ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

マザーハウス13周年・福岡店10周年と私。

昨日は、マザーハウスの13周年記念アニバーサリーイベント@福岡。

www.mother-house.jp
福岡店も10周年ということで、
福岡でも開催された。

福岡店は現在の場所に来るまで、4回お店が変わっている。
当時マザーハウスは路上店であることにこだわっていたのだったよなと、
当時の写真を見ながら懐かしく思う。
初回の大名店がスライドに映ったら、胸にぐっときちゃった。

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写真は、2009年6月。山崎さんお店立ちの時に、学生たちと大名の福岡店に来店。話しをしてもらった時の物。
この頃のマザーハウスのお店づくりは、内装はすべて社員の方々がつなぎを着て、一から作ってらっしゃった。床張り、ペンキ塗り、什器づくり等々。
並べてあるバッグ類も相当懐かしい。この頃はジュートものが多かったが、今ではバッグはほぼ革に移行している。


私が大学の非常勤講師になってから11年。
現ソーシャルイノベーションオルタナティブビジネス論だった時代に、
マザーハウスが福岡に来る」という情報があったのが、1年目だっただろうか。
お店ができたら早速見に行き、店長さんに話を聞き、絵理子さん山崎さんとも話をする機会に恵まれた。
当時社会起業が流行った時代の中で、「ゼロ世代起業家」として私たちも講義の中で彼らを紹介させてもらい、学生たちともお店に行き、学生にはお店のリニューアルや移転の手伝いなんかも振った。幾人かカーペンターのようになっていたような。

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↑2009年打ち合わせ時。もうほんとにキュートすぎな絵理子さん。

昨日のイベントで、絵理子さんは「社会起業家と言われ、向かい風を受けた」と言われていた。ブームに乗って、ではなく、逆にあのブームのそういう言われようが、彼女の中では違和感以上のものだったのだというのが、昨日はっきりわかった。

昨日のイベントに参加して、肌感覚でわかったのは、山口山崎両氏の純粋な思いがより研ぎ澄まされたことだ。
私の感覚的に、ではあるのだけど。

彼らは13周年の節目に、山口山崎ツートップ体制をより強固にした。
具体的に言うと、山崎さんの代表取締役就任だ。(これまでは取締役)
これまででも、二人はマザーハウスのツートップであり、右脳左脳的な役割をお互い理解し動かれていた。
昨日のQ&Aのコーナーで、「山崎さんが代表取締役になって、何が変わるの?」という問いに、
山崎さんは「気持ちが変わった。責任をより感じた」と答え、
山口さんは「気楽になった。挑戦の根幹にチャレンジできる!もっと海外に行く。」と楽しそうに答えられている。

二人がよりお互いの強みの専門的役割を果たすことが、組織をもっと大きく強く広げることになるのだろう。そう感じた。

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2009年3月。福岡店1周年イベント。絵理子さんと初代店長、2代目?3代目?店長さんたち。

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うちの息子も、保育園児だったわ~。
この時、絵理子さんが相当お世話してくださいました。


福岡店ができたのは、マザーハウス3年目の春。
昨日、山崎さんは「勢いとノリで作った」と表現された。
東京大阪に比べ、ぽつんと遠い九州、福岡店。
マザーハウスとしては4店目の出店だったそうだ。

マザーハウス自体の経営、人の出入り、ものづくり、いろんなことがいっぺんにやってくる中で、福岡店の存在はまた独特な問題のあるものだったよう。
福岡は、東京大阪と比べると購買層もアクションの仕方も違うのだろう。私は九州から出たことがないので実感としては少ないが、例えばNPOに関わる人的数や質の違いと似ている気がしている。

マザーハウス3年目4年目の時期。
絵理子さんがバングラから帰ってきて会社関係のエクセルを見ようとしたら、
山崎さんにとても怒られたという話が印象的だった。
絵理子さんにしてみても、感覚的に数字がうまくいってないのはわかる。
それで確認してみようと思ったそうなのだが、山崎さんはそれを止めたそうだ。
偉いなと思う。


デザイナー兼社長の彼女には自由に商品を作ることに注力してほしい。という山崎さんの思いがあった。そこがぐらつけば、マザーハウスの意思を体現するものが揺らぐことを、彼はしっかり理解していたのだと思う。
この二人の役割分担は、全く門外漢的に分担されているわけではないけど、「わかった、任せる」みたいなキズナの元に彼らの中で分離されているように思える。
それはやはり学生時代から積み重ねてきたお互いへの信頼とリスペクト故なのだろうなと思わされる。

福岡店に話を戻すと、
大名→朝日会館→ラシック天神旧→ラシック天神現。と店舗の移転も問題があっての結果だと思う。

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2012年7月。朝日会館店。山崎さんに相当相手してもらう息子。

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2012年は、洋服も一時期登場。↑試着する私を「まだ?また?」とみる息子。


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2014年朝日会館



特に朝日会館からラシックへの移転の時には、
3代目?4代目?の加生さんからの提案と、それに向けたラシック近辺での地道な通行量調査によるエビデンスが移転の後押しをしたそうだ。
昨日のイベントで、ご本人からそのネタ晴らしがあった。

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2015年ラシック天神旧店

↑お店の面積が広くなり、ストール系も増えた。卒業生たちとイベント帰りにお店に。


ラシック天神の新店ではまだ写真を撮っていない!
昨日撮ればよかったなー。

昨日イベントでも山崎さんは「福岡店、続けてきてよかった。福岡に教えられた。経営者になれた」と言われていた。
福岡は人材輩出の拠点でもあるそうで、福岡を離れて東京で頑張っている元福岡店の方々は多い。
人はいろいろあった方が育つということかもしれない。
その後山崎さんとはお店でも話をしたが、「福岡に教えられました」と又言ってらした。いろいろあったことは、これまで傍から見ていても想像できるので、
具体的なことは聞かなかった。

やめる方がいいのかやめない方がいいのかの判断は難しい。
どっちでも違う道があったと思うし、その意味付けをするのは自分たちだから、
結果オーライではあるのだろうが、
「福岡店を続けてよかった」と言ってもらえると、個人的には嬉しいし、よかったと思う。

彼らもいっぱい失敗している中で、その失敗を小にとどめ、新しいチャレンジをし続け、どんどん進めていけているのは、マザーハウスがとにかく
「途上国から世界に通用するブランドをつくる」というコンセプトを中心に据えぶれないことだ。

絵理子さんは、イベントでもなんども「モノで証明したい」「お店に置くものがすべて」と言われる。
山崎さんは「すべてに思いと血がかよう会社」「何のために、というのも大事だが一緒にやる仲間が大事」と言われる。
それらの言葉の根幹が、マザーハウスのコンセプトに通じている。
絵理子さんは、商品を作るたびに「工場が強くなるトライ」をすると言われていた。
同じところにはとどまらない。同じ作るにしても売るためのみではなく、
そのトライで現場が技を身につける・成長するということをセットにして進むのだ。
これは、私たちがやっている人づくりのプロジェクトと同じだ。

私がマザーハウスに惹かれ、半ば勝手に同志的に心を寄せているのは、
彼らが、この「思いを形にする」力で進んでいるからなのだと思う。

山崎さんが言われていたが
「知らない状態だったから、できた。ノリや、とにかくやってみよう!ってのは大事」と言われる。
何年もやっていると、予想もできるし情報があるとできない情報も多くなって、
慎重になりがちだ。
知らない時よりも知ると突破力や推進力はどどどどっと勢いをなくす。
でも、そんな時だからこそ、コンセプトに立ち返り、
多少過激な動きもする必要があるのだろう。

「思いを共通する楽しさ」という言葉が、イベントで出てきたが、
一緒にやる仲間と思いを共有することって何よりも大事だなと、
私もこの数日思っていた。
思いの共有については、ずっと大事だと思ってはいるが、
そう思わない人もやっぱりいる。言葉だけではなかなか伝わり合えないことも多い。

だが、場を共にする場合は、
やはりここが一番大きく大事なのじゃないかと感じている。


山崎さんが別れ際に言っていた。
「もう10年ですよ。出会った時は僕20代でしたから。」と言われて、ああそうかと思う。
私も40代だったわ。
体や健康の変化もある。不確定な要素がたくさんの中で、気にならなかったことを気にしないといけないことも多くなる。

でも、夢をイメージを形にし共有していけば、一人ではできなくても誰かが担うことはできる。
そんなプロジェクトを、私も改めて作りたいと思った。
マザーハウスの方々には、いつも背中を押してもらえる。

マザーハウスとはからずともともに生きてきた私の10年。
また、これからも、彼らをみながら私も走ろうと思う。

夢チャレも今年度で終わった。今日で今年度終わりだ。
来年度は、また新しい動きを作ります。
そのための、いろんな終わりがあったのかもね。

で、記念に、ではないのですが、
ブラサカ仕様のバックパックを買いましたw

www.mother-house.jp

新年度、大学が始まったら使います(^^)
確定申告の戻りがあったから、、と言い訳w