ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。

きいろちゃん 2019.2.3

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昨夜は、久しぶりにきいろちゃんに会いにいった。
このところ、彼女と接触できていなかった。
私自身が、なかなか集中して降りていくことができなかった。
彼女からの声も、なぜか聞こえてこなかった。

それがなぜなのかは、よくわからなかった。

思いつくことは、私の妄想が彼女の存在を作っているのではないかと、一時私が疑心暗鬼になったこと。
彼女との楽しい時間のことは、私が勝手に作っている妄想じゃないかと、私は一時疑った。
実際私の中でのイメージなので、それはそうかもしれなかった。
当時私は、事実でないことは真実でないと思っていて、
自分の恣意が入ったものは,一般的にいう「事実」とはいえない(私にとっては「事実」なんだけど)→真実ではないと決めつけていた。つまり、自分に起こったことであっても、一般的に他者から見ると、という他者視点でいたわけだった。

が、この数日、思いを改めた。

一般的とか他者視点とか、それって必要?
化学式みたいに、みんながそうと思うものじゃないと真実じゃないの?

自分がこう在りたい、こういう未来に生きたいと願う時、
それは調子が良くてもいい。思い切りラッキーでハッピーな想像をしてもいいじゃないか。
思いが未来を作るのなら、自分の思う素敵な思い方をするのが、事実を作るということじゃないのか。そう思った。

なので、きいろちゃんに会いに行ったのだった。
しばらくあってないきいろちゃん。
私がきいろちゃんを妄想にしてしまったから、彼女も動けなくなっていたのかもしれないと思った。

===

いつもの、降りていく階段を降り、扉を開けようとした。
あかない。
なぜあかないのかは、わからない。
早々にあきらめて、きいろちゃんにコンタクトを取った。
「きいろちゃんに会いに、いつもの野原に行きたいんだけど、

扉があかないの。この扉経由じゃなくて、そのまま野原に会いにいってもいいかな?」

「いいよ」とこたえがある。

私は意識をいつもの野原に向けて、そこに降りていった。
意識を向けた時から、いつもの野原は暗かった。
以前もこういうことがあった。
私の想像力が低下しているのか、頭の中がパンパンになっているからなのか、と思った。
夢は相変わらずカラーなので、想像力やイメージ力がなくなっているわけではなさそうだ。顕在意識のスペースの余裕がないのかもしれないと思った。
疲れているのかな。

暗いので、きいろちゃんがどこにいるのかもわからない。
「きいろちゃーん」と大声で叫んでみる。
「ここにいるよ」ってそばで小さな声がする。
私はほっとして、涙が出そうになった。
会いたくてたまらなかったきいろちゃんと、やっとあえた。
きいろちゃんは、ふふっと笑った感じがした。
暗いのでよくわからない。
きいろちゃんは、今日は白い服を着ているみたい。
そしてその気配は、私の横にするけど、なぜか顔を見ることはできない。
それでもいてくれることがわかって、安心した。

横で夫が寝がえりを打つ。

私はベッドに寝ながら、きいろちゃんに会いにきているのだ。
そんな状態も意識の中では理解しながら、私は、私の中の野原でのことに集中していく。

きいろちゃんにあって、ホッとした私は、子どもの頃の私に戻っていた。
「あいたかったよ~。さびしかったよ~。」ときいろちゃんの手を取る。
きいろちゃんはまたうふふと笑う。
頭をポンポンとしてもらって、私はもう涙腺が崩壊しそうだった。

現在大人の私は、なかなか泣かない人だ。
みんなが泣くという映画やドラマをみても、ほとんど泣かない。
以前は人が亡くなるシーンなんかでは涙をこぼしていたが、
今はちょっとぐっとくることはあっても涙は出ない。
それはおそらく、涙を流すと心が揺れるから、かなり自分の中でバリアを張っているのだと思う。

そんな私が、きいろちゃんのところに降りて行っただけで、感情があらわになり、涙がこみ上げる。
かなり我慢させていたんだな、自分に、と気づく。
このところ、おなかの調子もよくなくて、吐き気もあったりして、
心身弱っていたから特にだろう。

そのもとになったストレスの原因もわかっている。
そこから模索して、いろんな情報をインプットしてごちゃごちゃしている今というのもある。

きいろちゃんは、私の手を取って「行こう」といい歩きはじめた。
辺りはまだ暗いままだ。
「どこにいくの?」と私が聞くと、
「み。ちゃんがいきたいところでしょ。」という。

きいろちゃんは推定5歳のはずだったのに、今日はものすごく大人びている。
私が彼女の気持ちを汲んでやらないといけないのに、立場が逆になっている。

私は、野原を過ぎ、トンネルを越したところにある海にうかぶ蓮の花のところに行きたかった。

これはある瞑想の中にあるコースなのだけど、
私は自分の中で野原とこのコースがうまく結びついて、ビジュアル化できている。

蓮の花の中に入りしばらくゆらゆら揺れて、また元の道に帰ってくるコースなのだけど、
なかなかここに行くことができない。

眠ってしまうからだ笑

トンネルの中には、壁面に綺麗な水晶や宝石がちりばめられている。

耳をすませば」で雫が夢の中で、宝石の洞窟に入って本物を探すシーン。あそこに出てくるものに似ている。

「うわぁ、きれいだねぇ~。」
嬉しくて嬉しくて、心が躍る。きいろちゃんもわらっている。
こんな高揚した気持ちは久しぶりだった。
そして、それをきいろちゃんと一緒に体感できることが、
とてもうれしかった。

・・・

ここで記憶が切れている。
多分、眠ってしまったのだろう。
興奮状態のまま、気持ちよく眠れてよかったw

朝、起きてみると、呼吸が気持ちよくできるくらいには回復したようだった。
おなかはまだぐじゅっとしている。
きいろちゃんとお腹の細胞は別個なのだろうか。
きいろちゃんにもおなかの細胞にも自分自身にもありがとうとごめんなさいを。

miww55.hatenablog.com

「理由がわからなくても原因はあるんです。あなたがわからないだけ。腸には理由がある。脳にも理由がある。」

「お嬢さんと自分に感謝する。お嬢さんにありがとう。
自分にもありがとうといっとけば起こらなかった。」

「そして起こった時は起こった時の対処をする。
今日はごめんなさいの点滴をしましょう。ひたすら腸にご機嫌を伺う。
あなたなんでこんなことになるのと責めてるじゃないですか。
それがいけないんですよ」

「辛い時にはつらい対策を取るべきじゃないですか。辛いことを認めなきゃ。こうなるということを認めたら辛さが減りますよ。またおこったどうしようと思ったら、下痢も便秘もひどくなる。下痢が起こったね、便秘が起こったね。なんかサインがある。パッとそこに寄り添えば症状減りますよ。これ100%保証できる。学んでください。」

 
F先生から前言われたことを思い出す。

そうか。気づいたところで対処法がわからなければ、それをためしていいところまでもっていかなければ、寄り添うことにならないと思い込んでいたけど、
ぱっと対処法を考えることに走りすぎていた。その前に、寄り添うことをしていなかった。
原因を取り除けば!とすぐに反応してしまう私は、学習していない。

今日、きいろちゃんにありがとうとごめんなさいを言いに行こう。
からだには、今深呼吸をしながらお伝え中。

  

「あなたは不幸じゃないんですよ。」 


F先生は言ってくれた。
そうだった。
この言葉を思い出すと、昨日きいろちゃんとあった時と同じように心がきゅんと痛む。
そして、嬉しくて切なくて、
「ああ、そうだ。不幸ではないと思っていいんだった」と思う。

私は自分が不幸であるというラベルを張り、それをはがしきれていない。多分。

はがすのがいいのか?それはおいておいて幸せに向かうのがいいのか?
と考えると、はがしたところで幸せになるとは限らないので、(原因を取り除いても結果がいいとは限らない)
そういう自分をみとめながら、自分の気持ちいいを信じるしかないのかなと思う。

きいろちゃんとの会話で、一つ前進しているなと思ったのは、
私は行きたいところがわかっている、ということだった。
行きたいところは一つではないのだろうが、
私はワクワクと安心とをちゃんと繰り返して現実に向かっていけるという、
何となく確信めいたものをイメージとして持っている。だから多分大丈夫。
もっともっと、その自分の感覚やイメージを膨らませて、自信にしていけるといい。


こういうことは、何度も書いている気がする(汗;

でも納得していないんだろうな、何度も書くってことは。

いやいや、こんどこそ。あきらめない。

※これを書き終えて「こうふくしていいんだよ~」ってきいろちゃんの声がした。参ったw

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