ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。

ヒーローズジャーニープロットで振り返る巡禮記 沖縄 1-4.賢者との出会い

1-4.賢者との出会い


ぐちゃぐちゃになっている思いを受け止めていただいたのは、今回の先達の育子さんだ。
巡禮記には宿題がある。今回は表まんだら裏まんだらを書いてくるというもの。
もしかしたら、それができないかもしれないとも思ったので、育子さんに状況説明してみた。

「沖縄ツアーは、「嘘を追い出す旅」なので、身口意の一致、こころ、考えてること、口に出す、書き出すこと、行動や受け取るもの、与えるもの、が揃っていくことがメインの祈願になってきます」と育子さんに言われていたのも気になっていた。
私はここが揃っていないことも気になっていて、でもどう揃っていないのか画わからなくて、ここを出立前にじっくり見ようと思っていた。
でもその余裕がなくなってしまった。

育子さんからはこんな言葉をかけてもらった。
「沖縄ツアーはお申し込みの時点から始まっているので、

自分自身の気持ちに嘘がつけなくなり
いろんなことの整理を一度してみたくなったり、
思い切って自分の望む方向がなんなのか、決断をしてみたり、

何かの決断について、自分としてどう対応するか?を感じたり

という流れが起きやすいです。


それも自分が望む、自分の心を大事にする方向にむかって勢いが増してくるので悪いことでは決してありません。」

確かに、この一件があって、私は自分がどれだけこの手のプロジェクトをしたがっているのかまたよくわかったし、苦渋というかこの差し出された結果について、自分はどう対処するのか。受け入れなくてはいけないということの先の話として、どう対応するのかを考えざるを得ないわけで。

何度も言ってもらったのは、
「起きてくることに対して、いまは心の反応がぶわっと
出てる時なのでどうぞたくさん感じるまま止めないでくださいね。」ということだった。

「怒りとか、不安定さ、理不尽さ、悲しみ、非力さみたいなものは、しっかり感じてね。

落ち着くまで、感じてそのみ。さんも大事にして。

落ち着いて、私の人生に起こってることだからきっとなんかもっと素晴らしいカタチにたどり着くんだ、なんて少し思えてきたら、ご自身が「理想」にしてきたポイントを書き出したりしてもいいと思いますよ。

もし、書けそうなら裏まんだらに愚痴も怒りも悲観も出して書いてみてくださいね。書き出してみるだけでも、すこしおちついてきます。」

 

裏まんだらとは、表の思い(欲→願い→祈り)という流れの中にあるのだけど、言語化しずらく秘められた感情の部分を出し切るシートだ。
マトリクスや関連性の図ではないので、思いついた言葉をシートに書かれた内容に沿って書き出していくだけにはなるが、吐き出しにはよいと思っている。
が、顕在意識に出てきているものしか言語化されないので、自分的には抜けがあってもわからないなぁと思っている。


育子さんからの言葉には、怒りに対してのことが多い。
「今は怒りがそのまま怒りとして出せる、み。さんの心の窓口を
いっぱい作ってあげてください。
どうして怒ってるの?なにが悲しかったの?本当にわかってほしいことはなに?と聞いてあげてくださいね。
裏まんだらはその窓口の1つです。
み。さんがみ。さんの声をいつでも窓口を設けて聴き、

それを大切に育みながら現実の望むビジョンにトライしていくとき、

その努力が砂上の楼閣でもきっと怒りは湧いてこないと思います。

落ち込んだり、あーあ!って思うだろうけど、自分の望んだ選択に自分自身であることをぶつけていけるのは幸せだから。


頑張っても認めてもらえない、とか、

努力関係なく理不尽に道を崩される、という怒りは、

子どもの頃から今までのどこかで、

パターンとして思い込んできたものかもしれませんから、

ここから、また
なにが幸せか、を見直していくチャンスなのかもしれません。」

自分の望んだ選択に自分自身をぶつけていけるのは幸せだから、何があっても怒りは湧いてこない、と育子さんは言う。
そこがまだ腑に落ちない。
怒りを自分に向けたこともある(先日それがすごかった。ものすごく自己卑下の絶頂(絶底?)に陥った)が、自分が解釈できないことには怒る、自分で決めたことは納得しているからということかな。
なんとなくわからないでもない。
私が怒るのは、その怒りの原因が、自分が向かいたい方向と自分の望みとは違う、排除したいものだからなのだろうか。

それなら自分の中にある思いを大事に育んでいけば、その思いすらも許容できていくということなのだろうか。

思う以上に、私の「怒り」は根深い。
それにまたこの沖縄巡禮記で気づくことになろうとは、この時は夢にも思わなかった。