ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

Happy日記1008

・娘の23歳の誕生日でした。
随分大きくなったもんだと思います。
昨日チャットしていて、「今が一番幸せ」という彼女。
好きなことを自分に正直に貫く姿勢は素敵だと思います。
それが彼女らしくもあります。
あの子のいいところは、人と比べたり、人目を気にしたりをしないところかな。
単純にそこは羨ましい。
これからも突き抜けて生きていってほしいな。

・母のところに、息子と一緒に。
部活を自主的にお休みされた息子くん。
いつもはちゃりでいくので、今日もそうだろうと思ったら、
なぜか一緒にバスで行くというので、
行きはバス、帰りは歩きで買い物しながら帰ってきました。
暑いくらいの天気だったので、気持ちよかった。
今日の歩数は私は6900くらいで、息子は6100くらい。
歩幅が違うということなのでしょうか。

母の調子も安定していて、
3人で楽しくおしゃべりをして帰ってきました。
気持ちが安定して、嬉しい時間。

そんな穏やかな中、
夫の体調が非常に悪く、
そういう外部要因からの影響はどうしても受けてしまいます。

FBもツイッターからも、刃を感じることがあります。

この1年で私が身をつぶしてまで理解したことは、
自分が解決できる範疇は、あくまでも自分のことしかないということ。
身内であれ、パートナーであれ、友人であれ、
他者の気持ちは、その本人にしかわからない。
その人が発した言葉でさえ、他者にはその真意はわからない。
それを、勝手に解釈をして自分で抱え込むのは、

荷物を勝手に作ってわざわざ自分で背負うようなもの。
私はその辺にとても敏感なので、つい癖が出そうになるが、
他者に関わることは、勝手に推測してやっても何もいいことは生み出さないので、
やめました。

人間関係は難しい。
が、どうにかしようと思うならば、
本音で話をするしかないのだろうと思います。

世の中、いいたいことを言い合える関係が作れるといい。
そんなことを思う秋の夜。
まあ、該当する他者がどう思うか、
他者とどういう距離感を持つ人なのかにもよるのかもしれませんけど。
あ、また考えすぎ( ´艸`)

半分、青い。の総集編を視聴。
ああ、本当に終わってしまったのだ~。
終わってしまったのが残念というよりは、あの物語を人生の横においていたような感覚のある私は、その物語が終わり、ちょっと取り残されたような。
この半年、私も自分の人生を見つめ返してきたので、
主人公というよりは母の目線だったり、少し俯瞰した目線で、でも応援団としてみていました。
激動の昭和から平成を、私も駆け抜けてきたんだなと思います。
そしてこれからも生きていくわけで。
私には律は居ないが、頑張ろうw

・口の中はまだハレは残るけど、随分楽になってきました。
なにより、ご飯が食べられます。ありがたい。
今日は食べやすいお刺身を買い、お酒も飲みました。
今日は痛みをごまかすためではなく、お刺身を美味しく食べるためw
ひやおろし、おいしい。
日本酒がおいしくいただけるようになるなんて、1年前には思えなかった。
ありがたいことです。

FBでフォローしている方の投稿がとても気になる、真理だと思うので、
載せておきます。
読み返し用。

私の熱は2年前にインフルで40度くらい行った時かな。
普通は高熱は出ないから、「これでがん細胞は死んだよ」と皆に言われていた。
涙も出ない。あのニューシネマパラダイスの最後のシーンでも、うっすら、くらいだった。半分青いでは、少しぐっと胸に詰まるところがあった。
裕子ちゃんの骨壺をすずめが抱くシーン。あれは来た。
ゴミ掃除のための発熱、出したい。
===

2年弱、毎月、個別相談に通ってくれている40代の女性から
「38.5度の熱が出た!」とメッセージが来た。
 
よーしっ!!!
   
彼女の主訴は、
身体面では、疲れやすさと重度の花粉症、
マインド面では、やりたいことがわからないこと、だった。
 
シングルマザーで必死に娘を育ててきたけれど
その娘もまもなく大学を卒業し
自立をしていく。
 
学費の支払いという大きな「仕事」を
終える瞬間が見えてきたとき
  
「娘のために」が
一番の目的だった、と同時に
一番の言い訳でもあったことに気が付き始めて
私の元に通い始めた。
 
わたしは、
心のことを心からのアプローチでなんとかしようとするのは
無理だし、むしろ危険とも思っているので
ひたすらに身体へのアプローチを重ねていく。
 
レメディを入れて最初に出て来たのは
「腰痛」だった。
 
腰の捻挫(ぎっくり腰)をきっかけに
全身に細かな痛みがあることに気がつき始める。
 
これはもしかしたら今始まったことではなくて
ずっと前から痛んでいたけれど、
気がつかなかっただけなのかも!?
ということに気が付いた。
 
そんな「麻痺」を自覚した後、
今度は眠れないほどの
強い「足のしびれ」が始まった。
というか、感じられるようになった。
 
実は彼女は若い頃
膝の靭帯を切る怪我をして、
大掛かりな手術をしている。
 
なるほど、
その時入った麻酔の害だと踏んだ私は
徹底して「薬害」出しを促すレメディを入れ
実際の解毒臓器である肝臓のケアを
続けること数ヶ月。
 
足の痛みとしびれは消え
その代わりに、
「涙」と「熱」が出始めるようになった。
 
治療をしていくにあたって
大切な物差しが、この「涙」と「熱」だ。
 
これらが出始めると
心身が緩み始めているサイン。
 
涙は最初、「怒り」でもいい。
 
怒って怒って怒って怒ると
その先に(その下に)「悲しかった」という感情に
気づく時がくる。
 
彼女はもう10年単位で
高熱を出していなかった。
(こういう人はとても多い。かくいう私も、そうだった。)
 
ひとつずつ、身体に残った毒を排泄し
心に蓄積した「出せなかった感情」を排出していくうちに
微熱が出始める。
 
そう、何十年も熱を出さなかった人は
最初から高熱は、あまりでない、
というか出せない。
 
まず37.5度に至らないくらいの微熱がでる。
この時の特徴は、
ものすごく身体が辛いこと。
 
燃やしたいものはあるけれど
燃やす力と、許可が出ない=微熱
 
燃やしたいものを血液には放出するけど
解毒する力がない=毒素いっぱい
 
そのために頭痛や咳などが伴う。
もちろん身体は重く、痛く、だるい。
  
そんな微熱を何回か出しているうちに
38.0度くらいの熱が出始める時期が来る。
 
そして、今回のように38.5度。
 
こうして少しずつ少しずつ、身体は
ゴミ掃除のための発熱を
起こす力と、許可を、自分自身に出していく。
 
治療家にとって、熱の目安は
1、37.0〜37.5度くらいの微熱
2、38.5〜38.7度(ウイルスが死滅または動けなくなる)
3、39.3度(がん細胞が死滅)
4、40度
のだいたい4段階
 
この階段を登っていくと
身体が軽く、きれいになっていっている目安になる。
 
ちなみに彼女は、この夏
娘を産んで以来おそらく初めての、ひとり旅に出た。
 
勇気を出して八ヶ岳のリトリートに参加して
その後、一度行ってみたかったというニュージーランドに、ひとりで行った。
 
自分にお金をかけていい
自分を「探しに」行っていい
自分の「好き」を選択していい
  
緩み始めた身体と同じく
心への許可も、出せるようになってきた。
 
2年という時間は
身体の油が入れ替わる、半減期に近い。
  
まずは2年あれば
身体(油)を変えつつ、人生を変えることができる。
  
素晴らしいね!!!
うれしいうれしい嬉しいー!!!!!