ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。

「好き」が自分の居場所を作る。2019.1.22

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今日は、整骨院ピラティスの日。
昨日、PC前にかじりついてしまったものだから、右肩と腕がちょっと痛い。

まずは、整骨院に行くと院長先生がついてくださった。ラッキー。
この先生、ゴッドハンドなのです。
なにがどうなっているのかよくわからないうちに、痛みがなくなっていく。
不思議だ。

ピラティスでは、じっくりストレッチ。
整骨院併設のスタジオなので、横流れwの患者さんが多く、私もその一人。
それゆえもあり、ピラティスと言ってもかなりレベルの低い感じで、先生が根気強く教えてくださる。
笑いとおしゃべりの中でやるので、有酸素運動にはなっているのではないかと勝手に思っている^^;

今日はこんな感じ↓

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つい「修行・・・」とつぶやいてしまったら、先生にしっかり聞かれてしまっていたw

筋肉が縮こまっているので、それを伸ばすと痛い。気持ちいいよりも痛い。
それでも終わった後に「座骨が立つようになりましたね♡」と先生に言われたので、できるようにはなっているみたい(自分じゃいまひとつわからない)

1週間に1回なので、現状維持+αになるかならないか程度なのだろうが、しないよりまし。かつ日常生活は意識的に暮らすようになっているので、長い目でみることにしている。こんな自分育ての場所を、私は結構気に入っている。

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さて、今日は、好きなものの話。
昨日の私の小さな宝箱の話に近いかもしれない。

今日のいばや通信。さかつめさんの言葉にこんなことが書いてあった。

==(引用”がうまくいかないので、引用ココから)
実は、花屋に行く前は体調不良もあって気分が落ち気味だった。俺はなんでこんな生き方しかできないのかとか、欧州にまで来たが行きたい場所なんて何処もないとか、日本に帰ったところで居場所はないとか、生きる意味とか、愛とは何かとか、深刻になりがちになって閉塞感に囚われていた。が、花屋を見た瞬間にそういうことがどうでもよくなった。自分は花が好きだったことを思い出し、自分の好きを思い出すことで元気になった。居場所がどうのこうのということがどうでもよくなった。花がある世界を好きになり、花を渡したいと思う人がいる世界を好きになり、居場所とは特定の具体的な場所を意味する言葉ではなく、精神の問題なのだと判明した。感情は一瞬で変わる。居場所とは、何かを「好き」だと思う自分の心だ。
==(引用ココまで)

ibaya.hatenablog.com


ちょっと引用が長いんだけど、一部だけ切り取るとどうも伝わらない気がして、

そのあたりの一文を全部引っ張ってます。

気持ちが落ちて、変な思考ぐるぐるの時に、はっと好きなものを見る。

坂爪さんの場合は花屋だった。それを見た時に、

ぐるぐるぐちゃぐちゃ思っていたことは、どうでもよくなった。

花を好きなことを思い出し、自分の好きを思い出すことで元気になる。

まさに昨日、私が書いた小さな宝箱の効果と同じことだと思う。

居場所とは特定の具体的な場所を意味する言葉ではなく、精神の問題なのだと判明した。感情は一瞬で変わる。居場所とは、何かを「好き」だと思う自分の心だ。

これいい言葉だな。
自分の「好き」が自分の居場所を作る。
ここでいう居場所は、社会や組織の中でではなく、自分の中での意識的な「居場所」だ。自分がここに「居る」という、その「居場所」なのだと思う。

自分がここに居るという感覚は、実は生きる上でとっても大事なことに思う。

私はちょっと前まで「私って存在してていいのだろうか」と、マジで思っていた。

自分の存在価値に自信がなかった。
おそらくそれは、小さい頃からの、母の胎内にいるころからの不安だったと思われる。
今更それを言ったところで仕方ないこともわかっているが、
自分の中の空虚さ、不安、自信のなさが自分の中でどうしても消えなかった。
これらの存在が大きいのは、自分がここにいてもいいと言える強さを自分のどこにも見いだせていなかったからだ。

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だから私は決意した。
自分の五感を感じ、信じていくしかないって。
それが正しいかどうかもわからないけど、今私が信じられるものは、

自分の身体から湧き出てくる感覚と感情しかないから。
特に感覚を信じていくことに出来るだけ注力するようにした。

それがこの1か月くらいのこと。


不安定な時はたまにやってくるが、そういう時は大きく深呼吸して完全呼吸をすることにした。

私の小さな宝箱を覗きに行くことにした。

大好きなチョコレートを口に含むことにした。

美味しい紅茶を入れた。

そんなことをしながら、私は自分の心の中に居場所を作っているんだなと、
今日、坂爪さんの文章を読みながら、思った訳だった。

ふと気づくと、自分の中の空虚さ、不安、自信のなさはだいぶ小さくなっていた。

なくなりはしていないが、あまり気にならなくなっている。

なくなそうと躍起になっている時は、気持ちがそちらに向いているので、

逆にこれらがモンスター化してデカくなっていたように思う。
今は、それよりも自分の「好き」「心地いい」に向かう気持ちの方が大きいので、

しぼんでいるのかな。

自分の中の空虚さ、不安、自信のなさも私の中からでてきた私の思いだ。
それが出てくる理由だってある。
そんな私の「だってさ」って思いも、私は嫌いじゃない。むしろ愛らしい。

だから無碍にしたくないのだ。

私は、頑張る人は無碍にされちゃいけないって思っている。
これは私が思う、理想の社会の在り方だ。

ずっとこの思いは持っていたのだけど、そうか。

これは私自身の思いに対するものでもあったんだ。

いつの日か、これらの思いも懐かしく、

私の小さな宝箱の中に入れられる日がくるといいな。