4年前にFBで書いた記事が上がってきました。
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こんな私でもやるぞと腹を括れたのは、
そんな私を自分が肯定できた状態だからできたことだったんだと、
過去を振り返ってふと思った。
当時は勢いや瞬発力でやったように思っていたけれど、
その勢いや瞬発力を肯定するものが後付けでもあったように思う。
その後「腹を括れ」と周りから何度も言われても出来なかったのは、
どうやっても自己肯定できなかった、
私自身が私はできるって自分を納得させることができなかったからなんだろうと。
思い返せば、ああそうだったかもねと思う。
だってできない自分が実際に居たんだから。
いつの頃からか、出来ない私は能力がない私。
あの人ができることが私にはできないと思う自分が増えていった。
子育てして無力感を感じ始めた時から、それは顕著になった。
きついよ。もうできないよ。なんでみんな頑張れって言うの?
なんでいつも私ばっかり。そんなのめっちゃある。
終わらない。終わらせられない。実生活にも仕事にも差し支える。
そんな状態で自己肯定なんてできるわけないやん。。。
その自分の声をできるだけ聞かないようにした。
毎回こんな思いを、そんなことないない、大丈夫って奮起しながらやってきた。
でもやってる中で不安が覗く。
できない私がちゃんとできるんやろうかって。
ほんといじわるなわるいやつ。
揺らぎながら、へたれながら、はっと気づく。
「できない私は決して悪くない」と。
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あれから4年。
1年後に大きな変化があって、
その2年後にももっと大きな波が。
気づきなさいということだったんだろう。
徐々に納得できるようになってきた。
気づきから行動に。
この時の
「出来ない私」を悪くないと認めたことは大きかった。
自分を全面的に信じるなんてところまでは全然いけていないけど、
自分の理由(事情)、身体の理由(事情)も
それぞれにあるんだと納得できるようになった。
動くことで、それがみえるようになってきた。
当時の私に言ってやりたい。
それでいいんだよ。その方向でいいよ。大丈夫だよ。
うまくいくようになっているから、信じて進むんだよって。