ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

お弁当づくりの話 2019.1.30

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今日も引き続き、おなかの不調。
朝起きた時にはそうでもなかったのに、徐々に「あれ?もしかしてよくない?」という感じ。
でも、今日は母親を病院に連れていく日。動けるからどうにかなるや~と思って、行ってきた。歩くのはきつかったので、行き帰りはバスにした。


行きは、バレンタインデー仕様のバス。
かなりな物量の愛があふれている( ´艸`)
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さて病院から施設に連れて帰ったら、私のおなかがじくじくっとした。
本当は、もう少し話をしながら、マッサージをしてあげたかったのだけど、
私の身体的にはしんどい。心の中でごめんなさいをして、「おなか痛いけん、今日は帰るね~」と帰ってきた。
私が声に出して「ごめんね」といえば、母は逆に気にするだろうと思った。
言ってみないとわからないことだけれど。

帰りのバスはスムーズに来た。
そして、またバレンタインデー仕様のバスだったwww

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ついている、のか?笑

===
今日はお弁当の話。

4月から息子が高校生になって、毎日お弁当が必要になった。
中学までは給食があって、楽をさせてもらった。
ということで、最近の私は毎日お弁当を作っている。
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↑最近のお弁当。

「私はいつから弁当を作っているんだ?」と、今日お風呂の中で考えてみたら、
一番最初は、娘が小学校一年生になった学童の夏休みだった。

小学生女子の弁当は、弁当箱自体が小さいので、おかずをいっぱい入れようとしても入らない。なので、小さい単位でおかずを作るのが手間だった。
でも私は種類がたくさんある方が好きなので、頑張って入れていたな。
といっても、量が量なので、晩御飯のおかずをちょっと取っておく作戦でほぼ事足りた。たまには冷食も使った。
子どもたちの中でブームがあって「グラタンにおみくじがあるやつ」が流行ると、娘も持って行きたがったので、そういう要望にはできるだけ答えた。

懐かしいな。

さて、お弁当作りを再開した私が、決めていることは3つほどある。
作り続けるためのポリシーみたいなもんだ。

1.手作りにこだわらない。
私は料理が好きだし、家族には美味しい健康的なご飯を作りたいと思っている。
でも、毎日の食事づくりは、自分が負担になるとアウトだと思ってる。
なので、作ることを頑張りすぎないことを心掛けている。
負担になると、料理や空気に伝染しそうな気がして。
結果的に家族に害のあるご飯を食べさせることになるのは、嫌だ。

子どもが小さい頃は時間にも追われていたし、思う以上に頑張って作っていた。
品数が少ないのが嫌だった。
これは自分が品数が多い方が好きで、食事のバランスも取れるから、つい作ってしまうことからくるのだけど、
品数が多いということは料理の時間がかかるということで、
これは結局自分の首を絞めることでもあった。
少しずつ品数を減らすことには成功したが、
それを自分に納得させるのに7年くらいかかったかな。

で、弁当もそう。
そもそも、弁当を作るという手間が一つ増えるわけだから、
手作りにこだわって、自分の健康損なっても意味ないじゃんって思った。
娘の弁当を作る時から、これはそう決めている。
なので冷食も使う。お弁当用のミートボールなんてのも買う。

2.朝作ることにこだわらない。
これは、この4月から、息子の高校生弁当を作り出してからだ。
高校生は朝が早い。特に福岡の公立高校は朝補習、つまり0時限があるのだ。
7時前には家を出ないと間に合わない。
私の母も、弟の高校が遠かったので朝4時起きとかしていたらしいが、
そんなの私には無理。
朝がまるで起きれない。
7時でも厳しい私が、そんなことをしたら、やっと治った体調がまた狂う。
友人の助言もあり、
夜に作っておく作戦にした。

これを始めるには、ちょっと自分の中では葛藤があった。
「お母さんが早起きして、出来立てのお弁当を持たせて送り出すことを美徳とする」という理想のイメージが私の中にあったからだ。
というか、そういうのが正だという思い込みがあったのだ。
この理想のイメージは、顕在的ではなかったが、自分の体調を優先しようとする時に出てきて、自分の中ではすぐには踏み切れなかった。
「いいおかあさんじゃない私」になるのが怖かった。そうみられたくなかった。

でも、息子はあっけらかんとしていて、「夜弁当作るのいいよ」という。
「おかあちゃん、朝全くおきれんかもしれないけど、その時はご飯も詰めていってね」というと「OK~」
てな感じで、弁当作りはとりあえず毎日進んでいる。

私も随分体調も落ち着いてきて、朝起きれるようになってきたので、
おかずは相変わらず晩に作って詰めて、冷蔵庫に入れておくが、
朝起きて温めて、ご飯は朝から詰めて、お弁当だけじゃ足りないらしいので、おにぎりも作って持たせている。高校生男子はよく食べる。
娘の高校時代は、小さい弁当箱でも食べきれないからと言っておにぎりにして、
最終的にはもう要らないとなった。

彼女の場合は、お友だちと自由に学食やお店やに行きたかったみたいで^^

話は今に戻るが、
ちなみに、朝ご飯にはまだ私は起きれないので、朝は夫が息子に食べさせてくれている。

1と2は、つまりは、作ることを無理しないということ。
これは、肝に銘じている。
自分を優先しないと、誰も幸せにできない。


3.美味しく食べてる顔を想像して作る。
これは、今日初めて自分の思いを言語化した。
私の原動力がこれなのだ。

今日、息子は学校を休んでいた。
私が弁当を作った後に、喉と頭が痛いと言い、休みを決めたようだった。

私が母のところから帰宅して、しばらくして息子が起き出した。弁当を食べるというので、付き合ってしゃべっていた。

見てると、この人、本当に美味しそうに食べるんだ。
ちいさいころから食欲は旺盛で、よく食べる人だけど、
「うまっ!」とか言いながら、にこにこもぐもぐしている。
そういう姿をみてると、作った本人じゃなくても嬉しいものだ(本人だけど)。

今日の晩御飯はまた特にお気に召したようで、
「鶏の照り焼きおいし~!この炒め物も絶妙!
で、こっちのおかずがちょっとさっぱりしてて合うんよね」
「おかーちゃんの作る味噌汁は、めっちゃご飯に合うんよね~」
と絶賛された(笑)
病人とは思えない。

娘も美味しい顔で食べる子だったなーと思い出し、(娘は家を出ているので過去形)
私はこどもたちの美味しい顔に救われて、ご飯作りをしてきたんだなぁと、今日気づいたのだった。
いや、そもそもそれがあったから頑張って弁当を作ってきたので、
そのもやっとした思いを、やっと今日、言語化できたのだった。
美味しそうに食べてくれる存在は、大きい。
私の力になってるんだなぁとつくづく感じた。ありがたいものだ。

美味しい顔がみたいから、彼らの好きなものは意識して入れている。
苦手なものは極力入れない。体にいいものでも入れない。

お弁当の時間に苦手なものがあると、テンションが下がるからだ。
逆に好きなものがあれば上がる。それは自分の経験でよくわかっている。
私も高校の時に母にオーダーしたのは「おかずは何でもいいから、おにぎりとたまご焼きだけは入れてください」だった。
おにぎりとたまご焼きがあったら、私は幸せな人だった。
好きなものがあれば、苦手なものでもカバーできた。

ここまで書いて、
まあ、こだわりのあること!と自分で思った。

でも食べることは生きること。
食べることは、人生を豊かにすること。

だからこそ、こだわりすぎずに、こだわることが大事かなって思う。

こだわりは、強すぎないこと。

こだわりたいけど、こだわれない時には、あっさりあきらめることも必要。

ということで、今日は終わり。やっぱり長くなってしまった。