ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

Happy日記0705 感謝と祈り

「神様、この日の食べ物を与えてくださったことに感謝します。そして、今日、遠く日本からのゲストを与えてくださったことに感謝します。彼らは私達の兄弟です。私達の兄弟に、なにかをさせていただける機会を与えてくださり、私達も力にならせていただける機会を与えてくださり、本当にありがとうございます。誰かに何かをできることは、私達の喜びです。その喜びを与えていただいたことに感謝します。彼らの幸運を祈ります。彼らの旅の無事を祈ります。彼らに、神のご加護がありますように。アーメン。」

 

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10歳にも満たない少年の祈りの言葉だという。
坂詰さんのブログに紹介されていた。

信仰が違うと言えばそれまでだが、私はここまで毎日祈りを言葉に出来ているか。
自分のことばかり祈っているのではないか。
と、反省した。

今日、夜仏壇でおまいりをしていて、
最後に、私が私を信じ切ることができますよう、そういう向きに進んでいけるようお手伝いをお願いしますとお願いしていた時、ふと「祈ればいいんだよ」って言葉が出てきた。この口調はきいろちゃん。
そうかと素直に思った。
感謝や祈りは、そうできるような自分になりたいと思い願い神仏に頼むのもひとつだけど、先ず形からでも祈ることは、自分ですぐできることだと思った。
仏様にはこれまで、毎日の暮らしの感謝と命をつないでくださったおかげの感謝くらいだったけど、もっとなんにでも感謝して、何でも祈っていいんだよってことかなと。

もっと気軽に感謝と祈りがあってもいいんだよね。
勝手に難しいものにしている感あり。

・大学Day。
行くことができてよかった。
雨が大降り。車で送り迎えしていただけることに感謝します。
感謝はいつもしてるつもりだけど、足りないのかもしれない。

・大雨の中、ちゃりで帰ってくる息子のことを考える。
考えても仕方がないのだろうけど、案じてしまう。案じても仕方がないのだろうけど。
彼の幸運を祈るしかないのかな。心配じゃなく。

彼のカッパを乾燥機の上に干す。
何度言っても干さないので、私がしびれを切らした。
普通はそれでほおっておくのだけど、
私が嫌だから干した。
私は人の立場に立ちすぎるのかもしれない。私がその立場なら濡れた合羽を着てはいきたくないし、朝濡れたやつをみただけでげんなりしそうになるから、干すのだ。
彼のためというよりは、自分のために今日は干した。
この件でぐちゃぐちゃ考える時間と頭に疲労を与えることを、もうここで終わりにしたいという思いから。

・今日、少し不思議なイメージングがあった。
ふりしきる雨を見ていたが、私はそれに影響をうけず、分厚い空気の層のようなものの中に居て、安心していた。見ることもできるし、自分が望めば外にも出れるけど、外からの影響は受けない。適温。息もできる。
こういうイメージングがいつもできるといい。


自分以外の、他者と自然については、自分がどうにもできないことの領域。割り切るべき。
勝手に怖くなって被害者感感じるのはやめたい。

敏感な私は素晴らしすぎる。
こういう感情の機微が描けるなら私はほんとにアーティストだよなと思うけど、スズメと同じく構成力がない。アイデアや発想は出来るのだけども。
半分、青い。で以前の回でそのことを「モモが流れ、リンゴが流れ、パイナップルが流れ(リンゴだったかパイナップルだったかとにかくくだものだった)、いろんなものが川下にたまるが、桃太郎はいつまでたっても出てこない」的な比喩がされていた。わかる~。

自虐的になったら、少し笑えて来る。
半分、青い。効果だ。悲観的じゃなく、ドラマ的に共感を楽しめるからか。
貴重なドラマだ。

さて、明日は今日よりきっといい日。
雨少しでも落ち着きますよう。私は籠る。
Amazonプライムで映画でもみようかな。

おやすみなさい。