ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

宮島の旅回顧~旅に出る前 2019.8.25

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やっと、体と心の疲れが癒えてきました。
今日は、ぐっと冷え込んで、寒さを感じるほど。8月なのに。
季節の在り方がほんとに変わってきましたね。
当たり前なんて、ほんとに存在しないんじゃないかと思います。

さて、もう約1ヶ月近く前になりますが、
宮島~広島旅行記を書こうと思います。
憶えてるかなぁ。
写真を見ながら、思い出してみます。

===
宮島に行くことが決まったのは、ひょんなことから。
義母が「旅行に行きたい」といい、息子に「海と山はどっちがいい?」と聞いたら、息子が「山」と言った。義母の頭に浮かんだのは宮島の弥山(みせん)。お友だちと一緒に行ったことがあったらしい。
義母の頭の中には、山形の娘のことがあり、福岡と山形の間なら来やすいかも、と。

宮島なら、私は大賛成。
夫も厳島神社には行きたかったらしく、とんとんと話は進み、しかも夫の誕生日祝いも兼ねて夫本人があれこれ企画を立ててくれたので、お任せモード。
いつのまにか、娘の彼も一緒にという話になり、6人旅が決まり。
娘も彼も日程調整がうまくいき、(実は思う以上に広島―山形は遠かったのですが)みんなで宮島を目指す旅に。

さて、私は、それまでがいろいろと忙しく、
ゆっくりと祈りの旅の準備をすることができていなかった。

宿の手配ができたのが5月中だったのに、
なんだか、自分が何を厳島さんに祈るのかがはっきり決まらず、
また今回行こうとする弥山についても、あまり調べる気が起こらず、
結構出たとこ勝負な感じでいた。

自分一人で行く旅ではないので、私がガチっと決めすぎてもと思っていたところもあり、いや。
この大所帯との移動の中で、私はどう自分の祈りの時間を作れるのかが、わからなかったから、というのが大きかった、気がする。

で、さすがに焦ってきた10日くらい前w
宮島に行く前には、氏神様にもお地蔵様にもちゃんと言ってきますを言いたいのに、
「〇〇という祈りを持って、行ってきます」の〇〇が言葉になりにくい。
しかも、ちょっと体調的にがくんときたりしてて、氏神様の夏祭日は、夫も私も不調で寝込む始末。
夫の不調はずっと続き、行けるのか?と毎日思いつつ、背中をさする。

やっとの思いで時間を作り、ノートにあれこれ書き、言葉としてまとめ、
氏神様、お地蔵様にお話に行き、何度か口にしてどうにか形にした。

まず仕事。
私は教育を仕事としている。
「こどもたちや自己肯定感を子どもの頃に育めなかった人たちに対し、
自分の中には豊かさが備わっていることに気づき、
自分は自分でいいんだ、という安心感を持てる、
自己肯定感を高められるプログラムをつくっていきたい」

これはずっと思っていて、何度も祈ってきたことだ。
それから、最近切実に思うこととして、

「お互いを尊重し合える人と仕事をしたい。」
「自分が思っていることをビジネスにつなげることができる人と出会いたい。」

こんな思いも持っていて、お参りの時には何度か口に出していた。
実際、それがあるから今の私はこういう仕事ができているわけだけど、
また違う視点で、自分の能力を活かすことがしてみたくなっている。

厳島神社は、平清盛さまが作り、ご祭神は宗像三女神
この三女神のうちの市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)さまは、
神仏習合がされていた時代(明治以前)には、仏教の弁財天さまと習合されていた。
なので、お隣の大願寺にいらっしゃる弁財天さまとも、一体化してみることができるという。神としてみるか仏としてみるかだと思う。

数年前から、市杵島姫命様にはよくお参りさせていただいている。
といっても、私の住む場所の近くにはいらっしゃらないので、
今までは一番近いところで太宰府天満宮の中にある浮島のところにいらっしゃる方におまいりしていた。
最近では6月の頭に宗像大社に行き、ご挨拶をした。

私が行きて仕事をしていく中で、女性としてどう生きるかは大きなテーマだ。
特に仕事をする時には、仕事上で認められるには男並みがまだまだ強いられがちだが、女性でありながら、女性らしく(これは甘くという意味ではなく)女性という特徴を生かして仕事をしたいという思いが、私には強くある。

まあつまりは、自然体で仕事がしたいわけだ。究極のところ、男も女も関係ないところまで行くのがベスト。
それでも私たちは、男か女かという性別を持って生まれ生きているのだから、
その性も特徴として活かしたいし、+個別の特徴を持って、その人の特徴と言えると思っていて、それらを活かしながら生き、仕事をしていきたいのだ。


なので、「女性として」という思いをいちきしま姫様・弁天様をはじめとする三女神の皆様には聞いていただきたいという思いがあった。

そして、何度か氏神様お地蔵様に参るうちに、自分の中にある怒りにも気が付いていた。

春に出会ったいとうさんから教えてもらったTMS理論。

痛みは構造異常ではなく、TMSのせいでおこる。
TMSは抑圧された感情が引き起こす無害な状態である。
主犯たる感情は抑圧された怒りである。(痛みの直接原因は軽い酸素欠乏である)

自分を管理するのは、無意識ではなく、自分自身である。
常に身体ではなく心に着目して考えねばならない。

 



このことがわかったので、身体の痛みとの向き合い方が随分と変わった。

自分の体の痛みは、自分が作っているのだということが理解でき、
自分の体に振り回されずに、自分が手綱を引くんだという意志が大切だということがやっと納得できたところだった。
この納得は、私には大きくて、やっとここまできた、
やっと自分の思考をここまでもってこれたということで、
自己肯定も少しずつできている。

と同時に自分の中にある怒りに気づき始めた。
わたしの中の怒りは、自分が頑張っていることがなかなか実を結ばないこと。

一緒にやってきた人との関係が変わってきたこともあり、
やりたいことのラインは可能性を期待してもっておき、
新しい機軸を作りたいと思っているところだった。
自分の中にはイメージはあるけれど、全く未知の世界だから、
自分一人ではできそうにもない。
何を手掛かりにすればいいのかもわからない状態だが、キーワードだけ存在している。


このことを言語化しはじめたのが、一週間前くらいだったろうか。

不調がおちつき、ポンっと時間があいた。
ふと、ある人のことを思い出した。
彼とは数か月前に会い、話が途中になっていた。
そうか、彼に私の話を聞いてもらえばいいんだと思い、
メッセージを送ってみた。
そういえば数か月前も話をしてみようかなと思っていたんだけど、
あまりにも忙しそうで、私が遠慮してしまっていたのだった。

それが宮島に行く1日前のことだった。


私が思う新しい機軸の一つのキーワードが「自然」だ。
自然というとあまりにも大きすぎるのだけど。

私が病中に、助けられたのが自然だった。
ベランダで土を触ること、公園で見る花や草や樹。
肌を触っていく風やお日様の光、裸足で感じる土や濡れた草の感覚。
虫や蝶や、水辺の鳥、魚の動き。
池の波紋。

自分の五感を取り戻せるのが、自然のある場だと感じた。

これは、自分の人生から切り離しちゃいけないものだと思った。

街にはなかなか自然がない。
あっても、疲れた人間が、自分自身を自然の中で感じることができるようなところは
少ないと思っていた。

私はペーパードライバーだから、徒歩か公共交通機関で行ける範囲でしか動けない。
動けないと限定してしまうのは良くないのかもしれないけれど、
客観的にみても街にいる限りは、自然があるところまで行くには、
車がないとすぐすぐ触れることはできにくい。

なので、私の中ではキーワードは自然と出ているのに、
自分はそれをどう料理すればいいのか、みえてこなかった。

今回思い出した人は、もう3年ほど同じ法人の役員を一緒にしていて、
「ああ、灯台下暗しだな」と思った人だ。
実は事務所もうちに近いが、行ったことがなかった。

とりあえず思いのたけをメッセージで送り、
宮島の旅から帰ってきたらあう話になった。

自分がこんな行動をとるとは思いもしなかったけれど、
宮島に行くことが決まり、自分なりの整理ができ、
準備ができつつあったのだろう。

自分の中から、外から、ひらめきは突然に降りてくる。
ひらめきに気づくこと。
そしてそれをちゃんとつかめるようになってきた。

病気をして以来、特に、私は私の感覚に気づくこと、
研ぎ澄ますことを必死でやってきた。
最初は全くといっていいほど、自分の感覚が自分で感じられなかった。
痛いことは感じる。でも心地いいを取り戻すのにはかなり時間がかかった。
それが随分と戻ってきたのだろう。
と同時に「ふと」や「ぴん」が自分の中に戻ってきた感がある。
そして、それを即行動に起こせるようにもなった。

ある種、自分の感覚に自信が持てていて、
それに沿って行けば間違いないと自分の感覚に全幅の信頼を置けているからだろうか。

思いを願い、そして思いついた行動をし、
さて、いざ宮島。

いつものことだが、始まるまでが長い。

でも、そんなストーリーなのだから仕方ない。
冒険への誘いは、いくつも伏線があるものだ。


伏線かどうかはまだわかっていないものも多いんだけど。

思いは叶う 2019.8.19

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8月19日、山口県の公立高校での、プロジェクトの当日。

プロジェクトがあると、一番多忙になってしまう。これがブログが書けない最大の原因。
まあ、これは出来事なので、精神的な理由で書けないより、私的には健康的。

昨日、深夜個人的思いの振り返りをFBに書いたので、
加筆転載します。

===

山口県立M高校PTA会長 らいちゃんとの写真、バスを降りての学生たちとの写真を掲載。

今日は、念願のM高校でのプロジェクトの当日でした。

FM長崎の大学生番組「オールザットキャンパス」の同級生、らいちゃんとは
当時から仲良くて、毎週の収録時、 収録後はもちろん、しょっちゅう一緒に
遊んで?いた仲間です。

彼はFBで私やT先生の活動をフォローしてくれていて、
「ぜひうちの高校に」と校長先生に話をしてくれ、
校長先生ともどもお会いしたのが12月。
今回彼からの話がなければ、今日こんな写真は撮れませんでした。

私が10年余やってきた書くPは、2年前から一旦一区切りとして、
活動を休止していました。
福岡市が産官学連携で7年間やってきた夢チャレも、昨年で終わったというタイミングでした。

今日にたどり着くには、ほんとにいろいろと、初めての調整や課題にぶち当たりました。
プロジェクトは私一人でできるものではありません。
休止していたプロジェクトを再度立ち上げることは、
いつもとは比較にならないほど、気力も労力も根回しも必要で、
その他いろんな思いもありました。

でも、それをどうにかやれるようにと奔走し頑張れたのは、
私にどうしてもやりたい理由があったからです。



2年前、今の4年生が2年生で初めて夢チャレに参加した時、
今回のリーダー格である3人を含む4人が、
初参加なのにプレ講座の企画に手を挙げました。

付き合ってみて彼らのポテンシャルの高さにも驚きましたが、
まず素直にやりますと手を挙げること、そしてみんな笑顔がいいことに惹かれました。
キラキラした目でチャレンジを面白そうにこなしていく姿を見て、
私は「この子たちに書くPを経験させたい!書くPでこの子たちが頑張る姿を見てみたい」と強く思うようになります。

ですが、プロジェクトは現場がないと動けません。
これまで入っていたいくつかの中学校での実施が見送られ、
実質上書くPはお休みになりました。

当時私自身も体調を壊し、動けない時期も長くあり、暗黒の時期が続きます。
大学生版書くPを年1でやるのが関の山という状態。

そして夢チャレまで休止となり、私の思いもここまでかと思っていた時に、
らいちゃんからの「うちで、み。ちゃんとこのプログラムやれない?」って言葉は、
あきらめかけていた私の思いに再度火をともしてくれました。

今回、最終的に4年生は6人参加してくれました。
当初の3人ふくまこ、よしき、まっち、
そして2年前の夢チャレの次のプロジェクト、修猷Pで手を挙げて率先してリーダーをこなしたななかちゃんが先頭を切ります。

納得感が大事な男たっちゃんは「わからない」を素直に出します。
どうなることかと思っていたら、最後の最後で納得したのでしょうか。
導入ワークの仕切りの見事なこと!

そしてダークホース、A太。
締め切り後に「参加させてください」と来た、遅れてきた男。
それまでそう目立った動きのなかった彼が、
今回彼の経験をネタに高校生に披露することになり、
一気に当事者意識が燃え上がったのか、場がA太ペースになることが多くなりました。
いい勢いがつき、寸劇導入も手伝って、沖縄魂炸裂です。

みんなのいいところが、それぞれ持ち場で活かされるそんな場が醸成されていく、
そんな感じでした。

もちろん場は4年生だけでなく、3年生、2年生の頑張りがあったからです。
みんなで一つの船に乗って、全員が必死でオールをこいだから、想定した到達点に達することが出来た気がします。

思いはたくさんありますが、今回私を動かした強い思いは、
「当時の2年生を卒業までに書くPの経験をさせたい、
彼らをもう一段高いところでチャレンジさせたい」。
その思いを達成することができました!

こんな思いを私が持っていたなんて、彼らは全く感知していないと思うけど。
欲をいえば、振り返りと感想をじっくりと聞きたい。

帰りのバスの中で、音楽を聞きながら、
後ろから聞こえる学生たちの楽しそうな会話を聞きながら、ふと、
「ああ、らいちゃんと私がやっていたオールザットは、私にとっては書くPみたいなプロジェクトだったんだな」と気づきました。
リスナーにどう思ってもらいたいかって、考えて意見したり、企画を考えたりしていたもんなぁって。

そして、だかららいちゃんとはこうしてまたやれるんだなとも。
いつ会っても、彼とは当時の感覚でかけ合いができます笑
学生は私がかけ合いしてる姿なんて想像できないと思うけどw

なので、今日も二人で後ろで見てて「あのかけ合い、俺らの方が上手だよね」なんて軽口言えたりして。(※かけあいには、相性も必要です)
あの経験とノリがあったから、今私は学生に「できるよ、やってごらんよ」って言えるんだなって改めて思った次第。
過去の経験はホント無駄じゃない。
(これ、今日かかわった高校生も書いていた^^ そうだよ~と心の中で応援した)

あー、楽しかった!

今回のプログラムの主メッセージは、
「自分の人生は自分で創造できる」
そのためにはまず「自分の想いを大切にすること」。
そして「自分もまちも変われると信じること」(楽観的に思うこと)。

やってる私にも、リアルに身に染みるプロジェクトでした。

とりあえずの今日の振り返り。

仏壇と結婚と病気。 2019.8.15

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お盆最終日。
朝は目が覚めるのだけど、起き上がれない。
首と肩が固まっていて、起き上がるまでに、じわじわっといたくないところを探しながらゆっくり移動して動かしていくので、それがしんどくて4回ほどあきらめて寝るw

まあ気分的に「休みだし起きたくない」というものがあるわけで。

さて、そんな感じだったので、今日は一日家にいようと思ったのだけども。

今日の3本です。
★仏壇を買いました
★娘の彼から、「娘さんと結婚させてください」
★病気のキャリアと向き合うために

最初から行きますと。
★仏壇を買いました

お盆初日に、夫から誘われて仏壇を見に行ったのです。
2軒回って、決めきれず、まあでもいくつかの候補に絞ってはいたんですが、
家に帰ると、もう今のままでよくない?と思ったりし。

今は、箪笥の上にお位牌3つ、先祖のわかるだけの方の名前を書いた色紙(30数名分)、お花、線香立て、ろうそく立て、おりん。
毎日そこにお茶とお水をあげています。

で、今日、夫がまた見に行こうというのです。台風も行っちゃったしと。
そこまで言うならと思って出かけました。

うちのはお位牌が大きくて。
実家は檀家で、それも取りまとめをしていたくらいだったから、
坊さんきっと張り切って、檀家の長の長男(私の父)の位牌だからって、多分少し大きめのやつになったのでしょう。
名前を彫ってない金額が7万いくらかでした。ひぃ~。
戒名つけてもらって何十万ですよね。ひゃ~。

で、その位牌が入るくらいは高さ欲しいし、でも圧迫感は嫌だし。
悩んでたけど、金額的にそう高いものじゃなくてもいい。合板じゃなければいいと思って、ウォールナッツ(くるみ)の茶系のやつにしました。
浄土宗のやつですよとか言われたけど、うちたくさんの家系が入ります、そこに。
夫のところが浄土宗なので、まあちょうどいいかなという感じ。

仏壇屋さんが言われるには、お寺さんとの関りがあるなら、言われるかもしれないけれど、手元でご供養されるのならどんな宗派のものでも問題ないと。
実際そうだろうと思います。

自分の実家が曹洞宗で地味なので、浄土真宗系のきらびやかなやつをみると目がちかちかしますw
おそらくそれは慣れとかの問題もあるのでしょうね。
初めてじっくり中に入ってみる仏壇屋さんは、なかなかなワールド感があって、非常に興味深かった。
しかも金額が全く読めない。
今どきの仏具の方がお高いようです。
線香立てとろうそく立て、花瓶の細くてスタイリッシュなやつがあったので、
「ああ、このくらいのはいいなぁ」と思って値札をみたら8万弱。ひぃ~。
別のやつは2万台。8万のを見たら安く見えるけど、それでもそんだけかかるんですね。

中に入れるのは、阿弥陀様にして、それも何種類もあったのの中から気に入った方のを選び(それまた浄土宗のやつだった)過去帳と台も選んで総額〇〇万で、
お盆ですからねとお値引きいただき、〇万台にしていただきました。

帰りに夫に「なんで仏壇買おうと思ったん?」と聞くと、
「毎日、箪笥の上に拝んでるから、あった方がいいかなと思って」と。
あんまり意味がわからないのですが、あった方がいいと思ったというのが理由なのでしょう。
私は「囲いがあるかないかの違いやん」とずっと言ってたのですが。
(こだわらない)

まあでも、ちゃんと阿弥陀様を据えられたので、よしです。
そこがちょっと気になっていたので。
曹洞宗はお釈迦さま。
でも今は複合なので「南無阿弥陀仏」と唱えてますから、阿弥陀様が適当かなと勝手に判断しています。

ちょっと形式を整えたら、また毎日のおまいりが少し変わるのでしょうか。


★娘の彼から、「娘さんと結婚させてください」

先日、彼もいっしょに家族旅行したので、その時に何か話があるかなと思ったけど、そこまでには至らず、その後彼らも思うところがあり、具体的に結婚する話が出ていました。
この8月で付き合って6年だし、と彼は言ってましたが、
きっかけやら、ふんぎったのは、実はももクロのビデオレターがほしいからw
ももクロのライブで、カップルシートの特典は、1ケ月以内に入籍したら、直々のビデオレターがくるらしいんですよね笑
娘が引きずり込み、ふたりはももクロもののふさん。

数日前から、娘とは話をしてて。
今日、フェイスタイムで顔合わせてお話を聞きました。
せっかくならリアルに話が聞きたかったのだけども、
そしてお約束の「娘はやれん!」ってばーんとかするのやってみたかったのに笑
(基本父親がやるやつ)

私からは、二人で自活をすること(今は実家にごやっかいになっている)を条件にしました。

この辺は本人が決めることだけど、そして本人たちも決めていることだけど、覚悟を問う部分ですから。
人に誓えば、自分たちも意識しますから。
この辺は、自分の経験から。

で、この後は向こうのご両親に話をするとのこと。

入籍は今月末から来月頭になりそう。
いろんなことを決めるようになるんでしょう。

★病気のキャリアと向き合うために

さて、その決め事の前には、気になるのが病気のこと。
夫の病気は遺伝性のものなので、娘もキャリアです。多分。

彼女は検査を全くしていないのですが、
本人の発病の可能性もあるのです。
で、今後妊娠出産となれば、その子どもへの遺伝は1/2の確率であるので、
そのことを彼と彼の家族には伝えるべきだし、
検査もしておかねばというのが夫の意見。
まあいつかはと思っていたので、そのタイミングなのでしょうが、
相手がどう思うかは、難しいところです。

この件では患者の会の方に相談済み。
いろいろ動く必要も出てくるかもしれません。

考えても仕方のないこともあります。
でも、うまくいくことを願います。

さて、明日は早いのでした。寝ます。
肩が早く治りますように~。



母と暑気払い。記憶の妙。2019.8.14

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なかなか書けないでいる日記。
ちょこちょこFBには書いているので、
そのFBに書いたものをベースに加筆して載せておきます。

今日は、母を誘って居酒屋に。
~~~

思い立って、母を誘って居酒屋で暑気払い。
二人でこうして呑むのは、もしかして25年ぶり位かも。

今年は、お盆に長崎への帰省はなし。
先日義母プレゼンツで広島の旅をしたので、もう帰らないと夫が宣言。
義母はちょっと寂しそうだったけど。
私もプロジェクトがあっていて、やっと休める3日間なので、
正直なところ、帰省しないのはありがたい。

息子はというと、12日からともだちと東京でアニオタの旅をしているw
本来なら今日帰ってくるはずだったのだけど、
超大型台風のおかげで帰福予定の便が欠航の可能性が出て、
振り替え可能になって、まだまだ遊びたい彼らは2日延長したのだった。一緒に行った友人の友人のお宅にごやっかいになってるらしい。
振り替え手続きも自分でやってたし、
失敗したとしても経験になるからまあいいかなとは思ってる。

きっと、志望大学は東京に絞られるのだろうwww

明後日は無事に帰ってきますように。

===
先日ニュースを見ていて、あれっと思ったので、記憶をたどってみた。

日航機事故の時、私は実家の本家に居て、
親族たちも毎年のようにたくさん来ていた時に、テレビからのニュース。
「とんでも無いことが起こった」と思った記憶がある。

日航機事故は昭和60年。

父が亡くなったのは59年10 月。
だから、その時は初盆だったはずだ。

私がバイク事故で大腿骨骨折して手術したのが60年1月。
治りかけの6月に再度骨折して再手術した。
その時の入院は1ケ月半位だったから、8月のこのお盆の時期は、
やっと祖父母の家に帰って来てクタクタな時期だ。
あの夏は体力が落ちてしまっていて、
食べられずきつくてずっと寝ていた記憶がある。
確か8キロくらい痩せて、9月に大学に行った時にみんなにびっくりされた記憶もある。

でも、私にとって大きなこれらの出来事が、
同じ時期なのに関わらず、私の中でリンクされてないことに気づいて、
ちょっと驚いている。

私が日航機の事故をテレビで見た、あのシーンは、そこだけが強烈に切り取られている。その右側の奥の仏壇の横には、回り灯篭や、お盆の長い提灯が書けられていたはずだし、そこには父の遺影もあったはずなのだ。

そして私自身の身体は、当時はまだ松葉杖だったはずで、ぎこちなさ不自由さを強く感じていたはずなのだ。でもそのことは全くそのシーンとは連動していない。

ほんとに、衝撃的なニュースが流れるあのテレビの画面を、少し遠くの座敷からみている、その状況の切り取りだけが記憶としてある。。数秒間の動画的な記憶。

それを昨日考えていた。

私は結構昔から記憶力が良い方で、
それを自他共に認めてたのだけど、記憶ってあてにならないものなのかも。
そういえば、ちょっと前に記憶がないことに衝撃を受けた投稿をブログでしたなぁ。

で、暑気払い。私は小さいビールで、母は日本酒。
お刺身や焼き鳥をいただく。

母と飲みながら、さっきの記憶の数々を母に確認するも、
母も、佐世保に来ていたはずなのに「福岡でテレビを見たと思ってた」とかいうから、
二人で「記憶ってあてにならんね」ということで話は収束した。

そういうことで、記憶ってかなりあいまいで、
昔のことになればなるほど、時間軸はあいまいになっていきます。
そういうことが増えてきました。はい。

まあ、母とこういう話が出来るのは、一緒に生きてきたからなので、
ありがたいこと。
お盆に、そういう話が出来るというのは、
向こう岸に早く渡ってしまった父の計らいなのかも。

母も少しお洒落をしてた。
娘がプレゼントしたシャネルの5番の香りがふわっとする。
「やっぱりいい香りだね」っていうと「あ、香る?」と嬉しそう。

母も随分元気になって、施設では車いすだけど、
外に行く時には杖で私が手を添えれば随分歩けるようになった。
今日もいい感じだったので、
「この感じならバスにも乗れるかもね」というと「うん、そうかもね」という。
会話も前向きになってきて、嬉しい限りだ。

今日は息子も夫も不在だったから、ある意味タイミングが良かった。

近況。 2019.8.6

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水神公園の流れ。見てるだけで気持ちいい。


2週間以上のご無沙汰でした。
とにかく、時間がないというか、いろんな準備やらなんやらと、
怪我の治りが悪くて(というかその余波で肩が固まって)痛くて、ってのもあり。
家族旅行の準備、プロジェクトのもろもろ、ああ、誕生日祝いやら、うなぎの日なんかもありました。
新しい仕事の話やら、関わっているNPOに顔出したりもあり。
このあたりまでは元気だった。矯正の調整日もクリアし、
息子と天気の子を見に行ったりもし。
そして先日は学生と下見旅行に山口県美祢市に行ったら、いや~もう消耗。
軽い熱中症なのではないかと思うくらいにしんどくなっちゃって。
ここいらから、ちょっと体が悲鳴を上げ始めたので、
おうち作業に切り替えて、今日は一日おこもりデーでした。
ほんとは、一日何にも予定のない日がほしいところだけど、
今はそんなこといってらんないのです~。

お盆はそうしよう。

==
少しずつ振り返り。

うちの今年のうなぎの日は、7/26でした。
今年の丑の日は7/27だったんですよね。多分。
でも、27~29は家族旅行の予定が入っていたので、
26日に。
わが弟がスーパーのデリカ部門にいるもので、
まあ少しでも注文してお手伝い。
今年は昨年ほどの高値ではないというものの、
そこそこ量買うと、いいお値段いたします。
そこは、わが弟のために、姉は頑張りました。

夫の誕生日でもありましたので、うなぎとケーキ。
当の夫は、まだまだ不調。
大丈夫か?旅行行けるのか?という感じでしたが、
彼が食べられない分は、息子が頑張りますw

同級生の3人でやってるメッセージグループがあるのですが、
そのうちの一人の誕生日が7/26。
夫と同じ誕生日なわけです。
そしてもう一人の子の夫君の誕生日も、これまた7/26なわけです。
「笑うよね~」って毎年言ってますwww

私の近しい人にもこの誕生日の人がいて、
親しい学生のお父様もこの日で。

生まれすぎじゃない?7/26.

今年の7/26は、旅行前日だったので、自分の準備に、夫の体調に、山形から飛んでくる娘と彼氏との連絡にと、やたらと気ぜわしい一日でした。

そして、旅行では広島の宮島に行くので、
そのための準備も。

宮島は祈りの島です。
その前は2017年の1月に行きました。
2年半後の再訪は、どう祈ろうか、なかなか落ち着いて考える余裕が取れなくて少し焦っていました。

行く前の週に、母のところの近くのお地蔵様と、氏神様とその下の福徳延命地蔵菩薩さまにご挨拶。そこで、「今回はこれを祈ろう」というのが絞れてきた感があります。

前回は巡禮記で行ったので、
先達の育子さんにご相談。丁度お盆のご相談会の時だったので、
急ぎ対応していただきまして、祈りのポイントを確認しながら、

とはいえ家族旅行なので、もろもろ気を使いながら、お参りしてきました。
どうにか2日間で祈りコンプリート!

これは今後の振り返りのためにも残しておかないといけないので、
次回からゆっくり家族旅行記、書いていこうと思います。

時間が取れるのかどうかが問題ですが、、、。

「自分の体を一番大切にする」って口では言えるけど、なかなか難しい。
仕事や約束や、私がやらないと動かないこともある。
でも、それでも体を休ませることを優先することは、やっぱりすべきことだと思う。
完全休業じゃなくても、家でできることをする。
それがいいのかどうかはわからないけど、
今日は家で仕事がはかどった。
大学に行ってMTGに参加しながらだとできなかったことだ。
(私はマルチ作業が不得意なので)

久しぶりなので、いつも以上に散文。

明日も自宅だけど、いろいろ用事があって、休めなそうだから、しっかり寝ないとなぁ。と言いつつもう1時過ぎ。
おやすみなさい。
明日は今日よりもっといい日。

初めてのデート 2019.7.23

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夫の不調は相変わらずだし、私の肩もまだ治らないし、
落ち着かない毎日ですが、それでも日は登り沈みますね。
毎日、朝晩と神様仏様にお参りをするのですが、
夜は「今日一日、私と私の家族が健やかに暮らせましたこと、ありがとうございました」という時に、
「ああ、そうだ。健やかかは置いておいたとしても、どうにか暮らせたな」と改めて思うのです。

私は多分Xデーが怖いのです。
だけど、生きていくうえで、Xデーはどうやっても来る。
いろんな人と関わっていると、その数の分だけXデーを味わうことになる。
死を恐れてばかりいると、生きることに目が行きにくい。
痛みを恐れてばかりいると、そのもとになっている怒りや悲しみなどの感情に目が行き難い。
目の前のことに囚われていると、本質に気づきにくい。

どれも同じだなと思います。
人生ってほんとに学びですね。

===

さて、いろいろあっておりますが、
うちの息子も夏休みに入りました。
弁当生活が中断したので、グレ母の起床時間が遅くなっております。
アラームが3回鳴っても、起き上がりません笑
おかげで、自分のタイミングで起きることができて、ありがたいものです。

横向き寝の効果があっているのかどうかはわかりませんが、
昼の眠気はぐっと減りました。

横向き寝と同時に今、頑張っているのが、
朝起きてからと、夜寝る時の深呼吸。
腹式→肺の後ろに呼吸を入れるピラティス風→吐く時におなかを凹ませて意識を足の方に向けていく呼吸。というのをやっています。
悪くないみたい。

今日は、久しぶりにヨガに行きました。
整骨院が混んでいたので、ちょっと遅れての参加で、
40分くらい。
もちろんまだ右腕は使い物になりませんが、
他のところを伸ばしたり動かすのはとても気持ちがよく。

一カ所がダメになると、ほかのところも一緒に固まってしまいがちなので、
動かした方がよいなとこれも改めて思いました。
響く時があるのでそういう時はちょっとつらいのですけどね。

さてさて、標題の件。
うちの16歳息子です。

息子の秘密をさらすのってどうよとも思いますが、
まあ本人がペラペラしゃべるので、よいという判断です笑

というか、まだまだ恋愛のれの字も始まっておらず、
デートというよりも「初めての、異性と二人っきりでのおでかけ」でした。今日。

お出かけが決まったのは、3週間ほど前だったでしょうか。
娘と電話で話をしていた時、(うちではスピーカーホンでみんなで話します)
息子が突然やってきて「ぼく、デートがきまったけん!」っていうのです。
みんなで「は?」「誰?」「いつ?」「どこにいくん?」と質問しまくりw

高校が変わったので、新しく友だちになった子なのかなと思ったのですが、
聞けば小学校から一緒の子らしく、どこからつながったのかよくわからないのですが、
まあLINEで良くしゃべってる子らしい。
(今日のリサーチによると、小6の時に同じクラスだったらしいので、後でアルバムをみてみようかとw)

それにしても、最近の子はこういうことを家族に話するのって、普通なんでしょうか?
私はありえませんでした。
うちの父は、男友達から電話が合ったら、ガチャンと切る人だったので( ´艸`)

今日行くことが確定してからは、
息子は髪を切りに行き、眉カットもし、
昨日は三者面談の帰りに、一緒に街に出てお洋服を買い(私は財布役)、
コーディネートは万全。

一昨日、息子から「デート代を頼めないでしょうか、お母さま」というメッセージが来てびっくり。
「女の子からすれば、デート代を親に出してもらう男って引くよ?」
というと「墓場まで持って行きますので大丈夫です」という(--;
とりあえず、「貸し」ということにしました。

今日は、二人で公園のヨーグルトスムージーやさんに行ったそう。

「緊張した~!」と電話がありました( ´∀` )

とはいえ、まだまだ恋仲というわけでもなく、
さてその後があるのでしょうか。
本人は、何度か誘いたいみたいなんですが。

頑張れ~。

こういうので楽しませていただいてます、人生。
捨てたもんじゃないです、人生。

という、今日は軽めの話題でした(^^)

昨日今日のこと 2019.7.19

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外からの刺激にとっても弱い私である。

痛みについては、自分が抑圧した感情が引き起こしていることについて、
頭では理解した。
が、納得はしていない。
なんでそうなるんだろうというのがわからない。

自分のことなら、まあそうかもなと思い当たるものもある。
がそれも、全部が自己責任であるわけでもなさそうなので、
それに対しての心持をどう置けばいいのか、考えあぐねる。

あたまでは、魂が仕組んだゲームであるとか、神様の掌の上で人生を学んでいるとかいうことは言われればそうかと思う。
でも、生身の人間としての感情は、そう簡単に処理できない。

だから私は、おそらくそれを痛みとして感じることで、「生きてること」を実感しているのだろうとは思う。

でも、それを、実際痛んでいる人に「その痛みは自分の怒りが引き起こしているものだよ」だとか「魂がね」とかは言えない。

言えないほど苦しんでいる人を前にすると、
自分が痛みに対してやっとたどりついたその理論でさえ、
きれいごとに思えてしまうのだ。

===

このところ、夫の調子がまた悪くなっている。

難病2つに、原因不明のあちこちの痛み苦しみが出てくる夫をずっとみていると、
感受性の強い私はかなり影響を受けてしまう。

3年前に夫と母のダブル入院手術という状況にあい、
そのダメージのあおりで自分も身を崩したので、その教訓から、以来自分と他者の線を引くことを頑張ってきた。

2つの理由による大きな波は、現代医学によりその原因に対する対処が行われ、消去法により、随分落ち着いた波になった。
私は私で、現代医学の手も借りながら、自分に向き合うことで少しずつ自分理解をしている。
自分が、自分という肉体と意識体から成り立っていること。意識体は顕在意識と潜在意識とがあり、潜在意識のことはどうやら魂と呼ぶのが適当だろうということを認識した。
頭からのインプットからの理解と、身体の感覚、体感から納得する理解で、必死に「生きるとは」「命とは」「魂を磨くとは」等々を理解しようとしてる。

波は穏やかになったかと思えば、また寄せてくる。
いろんな波がやってくることを、私はまだよしとしていない。
いつか波乗りを楽しいと思えるといいなと思いつつ、
「どうしたら波がこないようにできるだろう」なんて、非科学的な、考えても仕方のないような壮大なことを考えてしまう。

夫の現状はというと、頭痛とめまいが主訴だ。
夫は症状がひどく出る人であることは間違いがない。
持病の一つが、痛みを激しく感じるという特性のものなので、それが関与しているのかもしれないが、今回は特にひどい。

昨日は息子と食事、買い物に行った先で動けなくなり、息子から私に電話があった。
車で行ってるものだから、落ち着くまで様子をみるしかなく、息子は仕方なく店で落ち着くのを待っていたようだった。
息子から電話があったのだが、私が行ってもどうにもなりそうにないと判断し、
店の人にお願いして、少し休ませてもらうようにお願いすることと、
様子をみて動けそうならタクシーで帰ってくること、その際お店の人には車を置かせてもらうことをお願いすることを伝えて電話を切った。

ほどなくして、2人が帰還。
ふっと動けるようになった瞬間があったらしく、車で帰ってきたと言っていた。

そんな状態ではもう車を運転させるのも怖い。

その辺は本人もわかっているようで、タクシーで動くことも多くなってきているが、
症状がいつ襲ってくるかわからないので、怖い。

息子からは「おかあちゃんが、ペーパーじゃなかったらなぁ」と責められるが、どうしようもない。

夫はこの3年で体調が著しく不安定になり、体力もなくなってきたので、足腰の筋肉も衰えている故、ふらふらすると余計に危ない。
バランスがとれないので家でもよく倒れるようになっている。

現時点で、本人は寝ていればどうにか落ち着くようだったので、
昨日は夜に3人で出かける用事があったが、とりあえず寝せて息子と二人で出かけた。
お芝居を見るためだ。

お芝居は楽しかった。
大好きなかぶり物劇団のお芝居。

息子とでなければキャンセルしていたかもしれないが、とりあえず出かけた。
何も考えず舞台をみることに集中する。笑う。しんみりする。
そういう時間がありがたかった。

介護、というほど何かをしているわけではないが、
病気の家族を持つと息が詰まるような状態が日常的にある。
私の無呼吸も、そういうところから起こっているのかもなと思うところもある。
意識からそういう不安やモヤモヤを外す機会を作らないと、
自分が保てなくなる。

息子が一緒に居てくれることは、とても心強い。

帰ると、夫は起きて風呂に入った後だった。
少しきつそうだったが、風呂には入れる。
食事は、作っていったマーボー豆腐は食べれず、雑炊を食べていた。

そして翌日、朝は寝ていたので、静かだった。
寝れるというのはいいことだと思う。
私はMTGがあったが、気になるので欠席させてもらった。
寝ている間ならとも思ったが、昨日あれだけ酷かったのでちょっと心配だった。
必要なら病院に同行することもあるかと思っていた。

11時過ぎくらいに、夫が起き出してきた。
痛みはしていないが不安定な様子。
そのうち痛みが出てきて激しくなってきた。
小言も増えている。
おなかもすくようだが、食べられない。
「何か作ろうか?食べられそうなものある?」と聞くも「考えられない」という。
とりあえずポタージュスープは作ってみたが、却下された。


夫は週3で透析に行っているので、基礎バイタルはチェックしてもらえている。
ちょっとした風邪のようなものであればそこで対応してもらえるようだが、
直接的に腎臓に関係ないものは、個別に専門医に受診することを勧められる。

夫は1ケ月近く前に、近くの脳外科に診ていただいた。
そこは割と評判のいい脳外科だ。(というか、悪い噂を聞かない。ネットでも評判がいい)
そこでの受診結果は、脳CTには異常がなく、脳血栓もない。
肩こりが原因だろうということで、漢方薬をもらって飲んでいたようだった。

昨日、「思えばそれが効いていたのかもしれない。しばらく頭痛も落ち着いてたから、そのまま放置してたんだけど」という。
「ならば、その病院に行き、再診してもらい、必要ならばその薬をもらえばいいではないか」と伝えるも、なぜかすぐにはうごかない。
痛みに耐え、「どうすればいいんだー」と言っている。

今日は夕方から透析がある。

私は病院を検索し、昼からの受診時間を確認してみる。
14時30分から午後の受診が始まり、その時は丁度その時間を回ったすぐだった。

夫から「タクシー呼んで」と言われ、タクシー会社に電話をかける。
服を着るのもすぐには着れず、靴も履けないので、付き添う。
病院への付き添いは固辞された。
とりあえず玄関から、階段を降りるところまでを見送り、
タクシーに乗り込んだのを確かめて、病院に電話をし、事情を説明した。

受付の方は、すぐにカルテを確認してくださったようで、
現在の状況と前回の受診状況、透析医の確認をしてくださった。
テキパキされていてありがたい。
前回、夫を診て下さった先生は、今日は居られず別の先生になるとのこと。
患者さんが多く、待つことになることを伝えられる。

私からは、とりあえず先ほどタクシーに乗って行ったこと、
本人かなりつらくて話ができるかわからないので、とりあえず事情説明の連絡をしたこと、
今日はこの後透析予定であることを伝えた。
「あっ、今到着されたかもです」と言われ、そのままお願いすることにした。

===
なにをどうすればいいのかというのは、正直私にもわからない。
本人の意思が強いので、本人が動くと言わないと動けないのだが、
それが命取りになることは避けたい。

母の時も夫の時も、そういうことばかりである。
私はいつも判断を迫られる。
本人の記憶や意識がないと、判断は楽だ。

が、私はどうやっても第三者であり、
それを決める第一の人間は本人だ。
その本人に代わり、判断をするべきタイミングはいつなのか。
その機会をちゃんと私はつかめるのだろうか。
その不安は常に付きまとう。

今までは、振り返ると結構ベスト、いや本人を説得してしまくって、ギリギリのところで本人が折れて搬送してきた。
この作業が結構骨が折れて、大変だ。近くにいる宿命だから仕方ないのだろうが、
ほんとに粘る人たちだ。
私は彼らに何をみせられているのだろう?

何度もこれを繰り返しやっているのは、どんな学びをしろということなのだろう?

私自身は、ダメだと思ったらすぐに専門家にお願いしようと思う方なので、
彼らの気持ちがさっぱりわからない。
看る方の気持ちにもなってよと思ったりもするのだが、
看る方は痛まない分絶対楽なんだよね。


彼らの苦しみを私が勝手に感じてはいけないと思っている。
そばに居るのが役目なのであれば、
その役目を全うすべく、じゃあどうすればベストなのだろうか、
それを頭で考えるのではなく、
つど自分の感覚で判断できるようになりたいものだと思う。

自分の判断は絶対間違いがないと、
それを信じられる自分になりたい。
不安や抑圧におしつぶされないように。

今は、ひたすら眠い。

しばらく横向き寝が随分と定着しつつあったのに、
痛みや酸素不足が続くようになっている。
これは、現実をみたくない私の逃げなのだと思う。
心が受け止めるのを拒否ってる気がする。
TMS的に考えるとものすごくあてはまる。

考えても仕方ないことなのだから、
頭も休息を取り、心の問題として
「すべてうまくいっている」と、
見えないものを信じる心持になるしかないのだろうなーとぼんやり考えている。

あったことを全部書きだしてみた。
その時の私の心情も書いた。
こうして出してしまえば、そのことはもう考えずに済む。
頭と心の中の余白を持たないと、
安心もできないし、いいアイデアも出てこないから、
まずは書いてみた。

かいてみれば、なんてことはなく、
ちょっと夫の病気が重くなっただけの話で、
私がいかにナイーブかだけが浮き彫りになって、
なんだかえげつないというかきついもの見せられるなと思うけど、
そんな自分をみて折り合いつけろということでもあるのかなーとも思う。
うう、もうよくわからない。

しばらく自己逃避しよう。

ご飯作ってきます。