ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。

場を創るのが好き Happy日記0624

・プレ講座が無事終了。
毎年のことだけど、申込み不要のイベントって不確定要素満載で落ち着かない。
想定ができないものを仮にと進めるのはリスク高いけど、
結局何人来るかだけが不確定なので、それで左右されるものの作りにしなければ淡々と進めるというのも、改めて思ったなぁ。
昨日はどうなることかと思ったけど、意外とシンプルな作りだったからか、大学生の進行もスムーズにいけて安心した。

この通日で痛感しているのは、私は彼らが成長するタイミングのフォローをしたり、目が届いてないところに気づかせたり、様子をうかがって声をかけて緊張をほぐしてあげたり、彼ら同士をつないだり、なんだかそういうのをやるのが私の役割な気がしている。
私が私らしさを発揮してできること。
気になって仕方ないからすること。
点と点をつないだり、交わってどうなるかはわからないけどその可能性にワクワクしながら場を創るのが好き。
そんな場で、みんなが楽しそうにイキイキしてて、
彼らが自分自身を肯定し、安心して自分を出しながら、
みんなで一緒に目指すなにかを生み出しているのを見るのが好き。

今日は、保護者の方々へのヒアリングもしてみた。
卒業生にも声をかけ、要所で仕事をしてもらった。
進行時間のめどもだいたいのところを統括に伝え、彼女たちと時間を調整しながら進めて行った。

私がここでできることはなんだろうと集中して考えて、いや考えてというよりは動かされてる気づかされている感覚が強かったかもしれない。そんな動きだった。
自分ができることを、自分でその役割を作って担う。勝手に満足感を持っているのかもしれないけど、場にとって役に立ってる感めっちゃある笑

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講座の後、卒業生の二人とお茶をしに行った。
その時に彼女たちに話をしながら思ったことがある。


私が持っているこのプロジェクトの現場がなぜいいかというのは、
誰がきても明るく迎え入れて、みんなで一緒に遠くに行こうという雰囲気があるから。
これはもう文化だ。
こういう文化の中で育った子は、そういう世界をまた外で作ってくれるはず。
何をやったかもいいけれど、誰とやったかも必要だ。
ものや手法はマネしやすいけど、こんな文化は再現性がしにくいかもしれない。
だから、肌感覚ってすごく大切なことのような気がする。
ちょっと言葉にはしにくいのだけど、
自分が受け入れられたというよりも否定されないというか、
安心してもいいんだと思える場所があって初めて、
人は、巣づくりのようなことやなんらか得ようとする行動ができるんじゃないのかと感じている。
私がそこにいたいのは、そこはある種自分の理想の世界だから。
自分がそういう場に居たい。
自分が小さい頃や若い頃にそんな場があったらと思うから。

作者的に見れば、ぼろぼろなのかもしれない物語だけど、
外見を綺麗にするのではなくて、そこに自分が居てどうしたいかが考えられる場所を、
ここにこだわらずに、作っていけたらいいんだよねと思う。

今日卒業生には、在学生との関わり方をもっと違う形でもいいから考えてほしいということと、
自分たちの世代が作るこんな場があってもいいという話をした。
私のような親世代が作るものと、彼らが作っていくものとはまた違うし、
世代交代してもいいし、共存関係にあってもいい。主体が彼らになっていくのは当然だから、違う関わり方になってもいい。
そういう風に思うと、また違う意味でワクワクする。
未来を託せそうな若者を私は産み出しているんだなと思うと、結構嬉しい。

こういう場に居れることを、ありがたいと思う。