2-2.危険な場所への接近
さて、沖縄らしい自然を満喫したあとは北上し金武に向かう。
日秀上人が創建された観音寺。
日秀さまは、熊野から補陀落渡海されたのですが入定に失敗し、生きたまま沖縄に流れ着き、小日で熊の進行を広めるために観音寺を開いたと言われています。
(諸説あるそうです)
熊野で後ろの方々を「極楽浄土下見ツアー」に送り出した時、その先達をなさったのが日秀さまなので、熊野後から気になる方でした。
今回私が沖縄は熊野とセットであると思っているのはこういうところにあります。
沖縄に来て、初めて仏!って感じのお寺を見た気がする。
ひとしきりお参りをして、すると時間外なのに鍾乳洞見ます?とお寺の方が明けてくださり鍾乳洞に。
この鍾乳洞が、日秀さまが流れ着き修行を始めた地らしい。
イザナミノミコト、ハヤタマオノミコト、コトサカオノミコトさまが祀られているそう。その後ろには布袋様も置かれてありました。
鍾乳洞自体はなんて感じるものもなく、でもなんだかモヤモヤしながらお詣り。
上がってくると、ぞわぞわ気持ち悪い。なかなかこれきつい。
育子さんに言うと、「修行の場だから受け取っちゃったんでしょうね」とのこと。
「大丈夫。自分で取れます。背中をパかっと開けた感じで息を入れて腰まで入れて、吐きましょう」
やってみるも、せなかぱかまではいくも、腰まで息が届かない。肺から胃腸までが関の山。
「最初はそれでもいいですよ。でも自分でこの気持ち悪いのは取れるんです。頑張ってやってみましょう」とヘルプしてくださる。
でも時間切れで自分じゃできなかった。
ひとつづつやっていくしかない、と育子さんが言われる。
薄板を踏むように、少しずつ自分のできたを積み重ねていくしかないと。
正直なにをどうすればいいのか、肺から下まで通る気がしないけど、それでも何度でもやるしかないのか。
ここでもものすごく孤独感を感じるけれど、みんなそうしているのかな。
胸がドキドキする。
こんなことじゃ、いきていけないじゃん。
まあ今始まったことではないけど、あちこち行くにはこの体は危険すぎる。
だからと言って動かないと話にならない。
どうすりゃいいのよ。
育子さんのヘルプもあって、随分落ち着いてから車に乗った。
日秀さんのところだからという安心感があったのか、
ああ、そもそも熊野系だしな。
でも、ほんとこの受ける体質どうにかならんのか。
引きこもらないようにバリアを張るってことを、
上手な形でできるといいのだけど。
危険な場だから近寄らない、って警告がもっと前に来るとか。
なかなかに難しい。
さて、最後は金武の大川(うっかがー)。
ここは残波岬で地下に潜った龍脈が再び地上に出てくるポイントだそう。
たくさんの湧水がジャージャーと流れ出ていました。
ほんわりとした場の空気と対照的に水の量がすごい。
水場からは影響を与えられることもあるけど、基本水場は好きです。
流れも好き。
この龍の流れのように、流れて循環できるといいなといつも思っています。
思うようになっていないのはなぜだろう?
何が問題なのだろう?
そこは私にはまだよくわかっていません。
夕暮れ時に、少し気を取り直して、その空気感を気持ちよく感じていました。
育子さんが「ここはみ。さんにも気持ちがいいと思いますよ」と言葉をかけてくれる。
いい場所でした。
念珠が水をかけてほしいって感じだったので、ばしゃばしゃと。おばあちゃんのリングも水を浴びて嬉しそうでした。