き換えるもしくは上書きするしかない。
ということで、地味にスートラ(アファメーション)を設定して、朝晩ぶつぶつ唱えてみている。
19日からやっているが、見事に抵抗感のある夢ばかり見る。
今コロナのことで、ただでさえ敏感な私の自律神経が超過敏になっているってこともあるのかもしれないので、絶対そのせいだとはいえないのだが、
からだも緊張感が抜けない。

そこは仕方ないが、この壁はもう自分で壊すのか登るのか、違う道をいくのか、とにかくやるしかない。
違う道を行き、これまで何度も繰り返しているので、
登るのかなぁ。
それがあってもなくても大丈夫。そういう域に達したい。

2年前の沖縄からの、私の大きな希望。

ちなみに今試しているのは、ザ・メンタルモデルの中にあったメンタルモデル瞑想のスートラというやつだ。
ひとには4つの無自覚な痛みがあるという。
それはその人の人生を駆動させているもの。
私のモデルはまだはっきりとはしていないが、割と大きくあてはまるのが「価値なしモデル」。字のごとく「私には価値がない」と思い込んでいるというもの。
数年前は、よくこの言葉を口にして泣いていた。

他には「愛なしモデル」「ひとりぼっちモデル」(なぜか私の周りにはこのモデルが多そう)「欠損欠陥モデル」。
私は価値なしか欠損欠陥か、どっちかだと思うんだけど、
取りあえず価値なしモデル用に紹介されているスートラを採用してみてる。

 ご興味のある方はこちらをどうぞ。

 

タイプ診断に興味のある方はこちらを。

mentalmodel.jp


さて、今日はもろもろ大きな予定が終わり、ほっとしています。
毎日何かといろいろ用事がでてくるけど、
そろそろ、ほんとに断捨離の時間を取りたい。
こころと頭と環境に余白を。