ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

神様からのお試し?

結局3日まいり。
最初からしようと思っていたわけじゃないけど、続けて行ってしまった。
続けておまいりに行くのは、久しぶり。
モヤモヤしている時には行くべきだなとは思った。
何を祈るというのもだけれど、まずは自分が身体を動かしてお参りに行くという動きを自分で作るというこの行動自体が、思いを形にする第一歩なのだと思う。

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今日は、またもや矢が飛んできた。

Amazonで注文していた商品が、同じ番号で2つ届いた。
私はひとつしか注文していない。
全く同じものでもないようで、一つは大きめ、ひとつは小さい。
郵便やさんも同じ伝票番号なので、1つしか機械が読み込まないらしく、

会社に連絡して、受取先の私がいいならって、ことで2つ届けに来たらしい。

あけてしまうと、郵便屋さん的に戻しはできないというので、
「では私がアマゾンに連絡をします」と受け取ってはみたけど、
さてどうする。

Amazonを開いてみる。
念のため、自分の注文履歴をみてみる。
やっぱり一つしか注文していない。

カスタマーセンターに問い合わせをしてみるかと思うけど、
包みのカスタマーセンターには、郵便屋さんが電話したけど出なかったと言っていた。
ネット上ではカスタマーセンターらしきところが見つからず、
とりあえず買った商品のところから「商品の返品」をクリックしてみる。

この時点で、私はとてもめんどくさく思えて仕方がなくなってきた。
「私が欲しかったのは、一冊の本。その配達さえしてもらえればいいのに、
なんで私が返品なんかする時間と手間をかけなきゃいけないの?」という疑問と不満。

もう一つの包みをひらいてみる。
スマホのカバーだった。私のスマホとは全く違う大きさのもの。もちろん注文した覚えもないし、履歴もない。完璧な向こうのミスだろう。

「商品の返品」では、返品に関する指定がいっぱい書かれている。
以前商品を返品したことがあるので、集荷を依頼し、取りに来てもらい、返品するという流れはわかっている。
が、一つ一つが面倒だ。

「私のミスではないのに、、」やっぱり気持ちはもやもやする。

それで、先にお風呂に入ることにした。
湯船の中で、気持ちよい湯を浴びながら、改めて考えた。
なんに私はもやもやしているのか。

これは沖縄の時に私に飛んできた矢と同じ種別のものだ。
今回は、私の言葉に対してではないが、私が買った商品にくっついてきた、
とするならば同じ。
今回は直接的に責められはしていないが、
「商品を受け取ってしまい、返品をしないなんて」という自分の良心に責められるというパターンだ。

前回、私は私の「こうしたい」を救えなかった。
いろんな状態に屈することになり、帰ってきてまで随分とその思いを昇華できなかった。
「私はめんどくさいと思っている。」
「私は悪くないのに、なんで貧乏くじをひかなきゃならないの?」
「なんでみんな被害者の私に、返品しろとかいうの?」なんてことを思った。
最後の方は完全に被害者意識になってしまってる。
言い方はなんだけど、でも私にとっては、一番そこの気持ちが重要だった。
ミスったのはアマゾンさんで、私は単に受け取っただけ。
それ以上をするかしないかは、私が判断していいのではないか。

もしも、北商品が相当に高いもので、相手さんも困っているのであれば、
また違ったかもしれない。
まあでもそれであってもなくても、私はまず「ごめんなさい」と言ってほしかったのだと思う。

それで、生身の相手とちゃんと話をして、私の気持ちを伝えようと思い、
Amazonで、ヘルプ&カスタマーサービスを探し出し、チャットを申し込んだ。

チャットサービスは便利だ。
すぐに相手から連絡が来る。
私は「返品手続きがめんどうです。返品の必要はありますか?」とタイプした。
相手さんは商品を返品してほしいと言ってきた。
私はそこですぐに返事をすることができなかった。
しばらくタイプできず、ちょっとトイレに立った。
帰ってきたら、
その間に先方から、「こちらのミスで配送したので、
返品の手間や時間をおかけすることになると思いますので、返品は結構です。
商品は廃棄ください。」と返事があった。
「了解いたしました。」と返事をした。

私が間を置いたので、の処置なのかどうかはわからない。
が、問題は解決した。
Amazonのカスタマーサポートさんは優秀だ。
気持ちを汲んでくださって、ありがとうございます。

私は、今回は私を優先させて良かったと思っている。
自分の考えが社会的にいいかどうかは別だ。
私は、これまで社会的にどうかという判断で、
無理をしても自分の気持ちとは違っても世間に合わせてきた。
でも、それで私の体と心は悲鳴をあげてしまったので、
今回は、自分の思いに行動をあわせることを頑張ってみた。

大人げないことだろうと思う。
そのくらいやってあげればいいのにと思う気持ちもある。
商品には申し訳ないけど、廃棄させてもらった。

私の中の小さな私を納得させることを優先した。
これは私の中では改革だ!

試されてるなって気がする。
でも、同じわだちはもう踏まない。
沖縄で、もう終わりだ。
私は私を優先する。大事にする。

「私は私を信用したい。信じ切りたい。私は私と開き直って生きていきたい。安心して生きたい。ご縁をお繋ぎください」と神様にお願いした。
お試しというよりは、自分を信用するかどうかを自分で決める出来事だったということかもしれない。
「そうはお願いしてるけど、ほんとにそうするの?」って。

社会との誓約よりも自分との誓約。

人道的に間違っていることはしませんが。



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