既に息切れ気味ですが、これからが長いので頑張って書きます。
今日から2部。
2.イニシエーション
2-1.仲間 敵対者
さて2日目。1日目の夜は、ホテルになんか来たみたい。
イヤホンして寝ていたら、いきなりブチっと音がした。
そんなことはこれまであったことがない。
でも、眠かったし嫌な感じもそうしなかったので、そのまま寝た。
先達さんのところにはもっと大変なものが来ていたらしく、
かなり格闘されていた模様。お疲れ様です。なんだったんだろう。
2日目は、遠方に行くので早めに集合。
最初は浦添市の「浦添ようどれ」。
沖縄の史跡は、名前を聞いてもそれが何であるのかが全くわからない(私には)。
ここ浦添ようどれは、琉球王国の初期のお墓だそう。
英祖王と尚寧王のお墓があります。
首里の王なのに首里の横の玉陵に葬られていないのは、いろいろドロドロとしたものがあったからなようです。
尚寧王は、捕虜になり自ら志願して徳川将軍に会いに行ったといわれています。
いろんな人を介して嘘が流れて行ったことを危惧して、自分が直接会い話をすればわかると自ら動いたその姿勢を私たちは学ぶためにここに行ったのかもしれません。
ここには奥様も祀られています。
お菓子とお酒をあげ、祈り、おさがりをいただきます。
朝からお菓子とお酒ですw
私は昨日の首里城でのことがあったので、その思いを話し、覚悟を決めて進んでいくには一人じゃなくパートナーがほしい。どうすればいいか教えてくださいとお願いしました。
次は残波岬に向かいます。
こちらは自殺の名所でもあるらしく、それを聞いた私はちょっとビビっています。
先達さんが言われるに、「ネガティブなことを思えばそういうモノが出てくる。ポジティブなものを思えばそういうモノが出てくる。そこにネガティブばかりがいるわけではなく、その思いに呼応したものが出てくる」とのこと。
そりゃそうだなと思いました。
なんでここに巡禮記で行くのかというと、ここは地球でも最も大きな龍脈が
地下に潜る地点だから。
日本列島を東京まで突き抜けていく大きな龍脈の根本に立って、
自分を見つめ直してみようという趣旨です。
もうひとつ、西之神御嶽があります。こちらは祈念所的な位置づけのようですが、
海が岬が神のようなものであり、この御嶽はその受付みたいなものなのかなと感じました。
こちらでもお菓子とお酒を上げ、お下がりをいただきます。
朝からお酒で調子が上がってきます。
東の御嶽も崖の下にあるらしいのですが、普通はなかなか行けないところなのだろう。
男性チームがチャレンジしにいってましたが。
岬はきれいで気持ちのいい場所でした。風が強いから波がざっぱーん。
みんなは壁の上に登っていました。私も登る?と誘われましたが、
かたくなに固辞しました。
登りたいと思う時もあるけど、その時の私は嫌だったんです。
怖いというのはその時にはありませんでした。
が、私は登らずじっと見ていたかった。
安心な場所の方がじっとみられるというのもあるかな。
私の中には、いきなりの衝動があります。
海を見ているといろんな青と白がいっぱいでとてもきれいです。
もうここに入ってしまえ!みたいな衝動が私の中に出てきそうな気がして、
でもそれだけは止めなくてはならなくて。
みんなで並んでわ~って言いながら見る波は、松竹の映画のOPみたいでカッコよかった。
下から暖かい風が。龍穴ではないものの、表に出ているものだけではないパワーがあるんだということを思い知らされます。
次は浜比嘉島へ。結構遠いのでその途中のファミレスでごはん。
私はあまり食欲がないので、一番軽めのネギトロ丼を。
いろんな話をしていると、突然育子さんに心配される。
どうやら私の中の何かがそれらの話に反応しているらしい。
またかぁ。
思う以上に、私は沖縄という土地や参加メンバーの方の話を体感しまくっているようだ。
今回のメンバーは、今回だけではないけれど巡禮記に参加する方々は、自分の人生に自分でどうにか蹴りをつけようとしに来ている人たちで、それぞれに接点がないようにみえて、何かしらその方々の姿勢や経験や祈りに刺激を受けることは多い。
そこから仲良くなる方もいる。
正直なところ自分のことで精一杯なこともある私は、自分から積極的に仲良くなる行動はしていない。自分の身体の性質を知っているので、変に首を突っ込むと対応できないくらいのものをもらうことがあるから。
なので、自重していたつもりなんだけど。
まあ性格上気になるんだよね。それはわかる。
2日目は慣れもし、移動距離が長いので、車中の会話も盛り上がっていた。
なかよし号は順調で、AさんのパートナーのYさんが運転をがんばってくれている。
なぜか私はAさんたちの次くらいに古いメンバーになるらしく、昔の先達さんの話をAさんに振られて話をしたり。
こういう空気感があると、人を信じてしまう。
基本私は性善説で、和を重んじる。
気持ちのいい場を創ることに意識が向く。
気持ちのいい場は、そこから相乗効果も生み出す。なにより安心安全の場は個々人に幸せ感とゆとりをもたらす。
だから誰と過ごすかってとても重要だ。
浜比嘉島は、陸続きで行ける島。でも潮が引いていることが条件だ。
アマミチューに渡る時潮はひいていて、のんびりお詣りすることができた。
この小島は女性。母を意味します。
母を思い、母である自分、そして子を思いながら、その真実を改めて感謝として祈ってみます。
行く前は熊野の神倉さんのイメージだったが、全く違った。
もっと何でもありな感じがした。開けている。
対してシルミチュ―は父。
こちらは鳥居があり、整備されたまっすぐな階段があり、拝所は柵でおおわれているところ。
そこが残念でしたが、長い歴史の中ではそういうこともあるのでしょう。
父と言えば、前の日に父と対峙した私は、ここでまたお参りをしてみました。
昨日、父と一緒にとお参りしたけど、なんかそれも違うかなという気もしたことを話しました。父は亡くなり、現世には私が生きていて、パートナーシップは生きている人ととらなくてはならないのではないだろうかと思いました。
父と母はセットでなくこうして分かれて祀られていることに、違和感も感じます。
政治が絡むとこうなってしまうのか。
また若干の怒りのような憤りを感じます。
男性社会の嫌な部分は私に怒りを感じさせます。
それでも、この島で見る自然はとてもここちよかった。
南国ならではのマングローブや(初めて見た)、草花や途中で蝶がひらひらと飛んで来て、何かを伝えようとするかのようにしばらく私たちの気持ちを和ませてくれました。
私の心は、今回自然にかなり救われていたように思います。