ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

トラウマ? 2019.5.29

今週はなかなか忙しいので、
細切れになると思いますが、ぼちぼち書きます。

催眠ショーの続きです。

催眠ショーに行ってきた話はこちら。

miww55.hatenablog.com
自分でできる自己催眠(自己暗示)の手法を習って、
自分でやってみていたところ、
最初の方はスムーズにいくし、実際「両手両足が重い」と思うとずんずん重くなるわけですが、最後の方で「私は常に安全です」というアファメイションをすると、頭の中のおしゃべりさんがすっと来て小声で「ほんとに?」というのです。

経験がある方も多いと思います。
頭の中の思考のおしゃべり。思考にはこれまでの経験知があるので、いろいろと世話を焼いたり心配してくれるのですよね。
だから、私に危険がないように言ってくれるのはいいのですが、
それに従ってばかりいると、何にもできません。
そもそもは自身の心にある不安や心配につながって、そういう声を発しているようなので、気にしなければいいのです。
頭の中の思考達は、それでまた変化を嫌いますから、何かしようとすると引き留めにかかります。「ほんとに大丈夫なの?」「そんなことしたってさ」「むりじゃない?」等々ネガティブオンパレード。

それって、それこそ「ほんとにそうなるの?」ですよ。
だけど、真剣にお参りしている時なんかに、そういう横やりがすっとくると、もう嫌になっちゃうんです。
私はしあわせになりたいし、真剣に祈ってるのに、なんで?って。
でも、それも自分の一部からくることなんですよね。不安や心配が手放せていないのでしょう。

一生懸命アファメイションをしようとしているのに、そんなネガティブな声がする。
まあネガティブじゃなくても、思考のおしゃべりってとにかくすぐやってきます。

瞑想している時も無になってるかと思うとすぐ雑念が入ったりしますね。
そういう時に、「ああ、ダメだ。思考やめよう」と思うと思考が出てきます。思考にフォーカスしてるから。
なので、無関心がポイントらしい。
思考がでてきたら、それに気づき、「さて、次はどんな思考がうかんでくるだろう。」と気持ちを次に持って行き、また瞑想なり自分催眠なりに戻ります。
それを繰り返しやっていくと、瞑想と思考の間が0.5秒だったのが、1秒、2秒と空いてくるそうです。
思考が出なくなるのか、遅くなるのかわからないけど。
その合間の時間が潜在意識へのアプローチのタイミング。
あらかじめ、用意しておいた質問をすると、答えが出てきたりするようです。

私がやっているレゴシリアスプレイでも、潜在意識へのアプローチ方法として、思考を止めるというのは意識的にやります。
モデル(作品)を作る時に、
お題が出て、頭で考えてそれを作る、というのは、まだ思考が働いているので、なかなかその人の中の潜在的な思いは引き出されにくいのですが、お題が出ても、すぐに頭で考えず、お題を頭の中で呟きながら、先ずは手でブロックを選びます。手と目を先に使います。こちらは思考が働いておらず潜在意識が活躍中です。
感覚も含めて、手や目が先にブロックを選びます。ざくっとひとすくいブロックを取ったとしてもそれは潜在意識の恣意が働いているようです。
それらのブロックを手で組み立てていきます。これも思考を動かさずです。
先に思考を動かすと「飛行機」と浮かんだら、飛行機に似せたモデルを作ってしまいますが、それではもう形ができているものを似せて作ることしかできません。
でも、思考を動かさず、手と目と感覚に任せて作りながら、「はて?自分はなにをつくってるんだったっけ?」とやっと思考に考える許可を与えます。
お題を思い出しながら、自分が作った形は何を意味しているんだろうかと自分なりの解釈で意味づけをしていきます。そこからは潜在意識と思考(言語)がタッグを組んで考えます。

そんな風に、ほおっておけばすぐ思考は頭の中を占領してしまうので、
そこを止めると、本来の自分の思いや願いが出てくるし、このパワーは実はとても大きなもので、自分自身を動かすエネルギーの元でもあるので、ぜひ本来の自分とつながって生きていきたいと思うわけです。

理論的にはこういうこともわかっている私ですが、
それでも自己コントロールはとても難しい。
思考を止めると「今ここ」にいれるとわかっててもむずかしい。

それで、その自己催眠の時にいとうさんに聞いてみたんです。
「私、自分は常に安全です。っていうと、どこかで「ほんとに?」って言われて集中できないんです」

そういうと、いとうさんは「なんかトラウマみたいなの、ある?」と聞くんですね。

それがトラウマかどうかはわからないけど、思い当たることが一つ出てきました。
「それ、詳しく言わなくてもいいから、、、その光景を思い出したら、どんな感じ?」といとうさんは聞きます。
「胸がぎゅっと苦しくなる」
「そのぎゅっと苦しいのはなんだろうね。」
「ん~。悲しい。わかってほしい。誰もわかってくれない。孤独感」言いながらよりむねがぎゅっとしてきます。

「じゃあ、その情景を思いながら指を見ててね、、、、」といいながら、いとうさんは私の顔の前で指をふりはじめました。私は目の玉だけでそれを追います。そのトラウマ的な状況を思い出しながら。。
車酔いに似た感じで、具合がわるくなりそうです。
私にはあまり効果はなかったようですが、結構一般的なやり方なようです。
「ああ、それじゃ後から個人的にやりましょう」と
後でヒアリングすることになって、とりあえず会は終了。

後でどんなトラウマだったのかを少し話したのです。
トラウマかどうかわかりませんが、
私には幼少期に一時期記憶がない時があって、
それには後から気づいたのですが、シーンとしては実家の押し入れが浮かぶんです。そして実家。誰もいません。
父に叱られて押し入れに入れられることは何度かあったのですが、
その時の感情はありません。封印しているのだと思われます。
私は父が大好きで父親っこでした。母のことは厳しいのであまり好きではない。
そういう幼少期であると割と大人になるまで思っていたのですが、30歳過ぎにそのことを思い出したら、母親への思いがあふれてきたのです。
そして母を思いすぎて、父親に対して嫌悪感を持っていたこともわかりました。

私にとって、そのことは一旦もう解決したと思っていたことですが、
今回いとうさんに「トラウマある?」ときかれて、ひょんなことからこのことがまた出てきたということは、未解決だったということでしょう。

いとうさん曰く「しつけということで、押し入れに入れられるってことは、わりとよくあることだし、そうひどいということでもないよね。でもそのことがなんでそんなに忘れられないようなトラウマになっているか、ということに目をむけたほうがいい」。
言われれば全くそうです。

でも、それってなんだろう?

で、個人セッションを受けてみることにしたわけです。

次に続きます。