ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

Happy日記0412

・朝は一度起きたが、ご飯が温まっているのを確認し、お弁当に詰めるようにお願いしてまたベッドに。
それで頑張ってくれる息子と見守ってくれる夫がありがたい。

・今日はいけるかなと思っていた外出に行けるような体調じゃなくて、せめてもとベランダで日向ぼっこをした。私には緑と太陽が必要らしい。

・そして今日の私の不調を受け止めてくれたT氏にも、本当に感謝してます。いつもありがとう。すみません。

・夫が近くの公園まで散歩に行かないかと誘ってくれ、娘と3人で行ってきた。
花と緑と風と光と会話を楽しんだ。昨日のぶっちゃげトークで気を使ってくれたのだろう。とてもとてもありがたいことです。
ただ、胃が痛いのがずっと続くので、せっかくの恩恵があまり受け止められていない感じがする。

・ねたまんまYOGAのリラクゼーションを久しぶりにする。寝る時以外は初めてだったかも。
やってるとすぐ「そんなことしたってさ」というネガティブな土偶の声がするけど、スルー。ねたまんまYOGAの声に従っていれば応戦せずに済む。負けそうになる自分によく耐えた。
イメージのところでは、自分の好きなイメージのところでは顔が勝手ににやけたり、力がみなぎってくる感じがほんとにして、最後のサンカルパの意味が分かって、嬉しかった。私にもまだそんな力があったんだと、私が私を久しぶりに信じることができた感じることができた瞬間だった。

・その後、娘の胸を借りて、ひとしきり泣いた。
泣けた。
もういっぱいいっぱいな自覚があったので、人前で泣くことはおろか泣く自体が私にとってはタブーだったから、今回はジャンプだった。
もう決めてお願いに行った。
娘は胸を開いて抱っこしてくれた。
逆なんだけどね。
でもありがたかった。
ひとしきり泣いて、泣くことについて、笑うことについての話をしたり。
娘は、どうにかなる。時が解決することもある。と思うそうだ。問題解決にはならないけど、人間関係については有効らしい。確かにそうかもしれない。
問題自体もそうなのかもしれない。どうにもならないと思い込んでいるだけで。

昨日は、「おかあちゃんは、もっとどんどんやりたいことをやればいいのに」って思うと言われたな。
今日の彼女との会話の中で思い返してみたけど、私は若い頃はやりたいことをやりたいようにやってきたと思う。自分の感覚や思いに従ってきたので、キャリアとしてはまっとうでない道を突貫工事さながらに作ってきた。それ自体は私らしいので、こうしか生きられなかったと思うけど、ひとつ間違っていたとすれば、私は私自身をもっと大切に愛すべきだった。

お風呂の中でもなぜか泣けてきた。シャワー浴びながら、今度は涙は出ずに嗚咽。「もう嫌だ~」という声。

2回泣いたらおなかのしこりは消えた。

「愛されたい」、
「見捨てられたくない」、
「体だけじゃなくて心をもっと愛してよ」、
今日の昼の日向ぼっこ中、ボールに乗っている時に強く感じた言葉。
私が、私やきっと誰かに言いたかった言葉が、ぶわんぶわんと浮かんでくる。

私の中のタブーの決壊が始まった。
身体はめっちゃきついけど、救えなかった思いが浮かび上がってきた。これを救うのは私しかいないんだというのはわかる。
手をお腹に当てる。ごめんねという。
パワーを送る。

気分かもしれないけど、私には私を治す力が存在しているはず。

それを信じていられるだけでも、今日はとても幸せで、嬉しい。