ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

自分分析 2019.3.25

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たくさんの情報が寄り集まってきて、
ああ、今まで探していたのはこれとこれだった。多分あれとそれはつながっている。
そんな風に感じている。
そして手探りで、それらの実態を把握してどうつながっているのか、
自分とどうかかわっているのかを理解しようとしている。

でも、それらは頭の中で行うことなので、
自分の知らなかった自分が明らかになるという嬉しい興奮もあるのだけど、
それ以上に疲労する。
言葉が多すぎる、と感じてしまう。
特にSNSはいろんな人の投稿が滝のように流れてくるので、
必要そうなものもたくさん目にするのだけど、
それらがざっぱんざっぱんと来るのが辛い。

そういう状況にいると、結局自分を痛めつけることになるので、
私の中から不調のサインが出てくる。
特段何かしている意識は私にはないので、
「なんでかなぁ」と思うのだけど、身体は正直なので、
不安信号をいっぱい出してくる。そうなってやっと自覚するのだ。無理してる。

私のからだは超素直なのだ。正直すぎるくらい正直だ。

さすが、Highly Sensitive Person。

自分をこういう名称で決めつけるのは、どうかと思うこともあるけれど、
私はこの言葉を知り、とっても気が楽になっている。
まだ、その手の本を読みかけていて、途中ではあるのだけど、
定義されているものには、何かしらの対処が打てる、と思うからだ。
変に怖がらなくてもよい。
「正体がわかれば怖くない」と、いだてんの四三さんもいっていた。

とはいえ、まだその対処法にもたどりついてもいないのと、
それを自分の体になじませるのには、また時間がかかるだろう。

いろいろやらねばならないことも他にもあるけど、
ひとつ気になり出したら、とことん気になってしまうので、
(おそらくこれもHSPの、敏感さという気質により後から生じたい脆弱さ)
そういう時には、時間を置くとか、寝るとか、頭を使わない何かをするとかでやっていくしかない。

昨日は、ドラマ「二つの祖国」の後編を見た。
山崎豊子さん原作のドラマは、見ごたえがあるので好きなのだが、心が揺さぶられる。
大河ドラマよりもかなり短かったのでさらっと流れるシーンも多いのだけど、
やっぱりテーマがヘビーで、かつ人が亡くなる、特に自然死でないものは、かなり響く。
あれはドラマなんだよ。物語なんだよ、と自分に言い聞かせても、
私はかなり同化してしまうからだろう、苦しくなってしまう。

浸って楽しむ分にはいいのだけど、
その重い悲しい部分を心に持って潜ってしまうので、
それが本心とつながりすぎてしまう。

私の中に、どこか共鳴する寂しさや哀しさがあるのだと思う。
同調するのはその性だと思うけど、どこかでこのベクトルを真逆に転換させたい。
過去はもうないのだと、
同じようなことがあったにせよ、今後それはないと思いたい。

そのための対策は、今のところ毎日アファメイションするくらいしか思い浮かばない。
それと自分の身体の体感を思いっきり使うことくらい。

それから、自分を信じ、神や大いなる見えないものを信じること。

文字で書くと簡単だけど、これがまた。

が、頑張るけど頑張らないことやっていかねばなんだなぁ。

せめて楽しくやりたいものです。


とりあえず、モヤモヤながら、現状を文字にしてみた。
自己分析はもうしすぎるくらいしているので、そこをやっても仕方がない。
まあ、自分の位置とやるべきこをを確認する意味で。

さて具体的に何をやったらいいのかなぁ、と思いつつ、
今年は生まれ故郷に帰ってみようと思いました。
自分が思いつくことをやるしかない。
思いつくことって、自分や神様からの答えだと思うので。

叔父の施設の説明会があるので、一応それに出席する予定を組んでみました。
からだのことや家族の体調のことや、
不確定要素はたくさんありますが、
予定は決めなきゃ進まないので、まずは。

PS.後で思ったのだけど、敏感な私の癖に、私の本心はそれを許容しようとしない。
何かにこだわり過ぎたり、同化してしまいがちになるところに、警鐘を鳴らす。
思いっきりやりすぎると、体が持たないからなのか。
これは愛ゆえなのか?なんてことを思ったり。