ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

気の持ちよう

最近、悪夢を見る。

悪夢といってもおどろおどろしいものではなくて、
私が過去にパターン的にみてきた、
・学校に行けなくなって、卒業できない。
・車に乗る。(←私はペーパードライバーで、日常的には乗れません^^;)
みたいなもの。
私的には、かなり心が揺らぐやつ。

今日は、佐世保の実家で、母が退去前というシチュエイション。
小さな子がいて私が面倒をみている。母の面倒も見ている。
実家は、トイレの便器までも撤去され、床には穴が開いている。
それをみて、なんだかもうやるせない気持ちになっている私。
「もう普通の家には住まわせられない」という悲しさが、
私の中に残っているみたい。
私は、車も、危なっかしいけど運転してた。
(ちなみに、車の運転は、ここ数年で運転できない
→徐々に運転できるようになった。夢の中ではw)

夢には、自分の願望や気にしていることが色濃く出る。

このところの連発の悪夢は、
股ケアをしているせいか?

これまでの私であれば、気分的に落ち込み、どよんと一日過ごしていたが、
今日は「これは夢だ!」と割り切れた。

といっても、しばらくはこのまま眠るのも嫌だし、
起きてもやる気がでない。
ごろんとしていた。全くポジティブになれなかった。

この夢は、二度寝してみたのだけど、
こういう夢を見るのに嫌気も差していたので、
眠気がなくなると同時に、振り切った。
「これは、夢だ。」「母は幸せな日々を暮らしている」と意識を振り戻した。

特養に入った母が、果たして幸せなのだろうか、
普通に家で暮らさせてあげられないことを、
心の中で嘆いている私がいる。
現実的に考えるなら、それは難しい話だ。

同居するにしても、うちはエレベーターもついていないし、
母を終日介助することは私の体力的に無理だ。
(でも、頑張れば、やろうと思えばできるかもしれないのに)
なんて責める気持ちが自分の中にあったりする。
いやぁ、そもそもエレベーターなし3階を上り下りすることができない時点で、
同居話はないわけで。

特養での暮らしが幸せでないと言い切れるわけでもないのに、
勝手に私はそういう自分の仮説をつなげるピースをみつけてつなげそうになる。
あぶないあぶない。

今日を生きることを忘れてしまいそうになっていた。

それに気づいたら、やる気が少し出てきて、
お昼ご飯のチキンライスを炊飯器に仕込んだ。
このブログの投稿も書く気になった。
晩御飯の仕込みもしようという気になった。
録画しているドラマも見ようという気になった。

「気の持ちよう」と簡単に言うけど、これってなかなか難しい。
だけどやっぱり「気の持ちよう」としか言えないものなのだよね。

気になってること、少し片づけよう。