1-3.冒険への拒絶
巡禮記沖縄ツアーのテーマは「あなたから嘘を追い出す旅」となっている。
私の中の嘘とはなんなのか。
1-1で書いたように、私は自分の本心で願っているようで、
実はその奥底には絶望や悲しみを持つふてくされて拗ねた自分を持っていて、
本心と思っているものの皮をむけばその中に震えるような小さな自分が居るんだなと思っている。
本心と思っているものが嘘なのか、まあ本当の私がその震えるような子であれば、
その本心は「もういやだ」とか「なんであたしばっかり」とかいうことを言うだろう。でもそれが本当に本心なのか?
その辺もよくわからなくなってくる。
何度書いてある言葉を追って行っても、
沖縄ツアーで私は何を祈るのか、何をしに行くのか、自分でも言語化できなかった。
熊野の時は、巡禮記座学の時に須佐さんから黄泉の国の話を聞き、
「熊野に行けば私が知りたかったこと全部わかるじゃん!」と思って行った。
そのために行くという心づもりができていた。
でも今回の沖縄は、その辺がびしっと決まらない。
家族に了承を得るにも熊野なら知名度もあるし、
「熊野三社にお参りに行く」なんていえばわかりやすいのだけど、
沖縄の場合、祈る場が神社とも限らず、
というか神社は少なく、とても説明がしにくい。
私がぴんときていないので、余計に人には伝わらない。
しかも「嘘を追い出す」なんて言葉は、またスピっぽいので使えない。
まあ私にとっては、熊野で後ろの方々を「極楽浄土下見ツアー」に送り出したその先である金武の観音寺に行くことは、熊野ツアーのオプショナルツアーでもあると思っていたので、行く意味はそこにも見出していたんだけど、それは主軸ではない。
もやもやしながら、出発日は近づいてくる。
体調も、家庭の環境も整えながら、モヤモヤだけが解消されずに残っている。
直前まで、企画していたプロジェクト、所属している勉強会の大きな会があり、必死で体を整える日々が続いた。
気が乗らない感は私の人見知りにも火をつけた。
知らない人が多いというのは、これまでもあったのに、今回私を妙にしり込みさせた。
知っている人も4人もいるのに。
行かない選択はなかったが、落ち着きどころを探していた。
そんな中事件は起こった。
私が7年間心血注いできたプロジェクトが、来期は打ち切りという知らせだった。(現段階では一旦休止という言葉になっているよう)
私にとっては、収入の一番の大口でもあったので、大きなショックだった。
何をどう言ってもひっくり返らないのもよくわかっている。
沖縄を前に、自分を見つめる作業をしなくてはならないこの時期にこの知らせで、私の関心事はこっちに引っ張られてしまう。
モヤモヤどころの騒ぎではなくなってしまった。
怒りや悲しみばかりが出てきそう。
そんな気持ちを押さえながら書いたFB記事。
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作ったものには、情がこもります。
学生たちと産み出したプログラム、参加してくれた子たち、そこで生まれた新しい関わり、知らなかった自分・未知の自分の発見の場。新しい知見。
■■■■■からはたくさんの「有」が生まれました。
■■■■■がなかったら生まれなかったかもしれないものがたくさん生まれたと思っています。
7年間も続いたのは奇跡だと言われますが、
それを関わってきたそれぞれの立場の関係者が必死に形にしてきたからだと思っています。
それが評価されなかったこと、今回で■■■■■が終わってしまうのは、自分の力不足でとても残念でなりません。
お世話になったみなさま、ご協力いただいたみなさま、
7年間本当にありがとうございました。
思いを理解してくださり、ご協力いただけた方々の存在があったこそ7年間も続けてくることができました。
私自身も全然気持ちの整理ができておりませんが、
とはいえ決まったことなので、気持ちを切り替えて、
違う形で引き続き、次世代人材教育に関わっていきたいと思っています。
今後ともよろしくお付き合いのほど、お願いいたします。
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恨みつらみのこもった文章です(苦笑)。こうしか書けなかった。
なんでよりにもよって沖縄ツアーの前に、、。
言っても詮無きことだけど、猛烈に愚痴を吐きたくなった。
こんな気持ちで沖縄に行ったって、自分の本心語ることなんてできないよ。