ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。

昨日今日のこと 2019.7.19

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外からの刺激にとっても弱い私である。

痛みについては、自分が抑圧した感情が引き起こしていることについて、
頭では理解した。
が、納得はしていない。
なんでそうなるんだろうというのがわからない。

自分のことなら、まあそうかもなと思い当たるものもある。
がそれも、全部が自己責任であるわけでもなさそうなので、
それに対しての心持をどう置けばいいのか、考えあぐねる。

あたまでは、魂が仕組んだゲームであるとか、神様の掌の上で人生を学んでいるとかいうことは言われればそうかと思う。
でも、生身の人間としての感情は、そう簡単に処理できない。

だから私は、おそらくそれを痛みとして感じることで、「生きてること」を実感しているのだろうとは思う。

でも、それを、実際痛んでいる人に「その痛みは自分の怒りが引き起こしているものだよ」だとか「魂がね」とかは言えない。

言えないほど苦しんでいる人を前にすると、
自分が痛みに対してやっとたどりついたその理論でさえ、
きれいごとに思えてしまうのだ。

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このところ、夫の調子がまた悪くなっている。

難病2つに、原因不明のあちこちの痛み苦しみが出てくる夫をずっとみていると、
感受性の強い私はかなり影響を受けてしまう。

3年前に夫と母のダブル入院手術という状況にあい、
そのダメージのあおりで自分も身を崩したので、その教訓から、以来自分と他者の線を引くことを頑張ってきた。

2つの理由による大きな波は、現代医学によりその原因に対する対処が行われ、消去法により、随分落ち着いた波になった。
私は私で、現代医学の手も借りながら、自分に向き合うことで少しずつ自分理解をしている。
自分が、自分という肉体と意識体から成り立っていること。意識体は顕在意識と潜在意識とがあり、潜在意識のことはどうやら魂と呼ぶのが適当だろうということを認識した。
頭からのインプットからの理解と、身体の感覚、体感から納得する理解で、必死に「生きるとは」「命とは」「魂を磨くとは」等々を理解しようとしてる。

波は穏やかになったかと思えば、また寄せてくる。
いろんな波がやってくることを、私はまだよしとしていない。
いつか波乗りを楽しいと思えるといいなと思いつつ、
「どうしたら波がこないようにできるだろう」なんて、非科学的な、考えても仕方のないような壮大なことを考えてしまう。

夫の現状はというと、頭痛とめまいが主訴だ。
夫は症状がひどく出る人であることは間違いがない。
持病の一つが、痛みを激しく感じるという特性のものなので、それが関与しているのかもしれないが、今回は特にひどい。

昨日は息子と食事、買い物に行った先で動けなくなり、息子から私に電話があった。
車で行ってるものだから、落ち着くまで様子をみるしかなく、息子は仕方なく店で落ち着くのを待っていたようだった。
息子から電話があったのだが、私が行ってもどうにもなりそうにないと判断し、
店の人にお願いして、少し休ませてもらうようにお願いすることと、
様子をみて動けそうならタクシーで帰ってくること、その際お店の人には車を置かせてもらうことをお願いすることを伝えて電話を切った。

ほどなくして、2人が帰還。
ふっと動けるようになった瞬間があったらしく、車で帰ってきたと言っていた。

そんな状態ではもう車を運転させるのも怖い。

その辺は本人もわかっているようで、タクシーで動くことも多くなってきているが、
症状がいつ襲ってくるかわからないので、怖い。

息子からは「おかあちゃんが、ペーパーじゃなかったらなぁ」と責められるが、どうしようもない。

夫はこの3年で体調が著しく不安定になり、体力もなくなってきたので、足腰の筋肉も衰えている故、ふらふらすると余計に危ない。
バランスがとれないので家でもよく倒れるようになっている。

現時点で、本人は寝ていればどうにか落ち着くようだったので、
昨日は夜に3人で出かける用事があったが、とりあえず寝せて息子と二人で出かけた。
お芝居を見るためだ。

お芝居は楽しかった。
大好きなかぶり物劇団のお芝居。

息子とでなければキャンセルしていたかもしれないが、とりあえず出かけた。
何も考えず舞台をみることに集中する。笑う。しんみりする。
そういう時間がありがたかった。

介護、というほど何かをしているわけではないが、
病気の家族を持つと息が詰まるような状態が日常的にある。
私の無呼吸も、そういうところから起こっているのかもなと思うところもある。
意識からそういう不安やモヤモヤを外す機会を作らないと、
自分が保てなくなる。

息子が一緒に居てくれることは、とても心強い。

帰ると、夫は起きて風呂に入った後だった。
少しきつそうだったが、風呂には入れる。
食事は、作っていったマーボー豆腐は食べれず、雑炊を食べていた。

そして翌日、朝は寝ていたので、静かだった。
寝れるというのはいいことだと思う。
私はMTGがあったが、気になるので欠席させてもらった。
寝ている間ならとも思ったが、昨日あれだけ酷かったのでちょっと心配だった。
必要なら病院に同行することもあるかと思っていた。

11時過ぎくらいに、夫が起き出してきた。
痛みはしていないが不安定な様子。
そのうち痛みが出てきて激しくなってきた。
小言も増えている。
おなかもすくようだが、食べられない。
「何か作ろうか?食べられそうなものある?」と聞くも「考えられない」という。
とりあえずポタージュスープは作ってみたが、却下された。


夫は週3で透析に行っているので、基礎バイタルはチェックしてもらえている。
ちょっとした風邪のようなものであればそこで対応してもらえるようだが、
直接的に腎臓に関係ないものは、個別に専門医に受診することを勧められる。

夫は1ケ月近く前に、近くの脳外科に診ていただいた。
そこは割と評判のいい脳外科だ。(というか、悪い噂を聞かない。ネットでも評判がいい)
そこでの受診結果は、脳CTには異常がなく、脳血栓もない。
肩こりが原因だろうということで、漢方薬をもらって飲んでいたようだった。

昨日、「思えばそれが効いていたのかもしれない。しばらく頭痛も落ち着いてたから、そのまま放置してたんだけど」という。
「ならば、その病院に行き、再診してもらい、必要ならばその薬をもらえばいいではないか」と伝えるも、なぜかすぐにはうごかない。
痛みに耐え、「どうすればいいんだー」と言っている。

今日は夕方から透析がある。

私は病院を検索し、昼からの受診時間を確認してみる。
14時30分から午後の受診が始まり、その時は丁度その時間を回ったすぐだった。

夫から「タクシー呼んで」と言われ、タクシー会社に電話をかける。
服を着るのもすぐには着れず、靴も履けないので、付き添う。
病院への付き添いは固辞された。
とりあえず玄関から、階段を降りるところまでを見送り、
タクシーに乗り込んだのを確かめて、病院に電話をし、事情を説明した。

受付の方は、すぐにカルテを確認してくださったようで、
現在の状況と前回の受診状況、透析医の確認をしてくださった。
テキパキされていてありがたい。
前回、夫を診て下さった先生は、今日は居られず別の先生になるとのこと。
患者さんが多く、待つことになることを伝えられる。

私からは、とりあえず先ほどタクシーに乗って行ったこと、
本人かなりつらくて話ができるかわからないので、とりあえず事情説明の連絡をしたこと、
今日はこの後透析予定であることを伝えた。
「あっ、今到着されたかもです」と言われ、そのままお願いすることにした。

===
なにをどうすればいいのかというのは、正直私にもわからない。
本人の意思が強いので、本人が動くと言わないと動けないのだが、
それが命取りになることは避けたい。

母の時も夫の時も、そういうことばかりである。
私はいつも判断を迫られる。
本人の記憶や意識がないと、判断は楽だ。

が、私はどうやっても第三者であり、
それを決める第一の人間は本人だ。
その本人に代わり、判断をするべきタイミングはいつなのか。
その機会をちゃんと私はつかめるのだろうか。
その不安は常に付きまとう。

今までは、振り返ると結構ベスト、いや本人を説得してしまくって、ギリギリのところで本人が折れて搬送してきた。
この作業が結構骨が折れて、大変だ。近くにいる宿命だから仕方ないのだろうが、
ほんとに粘る人たちだ。
私は彼らに何をみせられているのだろう?

何度もこれを繰り返しやっているのは、どんな学びをしろということなのだろう?

私自身は、ダメだと思ったらすぐに専門家にお願いしようと思う方なので、
彼らの気持ちがさっぱりわからない。
看る方の気持ちにもなってよと思ったりもするのだが、
看る方は痛まない分絶対楽なんだよね。


彼らの苦しみを私が勝手に感じてはいけないと思っている。
そばに居るのが役目なのであれば、
その役目を全うすべく、じゃあどうすればベストなのだろうか、
それを頭で考えるのではなく、
つど自分の感覚で判断できるようになりたいものだと思う。

自分の判断は絶対間違いがないと、
それを信じられる自分になりたい。
不安や抑圧におしつぶされないように。

今は、ひたすら眠い。

しばらく横向き寝が随分と定着しつつあったのに、
痛みや酸素不足が続くようになっている。
これは、現実をみたくない私の逃げなのだと思う。
心が受け止めるのを拒否ってる気がする。
TMS的に考えるとものすごくあてはまる。

考えても仕方ないことなのだから、
頭も休息を取り、心の問題として
「すべてうまくいっている」と、
見えないものを信じる心持になるしかないのだろうなーとぼんやり考えている。

あったことを全部書きだしてみた。
その時の私の心情も書いた。
こうして出してしまえば、そのことはもう考えずに済む。
頭と心の中の余白を持たないと、
安心もできないし、いいアイデアも出てこないから、
まずは書いてみた。

かいてみれば、なんてことはなく、
ちょっと夫の病気が重くなっただけの話で、
私がいかにナイーブかだけが浮き彫りになって、
なんだかえげつないというかきついもの見せられるなと思うけど、
そんな自分をみて折り合いつけろということでもあるのかなーとも思う。
うう、もうよくわからない。

しばらく自己逃避しよう。

ご飯作ってきます。