ここのところ、からだのあちこちで、筋やら腱やらが固まっている感じの痛みがある。
ここ数日、特に痛むところが増えて、その痛みも強くなってきている。
週1でピラティス・ヨガの前に整骨院でも診ていただくことにしているので、まあまあどうにか保てているのだけど、今回はちょっときつかった。
でも、整骨院では、いつもよりも+で「新しく導入されたマシンを使ってみたいから~」と治療してもらえたり、院長先生による、いつも以上の念入り調整で、痛みがすっと引いてびっくり。
ピラティスでも、帰り際に先生が調整してくださって、これまたするっと痛みが取れて。
専門家ってすごいなぁ。
自分じゃ、痛いところを揉みほぐすくらいしかできないのだけど、身体の中がわかっている方は原因を突き止めることができるので、私とは全く違うアプローチをされる。
痛くならないように、意識的に体を使うことの勉強中の私は、
痛くなりがちだから、そうなったら専門家に頼るのがベストだなーと思ってしまった。
痛みを引き受けすぎる自分もいるなぁと、今日ふと思った。
「この痛みは私のじゃない」って思ってもいいんだと、その発想すらなかった私は、痛みを感じることで自分を認知しているのかもしれないって思う。
はあ、やっかい。
自覚がないことは何より対策がとれない。
痛むことを、こと、気にしなければよいのだ。
以前よりは痛みや不都合と前向きに接することはできているのだけど、なかなか「気にしない」レベルの壁が高い。まあ、前向きに。。。
今日は、行く途中に「まだまだスキマが少ないなぁ」と思っていた。
無駄な考えをせず、頭と心にスキマ、ゆとりを作ることは意識してるつもりだけど、気づくとぎちぎちになってる。考えてどうにか問題を解消しようとしている。
それが癖だ。
私がやっていることも、そもそもはゆとりを作るため、問題を解消するためなんだけど、結果的に自分の首を絞めることになっちゃってる。
それでも、意識をするというしか、自分を変えることはできないから、こつこつと。
考えそうになったら深呼吸をして、気持ちを切り替える。
それをすこしずつやっているからか、今日はピラティスの先生に、
「随分ゆとりができたんじゃない?」といってもらえた。
まだ詰まってるところはあるけれど(^^)
頑張っていることって、自分じゃ変化の状況はみえないから、他者でそういうことをわかってくれる方の言葉はありがたい。
鏡になってもらえる人の存在が嬉しい。
瞑想をしばらくやっていない。
やる時間を確保したいなぁ。
ああ、そうそう。
歯医者で、これからめっちゃお金かかるって提示をされて"(/へ\*)
その時に気づいたのが、
「自分にはお金をかける価値がないと思い込んでる」ということだった。
この年になって、歯にそんなにお金をかける意味があるのか?というのもあったけど、人生100年という言葉もよく耳にするわけで、そうなると今は折り返しちょっと行ったところくらい。だとすると、人生はまだまだ長いのかもしれない。自分じゃそれもわからないし、決められないものだ。
なら今お金をかける=メンテをちゃんとする、ということは、今をよりよく生きるためには必要なのかも。今ちゃんと生きれてるかどうかで、未来も変わりそうだな。
私は、「今」も「未来」もちゃんと考えられてない。
ここまで考えて、
元気に長生きするんだ!という覚悟が、私には全くなかった、ということにも気づく。
そろそろ、そういう覚悟を持って、今を生きる、未来を考える時期なのかもね。
それも、こつこつと生きるということか。